2.海底花葬
僕とアリスは真夜中になると、海岸を散歩をするのが日課になっていた。
死んでいた庭をたった一晩で再生してしまうなど、自動人形であるアリスの並外れた能力は人間とは桁外れのものだったが、ずっと眠っていた所為かアリスはあまり体力がなかった。
波打ち際を歩いていると、黒い服に黒いリボン、黒い靴下に黒い靴を履いた少年達が、とある少年を取り囲んでいた。
真ん中にいる少年は砂浜に広げた白いシーツの上に横たわり、胸の前で手を組んで眠っているようだった。
少年の手には白い花が握られている。
周りの少年達も白い花を持ち、一輪ずつ眠っている少年の傍らに花を置いていった。
「君達、何をしてるんだい?」
アリスが声を掛けると、黒服の少年達が一斉にこちらを向いた。
「葬式ごっこ」
「葬式・・・・・・?」
僕は首を傾げてみせるが、少年達はさっと体制を元に戻し、また眠っている少年に花を手向け続けた。
全ての花がなくなると、「今日はここまでだ」と一番背の高い少年が一際大きな声で言った。
「続きは明日にしよう。陽映、もう起きてもいいぞ」
陽映と呼ばれた少年は、長い睫に縁取られた瞳を薄っすらと開けた。
少年の絹のような白い頬が、何かを言おうと口を動かしたのと同時に小さく痙攣する。
桜色の唇が何かを紡ぐより先に、数人の少年達はさっさと浜辺から遠ざかってしました。
陽映は仕方なく身体を起こし、その拍子に少年の細い身体の上にあった白い花が儚げに落ちていく。
「君、大丈夫か?」
僕が心配げに声をかけると、陽映は碧い睛を僕に向けた後、無表情のまま口を開いた。
「僕はもうすぐ死ぬんだ」
「え?」
「僕が死んだら、海に・・・・・・」
そう言いかけた瞬間、少年は急に口を噤み、黙ってしまった。
そしておもむろに立ち上がり、ズボンのポケットに手を突っ込んで、美しい笑みを向けた。
「じゃぁね」
そう言って歩いて行ってしまった。
僕はアリスの方を見たが、アリスは複雑な表情のまま少年が見えなくなるまで見つめていた。
次に少年と会ったのは、あまりにも月明かりが眩しい夜だった。
僕が住んでいる家の近くにはテラスのような丘がある。
白い柵で守られているその丘には誰でも座れる白いベンチがあり、その上にはベンチを覆うような白い木枠の屋根があり、年中つる草が絡み付いていた。
月燈舎に行くために家を抜け出し、アリスに会いにいく途中だった。
本物のテラスで柵に腰掛けているように、低めの白い柵に裸足で腰掛けている少年がいた。
海辺で葬式ごっこの死体役をしていた少年、陽映だ。
足をぷらぷらと揺らして、今にもそのまま柵の向こう側に行ってしまいそうだった。
丘は高い上に、柵の向こうはすぐ崖だったと思い出し、マジマジと少年を見つめてしまった。
すぐ傍に靴が丁寧に揃えられており、声を掛けるべきかと迷う。
少年の向こう側には眩い満月と、星の光を受けてエメラルドに輝く夜空、それからエメラルドの光と深い紺碧が入り混じった海があった。
「あとね、1日しかないんだ」
「・・・・・・何が?」
「この体を維持できるのが。それまでに、あの人に会いたくて」
陽映の言う、あの人とは誰だろうか。
そう思った瞬間、僕は陽映の頭上に信じられない光景を見た。
二つの月がぽっかりと浮かんでいたのだ。
一つは夜空に浮かんだ月であったが、もう一つは陽映の頭上にある。
殆ど欠けてしまっている細い月が、陽映の頭上で儚く輝いていた。
「君と一緒にいたもう一人の方は気付いていたみたいだ」
「・・・・・・アリスには、見えていたのか?最初から、その月が」
「生まれた時から、こうなんだ。この月が欠けきって無くなる時、僕はもうずっと長い眠りについて、目覚めないんだ。それまでが、あと1日」
相変わらず美しい笑みを浮かべて、陽映は言った。
あまりにも淡々と告げる陽映に、僕はどうしようもなくなって、どうしても聞かずにはいられなかった。
「君の言う会いたい人って、誰のこと?」
「・・・・・・」
僕が聞くと、陽映はすっと笑顔を消し、海の方に視線を戻してしまった。
「会えないよ」
「そんなの分からないじゃないか」
「分かるよ。だって、ずっと通ってても、僕には一度も姿を見せなかったんだから」
その時初めて、僕には陽映が弱音を吐いているように思えた。
どこか寂しげな背中が、たった一人で眠っていた時のアリスと重なった。
月燈舎の扉を開いた瞬間、僕はその場で固まってしまった。
アリスが、真珠のような涙をはらはらと流していたからだ。
大きな天窓の下で月明かりに照らされながら、アリスは店主を見つめながら声も出さずに涙を流していた。
店主はそんなアリスをどこか困ったような表情で見つめ、空になってしまったカップを手袋越しの手の中で弄んでいる。
その時僕は、なんとなく悟ってしまった。
陽映があんなに寂しげな背中をしていたのも、今アリスが泣いているのも、全てはこの月燈舎の店主の為なのだと。
店主は天窓から射す月の光に白い頬を輝かせながら、薄い色の瞳を僅かに伏せた。
「僕が死んだら、海の奥深く沈めて欲しい。そして、できることならば、たくさんの花と共に、全てを燃やしてから、海にその灰を流してくれないか」
店主の口から放たれる言葉に、僕は何も言う事が出来なかった。
「先代の主人がよく言っていた言葉だったね。ねぇ、アリス。私は彼ではないんだ。だから私がその子と会っても、きっと無駄だよ」
アリスは首を横に振った。
大粒の涙が床に落ち、美しい雫が一瞬だけ透明な花を咲かせた。
「マスターはもういない。だけど、この月燈舎にはもう貴方しか残っていないんだ。マスターの想いを全て背負った貴方になら、資格があるはずなんだ」
「・・・・・・」
「マスターの最初の子供は僕じゃない。貴方なんだ。その皮膚も、髪も、瞳も、声も、笑顔も、全て、受け継いだのは僕じゃない。たった一人しかいないんだ」
「・・・・・・」
「月時計という寿命を与えたのは、貴方が作った子供達にだけでしょう?」
そう言われて、初めて店主の顔色が変わった。
「昔、設計図を見たことがある。マスターはあまり乗り気ではなかったから、ほとんどは貴方一人でやったことだよね。あの子とっては、貴方がこの世で一番会いたい人なんだよ」
僕はその時、目の前の光景を見てどうしようもなく悲しくなってしまった。
静かに一筋の涙を流した店主の頭上には、あの少年と同じ、月が浮かんでいたから。
底の見えない海が広がる海岸には、もう黒服の少年達はいない。
白い花だけが、ぽつりぽつりと浜辺に咲き誇り、パァルのように輝きを放っていた。
それは全体がまるで、寿命を持たされた自動人形の為の柩のようだった。
2つの月が2人の頭上に浮かんでいる。
本物の月も星もない今日の空は、紺色のインクを流したような深い夜だった。




