表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界八景  作者: 楠羽毛
地底の世界
49/206

三人目の騎士、そしてわたしの

 二日後──


 竜の巣へつづく細道を、荷車をひいて進む若者がいた。

 ラードナーラである。

 荷車の背には、灰色の布がかぶせてある。それほど大きな荷ではないが、ラードナーラの手には汗がにじんでいる。

 熱気のせいばかりではない。緊張しているのだ。

 竜の巣に入ると、熱い湯気がもわりと身体を包みこんでくる。その向こうに、大きな人型のシルエット。ばしゃんと、大きな水音が響く。

 すっと大きく息をすって、叫ぶ。少しだけ、ためらいながら。

「アカリ! ちょっと話がある」

 一瞬だけ沈黙があって、すぐ叫び声が帰ってくる。悲鳴のような高い声のあと、湯のなかをあわてて動く気配がして、シルエットが岩山のむこうへと消えていく。

 なにかを罵倒するような声。それから、ばたばたと物音がしばらく続いて、ようやく。

 岩山のかげから、全身を赤くほてらせた朱里が出てきた。

 いちおう、マモー族のまえに現れたときに着ていたワンピースを身につけているが、鎖はつける暇がなかったのか右手に巻いている。左手には、旅のあいだ身体に巻いていた大きな布。鳥の巣のようだった髪は、べちゃべちゃに濡れているせいでかえって整って見える。よく見ると、服も少し湿っているようだ。

 照れくさそうに、朱い唇に笑みをうかべて、

「どうしたの? 話って、」

 いいかけて、ぱちぱちと目をしばたかせた。長いまつげが踊るように揺れる。

「あ! その服──」

 ラードナーラの服装に気がついて、さけぶ。緑色の上着に、マント。マントには、くるんと丸まった甲虫のようなマーク。ゼラ国の紋章である。

「ルードレキやクリムルがつけてたのと同じやつじゃない?」

「よくわかったな」

 ラードナーラは自慢そうに胸をそらした。

「騎士に任命された。それも、女王直属の」

「それって、すごい出世なんじゃない?」

 朱里はうれしそうにかるく手をたたいた。水滴がぱちんと飛んで、ラードナーラのひげにぶつかる。

「そうさ、……で、今日が初任務だ。交渉のな」

「交渉? だれと」

「お前とだよ」

「あたし? どういう……」

「この泉のことだ。温泉というんだろう?」

 ああ、と朱里はうなずいた。

「これが万病に効くというのは、ほんとうか?」

「えー、あー、まあね。うん」

 口からでまかせ、というわけではないが。少々うしろめたく感じて、朱里は目をそらした。

「ゼラ族にも使わせて欲しいとのことだ。病人や騎士に……」

「いいよ。別に。温泉はみんなのもんでしょ。入湯税とか勝手にとらないでね」

 右手をひらひらと動かして、こたえる。ついでに、左手の布をくるくると巻いて、髪の毛を覆った。もう一枚タオルが欲しいところだ。

「あたしもだいぶ調子よくなったし、効能はあると思うよ。万病とかは知らんけど」

「体調を崩していたのか?」

 ラードナーラは耳をぴくんと震わせて、訊いた。

「崩してたっていうか……まあちょっとお腹の調子とか、色々。森で寝るようになってから、マシになったけど。お布団がないと、どうもねぇ。肩も凝るし」

「そうか……」

 いつになく深刻そうにこちらを見上げてくる。朱里はなんだか恥ずかしくなって、

「いいでしょ、あたしの事はさ。……ねえ、女王直属隊って、何人いるの? エリートなんでしょう?」

「直属隊は3人だ。おれと、クリムルと、ルードレキ。」

「え?」

 ふたりは、それぞれ別の隊を率いていたはずだ。それに、たった三人というのは、隊として少なすぎるように思われる。

「そういう制度になったのさ。レカーダが失脚してから、色々とかわったみたいでな」

「……レカーダは、どうなったの?」

「財産の半分を没収されて、隠居だとさ。別につらそうな様子もなかったよ」

「そう……」

 朱里は首をふった。その程度で済んだのは、女王の温情ということなのか。

「まあ、よかったのかもね。彼はかれなりに……」

「……なあ、アカリ」

 ラードナーラは、低い声でいった。朱里は眉をしかめて聞き返した。

「え?」

「レカーダが、マリス国へ向けて穴を掘っていたと言ったろう」

「ええ」

「あれな、……穴の途中で大きく曲がっていて、方向が全然違ったそうだ」

 朱里は目をぱちくりさせた。意味がわからない。

「間違ったってこと?」

「ただ、まっすぐ掘るだけだぞ。間違うなんてあるもんか。マリス族じゃあるまいし」

「それじゃ……」

 ラードナーラは黙って首を振った。

「……姫は気づいていたのかしら」

「さァ、……多分、知らなかったろう」

「そう、……」

 ラードナーラは、もう一度首を振った。朱里はほんの少し沈んだような目をして、

「……わからなくもないな」

 と、つぶやいた。

「……おれは、わからん」

「そう?」

「愛とは、献身だろう。レカーダも、そのつもりで国を出たはずだ」

 気負って言っている様子はない。それが、あたりまえの認識らしい。

「……あなたたちにとっては、そうなのね」

「きみにとっては、そうではないのか?」

 やけに真剣な目で。

 朱里は、話題をかえるつもりで、

「ねえ、その荷車は?」

 と、聞いてみる。じっさい、興味はあった。

「……これは、」

 ラードナーラは、ばさりと、布をどけた。

 そこに、何かがあった。眼鏡がないので、ぼんやりとしかみえないが。

 木製の輪、だろうか。ラードナーラの首まわりと同じくらいの大きさの。

「……これは?」

「指輪だよ。アカリ、君に」

 朱里はきょとんとして、それから、火照った顔をさらに赤くして、眉根を寄せた。

「……どうして?」

「おれは……、おれは、君を愛している」

 朱里はラードナーラから目をそらして、少し笑った。心臓の音が耳障りだ。

「あなた、……カーラ姫を愛していたんじゃ?」

「そう思っていた」

「じゃあ、なぜ?」

「その……うまく言えない。が」

 一呼吸おいて、

「説明できない想いこそが、本物なのではないか」

「言ったね」

 ふふ、と朱里はわらう。

 小さく伸びをして、岩のうえに腰かける。それから、ひょい、とラードナーラの首筋をつまみあげて、よく見える距離まで持ってくる。

 左手をひらいて、乗せる。ラードナーラは、おとなしくされるがままになっている。

 よく見える距離というのは、つまり、鼻先が触れるほどの位置ということだ。

「わたし、巨人なんだけれど」

「異種族というなら、カーラ姫が恋した相手もそうだ」

「それに、」

 いいよどんで、少し目線をそらしてから、

「明日には、別の世界にいってしまうの。どうしても」

「それがどうした?」

 ラードナーラは、こともなげに言った。

「……君は、どうもおれたちの愛について誤解しているみたいだ。愛とは、献身だ。君がどこにいようと、何をしていようと、関係ないんだ。愛が返ってこようが、こまいが。」

 本心から、そう言っているようであった。

「その……つまり、たとえば、生殖とは関係がないの? なんていうか……」

「ないさ。俺たち、ゼラ族にとっては。そういうものだ」

「ふうん……」

 朱里は、そらしていた目をもどして、まつげをかるく動かしてほほえんだ。カーラ姫のことを、クリムルのことを、そして、レカーダのことを考える。本当に、そうだろうか。ゼラ族にだって、いろんな人がいるだろう。

 けれども、いま、この場においては、それが真実なのだ。きっと。

「なら、私はどうしたらいいの?」

「愛していてよい、と言ってくれればよい。それで十分だ」

「……そう。指輪をくれる?」

 そう言って、一度、ラードナーラを地面におろす。指輪をとったかれを、もう一度、今度はとても丁寧に右手で抱きあげて、左手の薬指に指輪をはめさせる。

 もようのない綺麗な輪であった。

「……ラードナーラ。あなたが、私を愛することを、許します。」

 愛しています、とは云わなかった。

 そのかわり、

 もう一度、かれを高くもちあげて、その顔に小さくくちづけた。

「……なんだ?」

「私たちの世界の、愛のしるし」

 早口で小さくいって、朱里はすぐに岩の上にラードナーラをおろした。

 そっぽをむいて、ばちゃばちゃと足で赤い湯をはねあげる。

「……あー、もう一回入ってこようかなぁ」

 ラードナーラは何もいわずに、かるく頷いて座った。朱里は落ち着かなげに何度も足を動かしてから、彼に背中をむけて、

「……一緒に入る?」

「え?」

「なんでもない!」

 叫んでから、なんだかおかしくなって、朱里は声をあげて笑った。


 腹の底から、大声で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ