月の光に思いをのせて
優輝との思わぬ修羅場を経て、僕は気づかされた自分の気持ちを持て余していた。
優輝が口に出しさえしなければ、この気持ちにも気づかないまま卒業していたかもしない。
それでも卒業前か卒業後かというタイミングの問題だけで、僕はいずれ気づいたのだろうとは思うけれど……
だって、これほどに誰かに執着したことはなかったのだから。
僕が誰かに執着できたことは喜ばしいことのはずなのに、はじめて向かい合う自分の気持ちをどうすればいいのかわからなかった。
というよりも、僕はどうしたいのだろう。
優輝や彩李ちゃんを悲しませたり、傷つけたりしたいわけではなかった。
僕は自分の気持ちを是が非でも伝えたいのだろうか……
答えの出ない問いを抱えたまま、両親や兄と一緒に行ったピアノリサイタルのアンコールで『月の光』を聴いた。
その和音の色彩は僕の複雑に絡み合った心に同調し、旋律はこの上なく繊細で儚く、その美しさは彼女の凛とした姿と重なった。
その日から、僕は取りつかれたように『月の光』を弾いた。
あくまで僕の解釈だけれど……
少しでも自分の心に近い音色を求めて。
そして、恋い慕う彼女への思いを描くように音を重ねていく。
この曲は、最初の旋律が和音の色彩や形を変えて4度繰り返される。
途中、触ったら壊れてしまいそうな繊細なゆらぎを経て、最後にその旋律を奏でた時、描いた和音が僕の心の中を満たしていくのを感じた。
そうか。
僕にとって、彩李ちゃんは手を伸ばしても掴むことのできない月の光のようなものなのかもしれない。
それでも……
たとえ、この思いが伝わろうとそうでなかろうと、彼女への思いが僕の中で変わることはないし、変える必要もない。
自分の気持ちに罪悪感を感じたり、偽ったりしなくてもいいんだと気づいた。
僕の絡まった心は『月の光』を弾くことによって救われたのだった。
しかし。
確かにそう思えたはずだったのに、人に恋するということはそんな綺麗ごとだけで済まされるものではないと早々に気づくことになる。
あれから僕は時々、昼休みにピアノを弾きに音楽室に行くようになった。
ピアノを弾くことを隠すこともないと思ったし、彼女と純粋に音楽やピアノの話ができればいいなと思った。
僕がピアノを弾いていると、興味のある人たちがピアノの周りに集まってきて、話をしながら弾くのは楽しかった。大抵女の子たちが多かったけれど……
彩李ちゃんとも、こんな風に話せるようになるといいな。
そんな淡い幸せな希望を抱いていた。
コンサートから少し経った放課後のこと。
忘れ物を取りに部活後に教室に上がっていると、音楽室から彩李ちゃんのピアノが聴こえてきた。
え……!?
流れてきた音楽が『月の光』だと気づいた瞬間、僕は驚きのあまり息をのみ、階段を上っていた足が止まってしまった。
一緒に階段を上っていた優輝が怪訝そうな顔で僕を見ている。
あの時以降、優輝とは彩李ちゃんの話やピアノの話はしておらず、表向きは変わりない友達関係を続けていた。
「どうかした?」
「いや。この曲……」
「いつも彩李が弾いている曲と違うな…。俺も初めて聴く曲だけど……」
優輝が何か言いたそうに僕を見たが、僕は残りの階段を一気に上がった。
「じゃあ、また明日!」
優輝と音楽室に背を向け、動揺を悟られないように教室へと急いだ。
教室に入り、滑り込むように座り込んだ。
まるで、あのリサイタルのアンコールを再現しているかのような音色に、僕の心は嬉しさと苦しさとに波打っている。
はじめて恋心を抱いた僕は、自分の思いを甘く見すぎていたようだ。
優輝も彩李ちゃんも大切にしたい。
だから、手が届かなくても自分が思っているだけでいいと思っていた。
なのに、この動揺は何なのだろう。
彼女の紡ぎ出す音が僕の心を搔き乱す。
彩李ちゃんの一番近くで彼女の弾くピアノを聴きたい。
僕が傍に居たい。ふたりでピアノや音楽の話をしたいという気持ちがあふれ出す。
強引に気持ちは伝えないと答えを出したばかりだというのに、彼女への思いが膨らみ破裂してしまいそうだった。
苦しい……これが恋なのか。
はじめて感じた胸の痛みに、僕は制服の上からぎゅっと胸元を握りしめた。
優輝、苦しいね。本当に…苦しいね……。
優輝が僕に苦しそうな顔をして話した気持ちが、ようやく解かったような気がした。
どうして僕たちは、同じ人を好きになってしまったんだろう。
僕はまた、出るはずのない答えを模索するのだった。
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