表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻獣と魔女の箱庭 ~愛を知った幻獣は、案外しつこい。~  作者: 彩羽やよい
第3章:悠久の庭園

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/24

第17話:時の歩幅 ―長命の者の戸惑い―

 ドラクロワ城を包む空気は、いつしか鋭い透明感を帯びていた。

 初冬の気配が混じり始めた、秋の終わり。

 西塔の窓辺では、アマンダが手入れを続けている星灯り草が、青白い光を宿し、石造りの回廊へ幻想的な陰影を落としている。


 その回廊を歩く足音は、軽やかながらも危うい、幼子の響きではなくなった。

 幼い頃の柔らかな丸みは面影に留まり、背はすらりと伸びている。


 セレスティアは、十五歳になっていた。

 歩く姿には、魔女の血がもたらす優雅さと、幻獣の血が宿す静かな力強さが同居している。


 漆黒の髪と尾の先端には深い蒼の毛並みが混じり、髪や蒼い瞳の奥には、変わらず星屑が瞬いている。

 父譲りの獣の耳は、感情の機微を鋭く拾う。

 両親から受け継いだ端正な顔立ちは、成長と共に、完成された美しさへと近づきつつあった。


 西塔の一室で、セレスティアは荷物を整理していた。

 使い古された木箱の中から現れるのは、彼女の過去の断片たちだ。


 ピピが几帳面すぎるほど丁寧に、箱に詰めて保存していた、指先で摘めるほど小さな幼児用の革靴。

 遊び疲れて放り出したままだった、星形の石の玩具。

 アマンダと一緒に作った、今はすっかり乾燥して、琥珀色になった押し花。

 そして、まだ文字も覚えたてだった自分が、懸命になぞった星図の写し。


「……こんなに小さかったの?」


 セレスティアは、手のひらに乗るほどの靴を、不思議そうに見つめた。

 傍らで箱を整理していたピピは、変わらぬ少年の姿で、くすくすと喉を鳴らす。


「小さかったんですよ。信じられないくらいあちこち動き回って、僕の大事な図面を何度、涎まみれの玩具にされたことか」


 呆れたような言い草だが、その灰色の瞳には隠しきれない慈しみが滲んでいる。


「えへへ、やめてよ。恥ずかしいなぁ」


 セレスティアは苦笑しながら、自分の掌と小さな靴を見比べた。

 成長というものは、毎日鏡を見ていても気づかない。

 けれどこうして、物として過去を突きつけられると実感する。

 時間が自分の身体を確かに作り替え、前へと押し進めてきたのだと、胸に沈む。


 ふと、セレスティアは窓硝子に映った自分の姿を見た。

 かつては窓枠に手をかけるだけで精一杯だった場所に、今は自然に指が届く。

 父の尾にしがみついて運ばれていた自分は、もういない。


「戻ったぞ。何やってんだ?」


 ふいに、背後から声がした。

 振り返ると、訓練から戻ったばかりのルシアンが立っていた。


 濃藍の髪や耳も、鋭くも深い、サファイアブルーの瞳も。

 体格も、低く優しい声も、しなやかな尾も。

 時が止まったかのような、峻烈な肉体。

 彼を構成するすべてが、セレスティアの記憶にある父のままであった。


「いろいろ、昔のものを片づけていたの。お父様、本当に変わらないね」


 深い意味はなかった。

 ただ、自分の背が伸びたことと対比して、無意識に漏れた言葉だ。


 だが、それを聞いたルシアンは、言葉を失って動きを止めた。

 幻獣の血、(つがい)である魔女との魔力共生、そして蒼角を介した循環。

 それらが彼の時間を、普通の人間の尺度から切り離している。

 彼にとっては自明の理だ。


 だが、ルシアンは雑には受け流せずにいた。

 愛娘が初めて、その不変の不気味さに触れた瞬間に立ち会っているのだと、気づいていたからだった。


 陽光が、冬を予感させる冷たい輝きとなって、庭園へ降り注ぐ午後。

 セレスティアは、ベルローズと並んで、薔薇の花がらを切り落としていた。


 ベルローズもまた、娘の記憶にある母の姿を、一片も違えず保っている。

 漆黒の髪、燃えるような深紅の瞳、そして一部が蒼く結晶化した漆黒の角。

 彼女は、時間の流れから切り離された黒薔薇のように、そこに佇んでいた。


 自分の手は大きくなり、髪は伸び、身体は少女から大人への境界線を越えようとしている。

 それなのに、母は、父は、精霊たちは――。

 どうして、あの頃と同じ姿で見守り続けているのか。

 その違和感は、明確な恐怖ではなかったけれど、小さな棘が刺さったように、歩くたびに胸の奥をちくりと突く。


「お母様も……、ずっと同じなの?」


 剪定鋏を動かすベルローズの手元が止まる。

 彼女は顔を上げず、けれど静かな声色で答えた。


「ええ、そうね。……私たちの時間は、人間のものとは少し歩幅が違うの」


 離れた場所で、ルシアンもまたその会話を、耳を澄ませて聞いていた。

 ベルローズは静かに続けた。

 セレスティアもまた、いずれ成長の速度を緩め、ある時点で外見の変化が止まるだろう、と。


 幻獣と魔女の命を継ぎ、星と月の魔力を併せ持つ。

 彼女は、普通の人間の寿命という短い鎖には繋がれていないのだ。


「そうなの?」


 十五歳のセレスティアには、百年や千年という時間の質量は、まだ想像の域を出ない。

 ただ、自分の家族がこの世界において異質であり、永遠に等しい旅路を共にする存在なのだと、ぼんやりと理解し始めていた。


「変わらないんじゃありませんよ。時間の流れ方が違うんです」


 いつの間にか、ピピとアマンダも傍に寄っていた。

 かつては、彼女を育てていた精霊たち。

 彼らもまた、見た目だけで判断すれば、今や彼女の友人のように見えるほど、変わらぬ姿で微笑んでいる。


「城の石壁だって、見た目には変わらなくても、内側には何百年分の雨の跡や、風の記憶を蓄えています。それは僕も同じ。蓄えているものは、確実に増えている」


「古い木も、若木よりゆっくりと変わります」


 アマンダは枯れ葉を拾い上げ、それを柔らかな手つきで弄びながら語る。


「でも、季節を知らないわけではありません。根は深く伸び、年輪が刻まれている。私たちは、セレスティア様とずっと一緒にいます。流れる速度を合わせながら」


 ピピとアマンダの言葉は、陽だまりのように優しい。

 けれどセレスティアの心には、かすかな不安が残った。


 自分もいずれ変わらなくなるなら、今のこの成長していく自分は、どこへ消えるのか。

 永い時間の中で、自分はどれほどのものを見送り、どれほど多くの孤独を呑み込まねばならないのか。


 夕方、西塔の最上階。

 セレスティアは一人、古い星図を広げていた。

 幼いころは、美しい絵として眺めていた星座の記録を、今では一族の知識として読み解けるようになっている。


 星々は、地上から見れば不動の宝石に見える。

 だが、悠久の時の中では、位置を変え、光を失い、新しく産声を上げている。

 変わらないものなど、本当はないのかもしれない。

 ただ、人によって見える速度が違うだけなのだろうか。


 ふいに、重いノックの音が響いた。


「はい、どうぞ?」


 セレスティアの了承を得て入室してきたのは、ルシアンだった。

 彼は娘の姿を、蒼い瞳でじっと見つめると、静かに問いかけた。


「怖くなったのか?」


 彼は、細かい理論は語らない。

 それでも娘が抱える不安を、その獣特有の嗅覚と耳の動きで、正確に察知していた。


「うーん、……よくわからないの。でも、変な感じ」


「…………」


「私だけが変わっているみたいで、取り残されるような、追い越していくような……」


 ルシアンは隣へ立ち、星図ではなく、窓の外の夜空を見上げた。

 そして、大きな手で彼女の頭を少し乱暴に、けれど丁寧に撫でた。


「お前だけじゃねぇよ。俺も、お前の母さんも、ピピもアマンダも……、ちゃんと変わってる。ただ、外側から見えにくいだけだ」


 ルシアンは真剣な眼差しで、娘を見つめ直す。


「何百年経とうが、お前は俺たちの娘だ。形が変わろうが変わるまいが、その事実は死ぬまで、いや、死んでも変わらねぇ」


 甘さのない、けれど逃げ場のない確信。

 セレスティアはその不器用な言葉に、(いかり)を下ろしたような安心感を覚えた。


 『何百年』という時間の重さは、まだ胸の奥で冷たく沈んでいる。

 けれど、両親が、精霊たちがそばにいること。

 自分もまた、彼らと同じ永い時間を歩いていく存在なのだということ。

 その両方を、彼女は冷たい空気と共に吸い込んだ。


 再びノックの音が響き、ベルローズ、ピピとアマンダも、セレスティアの私室を訪れた。


「どうしたの? みんな揃って」


「まだ、お部屋の整頓が終わってませんでしたからね」


 ピピは、セレスティアが父との対話で、わずかな安心を得たことを察したようだった。

 彼は目元を少し緩めながら、古い幼児服を大切に箱へしまい込んだ。


 ベルローズは何も語らず、少し寒そうにしていたセレスティアの肩へ、自らの香りが残る漆黒のショールを掛ける。

 アマンダは窓辺に、新しい星灯り草をそっと飾った。


 セレスティアは、箱の中に仕舞われた小さな靴と、今の自分の足元を見比べた。

 成長とは、ただ失うことではない。

 かつては見上げるだけだった夜空の問いへ、自らの意志で手を伸ばせるようになることだ。


 窓の外では、秋の夜空に星が瞬いていた。

 星は変わらぬ顔をして、見えない時間の底で、少しずつ巡っている。


 セレスティアは、不変の父と母の間に立ち、その光を見上げた。

 まだ理解しきれない永い時間の入口へ足を踏み出した、一人の少女として。


 彼女の瞳に宿る星屑の輝きが、夜空の瞬きと重なる。

 ドラクロワ城の、新しく永い夜が、静かに過ぎてゆく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ