1. 女に当主は務まらん
「女に当主は務まらん。婿を取れ。この家を継ぐのは、その婿だ」
父の葬儀の翌朝。辺境伯家の大広間で、叔父アドヘマールは親族を見渡す。空の当主の椅子を背に、叔父は立っていた。
高い窓からの秋の光が、石の床に細く伸びる。蜜蝋と湿った毛織の匂いが、黒い服のあいだにこもっている。長椅子には大叔母たち、壁際には城代と侍女。隅の高い椅子には弔問の女の子が座り、その後ろに近衛が控えている。
叔父は薄くなりかけた赤茶の髪を横へ撫でつけ直した。赤ら顔の丸顔で、跳ね上げた口ひげをひねる。葬儀のあいだも、そこだけは一度も下を向かなかった。ひげまで偉そうで腹が立つ。叔父の目が親族の列をなぞる。
「婿はもう決めてある。わしの徴税役の息子だ」
私は辺境伯家の一人娘ジスレーヌ、二十三。十六から七年、父の秘書として砦の帳簿を回してきた。叔父は父の三つ下の弟で、二十年、南の町の代官を務めている。その叔父が、太鼓腹を突き出して笑う。
「泣きたければ泣け。あとは婿に任せておけ。帳簿も城のことも、その男に渡すのだ。お前は大人しく嫁になればよい」
「帳簿も、でございますか? 私の仕事ごと、その方に渡せとおっしゃるのですか?」
「女の細腕に、砦の勘定がわかるはずもない。兄上の甘やかしも、昨日で終わりだ」
「父が亡くなった途端、私の仕事まで消さないでください。泣いていれば砦が回るとでもお思いですか?」
「口答えをするな、小娘! わしは帳簿を渡せと言っておる。お前の手柄など聞いておらん」
七日前の夜、父は北の塔で死に、翌朝、見つかった。肘掛けの擦れた革は、考えごとのたびに父が親指でこすった跡だ。その椅子の背を掴む叔父の手を見て、私は黒い服の膝に爪を立てる。
「承知いたしました、えぇ、承知いたしました」
怒ると二度言うのが、私の癖だ。
父いわく、それは私の導火線が燃えている音らしい。私は壁に並ぶ磨いた盾へ目を向けた。まっすぐな黒髪の三つ編みを肩の後ろへ払うと、盾の中の琥珀色の目が睨み返してくる。泣く仕事は断る。怒る仕事なら、引き受けよう。
叔父が書見台の家法を開き、指で頁を押さえる。
「第六条。『娘が家を継ぐときは、婿を取る』。婿を取るまでは、一族の年長の男が後見する。つまり、わしだ」
「叔父様。第六条の次も、皆様にお聞かせいただけますか?」
「次? いまの条で十分ではないか。婿も後見も、もう揃っておる」
去年の冬、鼠に綴じ糸をかじられた本を、一字残らず写し直したのは私だ。墨の冷たさまで指が覚えている。鼠にも礼を言うものだな。渋々めくった叔父の指が、次の頁で止まる。私は広間の隅まで届く声で、その条を読み上げた。
〈第七条 娘が婿を選ぶときは、王家の立会いを請う。課題は娘が定める。立会人が城に在る間を、その期とする〉
私は長椅子から立ち上がる。すらりと背が高く肩の張った体を伸ばすと、背の低い叔父の頭の薄いところまで見えた。いけない、読むのは家法だ。私は頁へ手を添える。
「では、婿選びをいたします。家法のとおり、王家の立会いをお願いして」
叔父の指が、家法の本の端を押さえた。
「王家の立会いだと? 王都まで十日はかかるぞ」
「十日も待ちません。婿を連れて教会へお出かけになる暇を、叔父様に差し上げるつもりもございません。今日、ここで始めます。砦は、待ちません」
言葉が広間の梁に当たって返る。辺境の砦は待たん、と父はいつも言っていた。その響きに背を押され、私は隅の高い椅子へ向き直る。
小柄な女の子が、床に届かない足をぶらぶらさせている。蜂蜜色の髪のお団子が頭の両側で揺れ、あくびで濃い紫の目が潤んだ。第三王女ミルティーユ、十二。父の弔問に、王の名代として昨日から城にいる。私はその椅子の前に膝をついた。
「殿下。王家の御名代として、家法に従い、婿選びの立会いをお願いできますか?」
「やる! 昨日からずっとつまんなかったの。わたし、ここであくびするために来たんじゃないもん。やっと出番じゃん。何すればいいの?」
書見台から口を挟んだのは叔父だ。
「殿下、これは家の内のことでございます。お子様には、退屈な用でございましょう。お席でお休みください」
「家法に書いてあるじゃん、王家の立会いって。わたし、王家だもん! 読んだところだけ守るの、ずるいじゃん。眠くても、そのくらい分かるよ」
王女はふっくらした頬を膨らませた。鼻の上のそばかすまで、つんと上を向く。叔父の小さな薄緑の目が細くなる。私もまっすぐな鼻筋を上げ、きりっと上がった眉を片方だけ持ち上げる。太い指を私の鼻先へ突きつけてきたのは叔父だ。
「ジスレーヌ、殿下を巻き込むな。子どもに家の大事は分からん」
「殿下は、王の名代でいらっしゃいます。お子様と仰っても、家法は変わりません。分からないのは、頁をめくらない大人のほうです」
王女が大きく頷いた。口ひげの下で叔父の顎の肉が震える。私は突きつけられた指の向こうへ、言葉を返す。
「課題を書いてまいります。一刻ください。殿下が城に在られる間、初雪で峠が閉じる前のお発ちまでを、婿選びの期といたします」
◇
三つ目の鐘が鳴るころ、王女の言いつけで城門も大広間の扉も開け放たれた。秋風が石の床を這い、蜜蝋の火を傾ける。戸口には町の人と兵。父の椅子の前で、父の弟の罪を読ませる。紙を差し出す指が震えた。受け取った王女は、椅子の上で跳ねる。
「なになに……『求婚の品は、叔父アドヘマールの悪事の証拠を一つ』。……え、面白っ!」
叔父の顔から、血の気が引いた。
紙へ伸びかけた手が、口ひげへ戻る。叔父の声が広間に響く。
「ふざけるな! 身内の恥を、王家の前でさらすなど許さん! 婿選びを取り消せ、ジスレーヌ!」
「悪事がなければ、証拠もございません。どなたも持ってこられないのですから、叔父様は痛くも痒くもないはずです。ご安心くださいませ」
「そんなものは一つも無い! お前が探させたところで、無駄だ!」
「では、お困りにはなりませんね。無いものなら、叔父様の手も煩わせずに済みます。ごゆっくり、お茶でも召し上がっていてくださいませ」
親族の列から、咳払いが一つ聞こえた。帳簿の端数と同じで、笑いもそう綺麗には隠せない。紙を膝に押さえ、王女が身を乗り出す。
「あと、婿がもう決めてあるの、ずるい。家法ではジスレーヌが選ぶんだもん。叔父様が選んだら、叔父様の婿じゃん」
「殿下! その息子は、わしがこの家のために選んだ男で――」
「ひげの叔父様、うるさい。いま、わたしが紙を読んでるんだよ。邪魔しないで」
戸口が静まった。叔父の指が、口ひげをつまんだまま止まっている。私は叔父へ向き直る。
「その婚約は、私が取り消します。家法のとおり、婿は私が選びます。叔父様のお選びになった方も、課題は同じです」
「わしの選んだ男にまで、わしの罪を持ってこいと言うのか?」
私は親族と、戸口の町の人と兵へ向き直った。
「求婚の品は、叔父様の罪をひとつ」
戸口がどよめく。私は空の当主の椅子を見た。兵隊言葉で怒鳴るたび、父は腹を抱えて笑い、お前の怒りは砦の火だと言ってくれたものだ。その笑い声を待つ耳に、戸口のざわめきばかりが届く。それでも胸の火が、膝を折らせない。すれ違いざま、叔父が声を落とした。
「いい気になるなよ、小娘。わしの許しもなく、この家を動かせると思うな」
黒い服の皺を指で伸ばし、私はその背へ声を掛ける。
「叔父様。どうかお体を大事になさって。数え終わるまで、長くかかりそうですもの」




