三人目の騎士、そしてわたしの
二日後──
竜の巣へつづく細道を、荷車をひいて進む若者がいた。
ラードナーラである。
荷車の背には、灰色の布がかぶせてある。それほど大きな荷ではないが、ラードナーラの手には汗がにじんでいる。
熱気のせいばかりではない。緊張しているのだ。
竜の巣に入ると、熱い湯気がもわりと身体を包みこんでくる。その向こうに、大きな人型のシルエット。ばしゃんと、大きな水音が響く。
すっと大きく息をすって、叫ぶ。少しだけ、ためらいながら。
「アカリ! ちょっと話がある」
一瞬だけ沈黙があって、すぐ叫び声が帰ってくる。悲鳴のような高い声のあと、湯のなかをあわてて動く気配がして、シルエットが岩山のむこうへと消えていく。
なにかを罵倒するような声。それから、ばたばたと物音がしばらく続いて、ようやく。
岩山のかげから、全身を赤くほてらせた朱里が出てきた。
いちおう、マモー族のまえに現れたときに着ていたワンピースを身につけているが、鎖はつける暇がなかったのか右手に巻いている。左手には、旅のあいだ身体に巻いていた大きな布。鳥の巣のようだった髪は、べちゃべちゃに濡れているせいでかえって整って見える。よく見ると、服も少し湿っているようだ。
照れくさそうに、朱い唇に笑みをうかべて、
「どうしたの? 話って、」
いいかけて、ぱちぱちと目をしばたかせた。長いまつげが踊るように揺れる。
「あ! その服──」
ラードナーラの服装に気がついて、さけぶ。緑色の上着に、マント。マントには、くるんと丸まった甲虫のようなマーク。ゼラ国の紋章である。
「ルードレキやクリムルがつけてたのと同じやつじゃない?」
「よくわかったな」
ラードナーラは自慢そうに胸をそらした。
「騎士に任命された。それも、女王直属の」
「それって、すごい出世なんじゃない?」
朱里はうれしそうにかるく手をたたいた。水滴がぱちんと飛んで、ラードナーラのひげにぶつかる。
「そうさ、……で、今日が初任務だ。交渉のな」
「交渉? だれと」
「お前とだよ」
「あたし? どういう……」
「この泉のことだ。温泉というんだろう?」
ああ、と朱里はうなずいた。
「これが万病に効くというのは、ほんとうか?」
「えー、あー、まあね。うん」
口からでまかせ、というわけではないが。少々うしろめたく感じて、朱里は目をそらした。
「ゼラ族にも使わせて欲しいとのことだ。病人や騎士に……」
「いいよ。別に。温泉はみんなのもんでしょ。入湯税とか勝手にとらないでね」
右手をひらひらと動かして、こたえる。ついでに、左手の布をくるくると巻いて、髪の毛を覆った。もう一枚タオルが欲しいところだ。
「あたしもだいぶ調子よくなったし、効能はあると思うよ。万病とかは知らんけど」
「体調を崩していたのか?」
ラードナーラは耳をぴくんと震わせて、訊いた。
「崩してたっていうか……まあちょっとお腹の調子とか、色々。森で寝るようになってから、マシになったけど。お布団がないと、どうもねぇ。肩も凝るし」
「そうか……」
いつになく深刻そうにこちらを見上げてくる。朱里はなんだか恥ずかしくなって、
「いいでしょ、あたしの事はさ。……ねえ、女王直属隊って、何人いるの? エリートなんでしょう?」
「直属隊は3人だ。おれと、クリムルと、ルードレキ。」
「え?」
ふたりは、それぞれ別の隊を率いていたはずだ。それに、たった三人というのは、隊として少なすぎるように思われる。
「そういう制度になったのさ。レカーダが失脚してから、色々とかわったみたいでな」
「……レカーダは、どうなったの?」
「財産の半分を没収されて、隠居だとさ。別につらそうな様子もなかったよ」
「そう……」
朱里は首をふった。その程度で済んだのは、女王の温情ということなのか。
「まあ、よかったのかもね。彼はかれなりに……」
「……なあ、アカリ」
ラードナーラは、低い声でいった。朱里は眉をしかめて聞き返した。
「え?」
「レカーダが、マリス国へ向けて穴を掘っていたと言ったろう」
「ええ」
「あれな、……穴の途中で大きく曲がっていて、方向が全然違ったそうだ」
朱里は目をぱちくりさせた。意味がわからない。
「間違ったってこと?」
「ただ、まっすぐ掘るだけだぞ。間違うなんてあるもんか。マリス族じゃあるまいし」
「それじゃ……」
ラードナーラは黙って首を振った。
「……姫は気づいていたのかしら」
「さァ、……多分、知らなかったろう」
「そう、……」
ラードナーラは、もう一度首を振った。朱里はほんの少し沈んだような目をして、
「……わからなくもないな」
と、つぶやいた。
「……おれは、わからん」
「そう?」
「愛とは、献身だろう。レカーダも、そのつもりで国を出たはずだ」
気負って言っている様子はない。それが、あたりまえの認識らしい。
「……あなたたちにとっては、そうなのね」
「きみにとっては、そうではないのか?」
やけに真剣な目で。
朱里は、話題をかえるつもりで、
「ねえ、その荷車は?」
と、聞いてみる。じっさい、興味はあった。
「……これは、」
ラードナーラは、ばさりと、布をどけた。
そこに、何かがあった。眼鏡がないので、ぼんやりとしかみえないが。
木製の輪、だろうか。ラードナーラの首まわりと同じくらいの大きさの。
「……これは?」
「指輪だよ。アカリ、君に」
朱里はきょとんとして、それから、火照った顔をさらに赤くして、眉根を寄せた。
「……どうして?」
「おれは……、おれは、君を愛している」
朱里はラードナーラから目をそらして、少し笑った。心臓の音が耳障りだ。
「あなた、……カーラ姫を愛していたんじゃ?」
「そう思っていた」
「じゃあ、なぜ?」
「その……うまく言えない。が」
一呼吸おいて、
「説明できない想いこそが、本物なのではないか」
「言ったね」
ふふ、と朱里はわらう。
小さく伸びをして、岩のうえに腰かける。それから、ひょい、とラードナーラの首筋をつまみあげて、よく見える距離まで持ってくる。
左手をひらいて、乗せる。ラードナーラは、おとなしくされるがままになっている。
よく見える距離というのは、つまり、鼻先が触れるほどの位置ということだ。
「わたし、巨人なんだけれど」
「異種族というなら、カーラ姫が恋した相手もそうだ」
「それに、」
いいよどんで、少し目線をそらしてから、
「明日には、別の世界にいってしまうの。どうしても」
「それがどうした?」
ラードナーラは、こともなげに言った。
「……君は、どうもおれたちの愛について誤解しているみたいだ。愛とは、献身だ。君がどこにいようと、何をしていようと、関係ないんだ。愛が返ってこようが、こまいが。」
本心から、そう言っているようであった。
「その……つまり、たとえば、生殖とは関係がないの? なんていうか……」
「ないさ。俺たち、ゼラ族にとっては。そういうものだ」
「ふうん……」
朱里は、そらしていた目をもどして、まつげをかるく動かしてほほえんだ。カーラ姫のことを、クリムルのことを、そして、レカーダのことを考える。本当に、そうだろうか。ゼラ族にだって、いろんな人がいるだろう。
けれども、いま、この場においては、それが真実なのだ。きっと。
「なら、私はどうしたらいいの?」
「愛していてよい、と言ってくれればよい。それで十分だ」
「……そう。指輪をくれる?」
そう言って、一度、ラードナーラを地面におろす。指輪をとったかれを、もう一度、今度はとても丁寧に右手で抱きあげて、左手の薬指に指輪をはめさせる。
もようのない綺麗な輪であった。
「……ラードナーラ。あなたが、私を愛することを、許します。」
愛しています、とは云わなかった。
そのかわり、
もう一度、かれを高くもちあげて、その顔に小さくくちづけた。
「……なんだ?」
「私たちの世界の、愛のしるし」
早口で小さくいって、朱里はすぐに岩の上にラードナーラをおろした。
そっぽをむいて、ばちゃばちゃと足で赤い湯をはねあげる。
「……あー、もう一回入ってこようかなぁ」
ラードナーラは何もいわずに、かるく頷いて座った。朱里は落ち着かなげに何度も足を動かしてから、彼に背中をむけて、
「……一緒に入る?」
「え?」
「なんでもない!」
叫んでから、なんだかおかしくなって、朱里は声をあげて笑った。
腹の底から、大声で。




