知らない気持ち
私は、国王の側近を務める家の令嬢としてこの世界に生まれた。
貴族の中でも、ほんの少しの上澄みに含まれるような家だ。物心ついたころから、人の上に立つ人間としての作法をこれでもかというほど叩き込まれたし、ほとんどの行動が親から指示されたものしかやってこなかった。
一般の人たちが経験するような、甘酸っぱい恋愛だとか、ドロドロした三角関係だとか、そんなものはもちろん経験したことがないし、見たこともなかった。
幼いころから、私は同じく国王の側近を務めている家のご令息を許嫁とされている。単に側近の家同士で結婚した方が将来的に権力をコントロールしやすいというだけの、表面だけの結婚。私はきっと、「好き」とか「愛してる」とか、そういった気持ちを知らないまま結婚して年を取っていくのだと漠然と思っていた。
それがなんだか違うかもしれないと気づいたのは、つい最近のことだ。
「あっ、エマさまっ。おはようございます! 今日もお綺麗ですっ」
朝目が覚めた私にそう挨拶をするのは、この家で侍女をしているルーシー。年齢は私と同じくらいのようで、二年ほど前からここで働いている。
すごく頑張り屋さんなようで、常に忙しそうに何かしら作業をしているのだが、私の姿を見つけるとさっきのように明るく話しかけてくれる。
まあ、どちらかと言えば私は雇い主側の人間なのだから、そういった対応をするのも当たり前なのかもしれないけれど、その健気な様子を見ていると、だんだん犬のしっぽが生えているように見えてくるくらいに彼女の瞳には“裏”が見えなかった。
(かわい……)
――そう、なんだか最近、ルーシーのことをやけに可愛く感じるのだ。
可愛いと言っても、ただ顔が整っている他人に感じるものとも、ペットに感じるような感情とも違うというか……なにか今までとは違った、こう、心に直接ぎゅんとくる可愛さみたいなものを感じていた。
この気持ちが一体なんなのか、私にはまだわからない。
ただ、こんなに可愛いルーシーと一日に数回のちょっとした会話しかできないというのは、なんだかとても寂しいことのような気がしてならないのだ。
と言っても、所詮は貴族の令嬢とその家の侍女という身分に差のありすぎる関係。あまり親密に関わることはできない。「ルーシーが私と同じような立場なら」と、モヤっとした曖昧な気持ちを持ちながら今日も学校へ向かうのだった。
「エマ……それはずばり、“恋”ってヤツだね」
ルーシーに対する気持ちを、なんとなく内容をぼかして相談した昼休み。仲良くさせてもらっているクラスメイトのアリスはビシっとそう言い切る。
性別を隠して相談したのが間違いだったかな……と少し後悔する。
たしかに、ルーシーともっと関わりたいという気持ちは持っているけれど、それは多分友達とかそういうものになりたいというだけであって、恋とかそういうのじゃ……。
「で、でも、私別にその人と結婚したいとかそういうのはない……と思うよ? なにより、私には許嫁として今まで交流してきたマサ様がいるんだから」
そうやってなんとか反論してみる。そう、男だとか女だとかそれ以前に、私には結婚を約束されたご令息がすでにいるのだから、そもそも恋なんてしていい立場ではないのだ。
アリスはちらちらと周りを見渡して、誰もいないことを確認すると、「内緒話のポーズ」で私を誘導する。仕方なくそれに乗っかって耳を傾ける。
「ほんっとに怒られるの覚悟で言うんだけど……。エマって、マサ様のこと別に好きじゃない、どころかちょっと苦手でしょ」
「はあ? ……っ、ごめん」
あまりにどストレートな指摘に、思わずはしたない返事をしてしまった。一応、良いところの令嬢らしく優等生をやっているだけに、周りに人がいなくて本当によかった。
こんなに動揺した返事をしてしまったのは、アリスの指摘が間違っているというわけではないからである。まあ、オブラートに包むのオの字もない質問に驚いたっていうのもあるけど。
念には念を入れて、私も一回周りを見渡して誰もいないことを確認してから改めて返答する。
「まあ……アリスだから信用して言うけど、正直許嫁とかじゃなかったら関わらないタイプかな……。でも、それって私の相談と関係ある?」
「あるに決まってるじゃん! もしマサ様のこと好きならわたし全然的違いなこと言ってたなって感じだけど、別に好きじゃないなら、やっぱりそれは恋だと思う!」
テンション高めなアリスに若干気圧される。なんか、いつもより十倍くらい目が輝いているんですけど……。って、そうじゃなくて。
アリスがどれだけそう言おうとも、私はこの気持ちを恋だと思うわけにはいかない。今更ながら、相談の相手が同じくらいの歳の女の子であることを告げると、アリスはきょとんとした表情をする。
そうだよ。跡継ぎを残すことが重要視されるこの国では、男の子同士とか女の子同士とかそういった恋愛はメジャーなものではない。だから、ルーシーが女の子だってことが伝われば……。
「? 女の子だからなにか変わるの? 性別とかじゃなくて、わたしはその人のこと話してる時のエマのところを見てたから、恋してるんだなって思っただけなんだけど!」
ぷんすかしながらそう言われて、今度は私がきょとんとしてしまった。結構想定外な回答だ。そこまで言われてしまうと、恋じゃないという真っ当な反論ができなくなってしまう。
だんだんと頭の中がぐるぐるしてきた。
何も返答のない私を見て、私が機嫌を損ねたと思ったのかアリスは慌てて謝ってくる。
「ま、まあでも、最終的に自分の気持ちを判断するのはエマだから! ごめん熱くなっちゃって」
「……から」
「え?」
「そこまで言うなら、私今日家で自分の気持ち、確認してくるから!!」
――いいわよ。アリスがそこまで言うんだったら、私が自分で確認してみせるから。
これはそういう“好き”じゃないって。
これは“恋”なんかじゃないって。
カツカツと靴底が地面に当たる音がいつにも増して大きく聞こえる。いや、実際に大きいのかもしれない。なぜなら私の気持ちは今、かなり前のめりになっているからね。
帰宅するなり、ルーシーの姿を探す。いざ探すとなると、部屋の多さからなかなか見つからない。扉を開けて閉じてを何回か繰り返していたところで、後ろから声をかけられた。
「エマさま……? 誰かお探しですか?」
「ルーシー!」
お目当ての人が現れて、自分でもはっきりと分かるくらい笑顔で振り返ってしまった。いかんいかん、少なくとも私は冷静に目的を果たさないと。
こほん、と軽く咳ばらいをして、気持ちを整える。
なるべく落ち着いて見えるように。湧き出る気持ちを隠すように。
「ちょうど探してたの。ルーシー、ちょっと一緒にお茶しない?」




