曹和と曹操
前から三国志の小説を書いてみようと考えていたのですが、ようやく書くことができました。
後漢末期、時は後漢第12代皇帝霊帝の時代。
冀州鉅鹿より誕生した太平道は、張角を教祖に、張宝、張梁の三兄弟によって数十万の太平道の信徒を三十六の軍団に分けた。
太平道の信徒は「蒼天 已に死す。黄天 當に立つべし」と口を揃えながら進軍している。
万単位の太平道の信徒が進軍している様子を、二人の男が丘から見ていた。
「兄者、斥候の報告通り、黄色の頭巾を頭に巻いた農民たちが少なくとも一万はいるようだ」
「そのようだな。目の前の敵は一万、一方こちらは五千足らず。しかも、預けられた官軍の練度はあまり期待できない……。さて、どうする子元?」
子元と呼ばれた男は、丘の上から黄巾軍の大軍の中で馬に乗っている男を凝視する。
「一万と言っても、所詮は農民の烏合の衆……。黄巾軍を率いる指揮官の首を取ってしまえば、残りは勝手に散っていくだろう……。ここは、あの指揮官一人を狙う策でいくべきかと」
男は隣にいるもう一人の男に、指揮官の首を狙うべきだと提言する。
「指揮官を狙うか……。悪くはないが、どうやって指揮官のところまでたどり着くつもりだ? 農民の烏合の衆といっても、一万いる敵の壁は簡単には破れないぞ」
「兄者はここにいる官軍五千を率いて囮になり、俺がそのうちに横から騎馬で突っ込んで、敵の指揮官の首を狙えばいい」
自信満々に策を述べるが、もう一人の男はわずかに蓄えている髭を触りながら、不満げな表情を見せる。
「子元、お前は頭の回転は悪くないが、もっと最善の選択肢を選ぶべきだ」
「では兄者が言う、最善の選択肢とはなんだ?」
「一つ、地形を利用するべきだ。こちらは相手の動きが手に取るようにわかる絶好の位置にある。絶好の地形を利用しない手はない」
「では、丘の上から全軍で突撃する策にするべきだと?」
「待て待て、まだ話は終わってないぞ。二つ、敵はおそらく官軍が来ていることには気づいてはいるが、こちらの居場所までは気づいていないはず。相手が気づく前に、五千を五方面から一斉に攻撃し、相手が怯んでいる隙に敵の指揮官の首を狙う」
「なるほど、さすが兄者だ。早速、軍を分けて策の準備をしなくては。おい、伝令!」
気迫のこもった声で近くにいる伝令を呼び出そうとする。
「伝令の必要はない、子元」
「どういうことだ、兄者?」
「すでに策の準備はできている。あとは、号令するだけだ」
「……さすが、兄者だ!」
曹和は兄の策がすでに整っていることに一瞬の驚きを見せたものの、すぐに頭を切り替える。
「子元よ、お前は武に関しては最早何も言う必要はない。だが、お前の弱点は知だ。知に関しては、己の答えを五度疑うように心がけよ。今は未熟でも、これから先、未熟なままでは生き抜くことはできないぞ」
「御意……。それより兄者、これから先、生き抜くことができないということは何か始めるのか?」
「わからんか!? 黄巾を巻いた反乱軍は誰だ!? 言うまでもなく農民だ! 農民は漢の臣民、その臣民が反乱を起こしていることは、紛れもなく漢の力が絶えているということだ。この反乱が鎮圧された先は、群雄割拠の時代の到来だ。そして、群雄割拠の時代を制するのは、この曹孟徳に他ならぬ!!」
もう一人の男こそが、二十にして孝廉に推挙され郎となり、洛陽北部尉に任ぜられ、洛陽で宦官さえも処刑するほどの公平さで名声を得た人物。
姓は曹、諱は操、字は孟徳である。
そして、曹操に子元と呼ばれていた男。
曹操の実の弟にして、姓は曹、諱は和、字は子元である。
すでに反乱の先を見据えている曹操に、曹和は感服しきっていた。
曹和と曹操は後漢の都、洛陽に近い豫州潁川に向かっている。
朝廷は黄巾の乱を起こした太平道の教祖である張角がいる冀州広宗県より、洛陽の近くにいる張宝、張梁の方に全土から集めた兵を集中させている。
「子元、この黄巾討伐で名を挙げ、この曹孟徳と共に中華全土をこの手に収めてみようぞ!」
曹操は曹和よりも先に馬に乗り、丘から勢いよく下っていく。
「(そうだ、これが兄者の戦い方だ! この曹和は兄者の手足となればいいだけだ!)」
「兄者に後れをとるわけにはいかない! 全軍に通達させよ、敵を一網打尽にせよと!」
近くに控えていた数人の伝令が曹和の言葉を聞き終えると、すぐに散っていく。
伝令に命令を伝えた曹和はすぐさま騎乗すると、曹操と同様に勢いよく丘を下っていく。
総大将が兵卒よりも先に突撃したとなると、官軍の兵士も自然と士気が上がる。
なにしろ、総大将自ら敵陣に向かったのだから。
総大将曹操、弟曹和、この二人が官軍五千を率いる指揮官だが、指揮官を死なせてしまえば官軍の名に泥を塗ることになる。
五つの軍に分かれた官軍は、曹操の動きに合わせるかのように動き始める。
「兄者、総大将が先陣を切ったら軍を指揮する者がいなくなる。兄者はゆっくり丘の上から眺めていてくださいよ」
曹操に一瞬の遅れをとった曹和。
だが、馬の手綱を緩めることなく、丘の上から飛び出した勢いそのまま、すぐに曹操に追いついた。
「何を言うか、子元。総大将たるもの――」
曹操が言葉を続ける前に、曹和は手綱を右手から左手に持ち替えると、右手の指を二本、軽く上に上げる。
右手の指が上がるとほぼ同時に、屈強な兵士の格好をした騎兵が曹操の進路を遮るように周りを取り囲む。
曹操は屈強な兵士を見ると、諦めたような表情で馬の足を止める。
「黒騎か……」
曹操が呟いた「黒騎」は、曹和が己の私兵として雇っている、馬をすべて黒の馬に統一した護衛兵のことである。
曹和が厳しく鍛え上げた「黒騎」は五十、そのうち二十が曹和の命令で曹操の護衛につく。
曹和の黒騎は命令を簡略化されており、指揮官である曹和が指で指示すれば、すぐさま曹和の指示した陣形に形を変えることが可能だ。
すでに日々の訓練で命令が体に染み込んでいる黒騎の兵士は、迷いもなく命令に従う。
曹和は曹操に護衛をつけると、隣を駆ける黒騎の男に声を掛ける。
「李交」
李交と呼ばれた男の右目には、大きく剣で切られた跡がある。
李交は曹和の声にすぐに反応する。
「ここに」
「敵の指揮官の首を狙う」
「御意!」
最小限の会話にもかかわらず、曹和と李交の間にはそれ以上の長い会話は必要ない。
「では、兄者。戦勝を!」
「待て! さっきも言ったが突っ込むのは――」
再び曹操の声を無視して、黒騎を従えた曹和は黄巾軍指揮官のみに狙いを定める。
曹和が曹操と会話していた間にも、官軍は数にも勝る黄巾軍を相手に善戦していた。
五方向から挟まれた黄巾軍は、官軍の奇襲に加えて、黄巾軍を率いる指揮官までもがろくな指示をしないまま戦いに突入してしまった。
黄巾軍の大半は素人の農民。
しかも、ほとんどの農民が武器らしい武器は持っておらず、中には石ころ一つを持って戦っている農民もいる。
一方、官軍は全土から徴兵された兵士だが、練度は素人の農民よりは高く、武器も支給されている。
総大将曹操が形だけとはいえ単騎で突撃したことによって官軍の兵士の士気は最高潮に達し、徐々に黄巾軍を押していた。
「雑兵は無視して、敵の指揮官だけを狙えー!」
「勢いはこちらにあるぞ!」
五方面を指揮する官軍の指揮官も自ら前線に出ようとする。
黄巾軍はすでに官軍の猛攻に戦意を喪失し始めているが、曹和は目の前を邪魔する雑兵を切り進みながら、じわじわと黄巾軍指揮官との距離を詰めていく。
すでに目と鼻の先に黄巾軍指揮官が見えている。
だが、黄巾軍の頭脳ともいえる本陣。それまでの雑兵とは違い、今まで官軍と戦ったことがあるであろう黄巾軍の兵士が曹和の前に立ちはだかる。
「邪魔だ、どけ!」
怒号にも近い雄叫びを上げながら、剣を振るう。
一人、また一人と曹和の剣によって倒れていく。
曹和の剣を受け止めようとした兵士は、剣を構えるよりも早く斬り伏せられる。
横から槍を突き出してきた兵士には、馬を僅かに横へ寄せることで攻撃をかわし、そのまま剣を振り抜く。
曹和にとっては、目の前にいる兵士一人一人を相手にしているという感覚すらなかった。
ただ、目の前にいる敵を斬り、黄巾軍指揮官との距離を縮めていく。
黒騎も曹和に負けじと死にもの狂いで、主人である曹和に黄巾軍を近づけさせない。
黒騎の獅子奮迅の活躍もあり、一瞬ではあるが黄巾軍指揮官への道が開かれた。
曹和は開かれた一瞬を逃さず、渾身の雄叫びを上げながら黄巾軍指揮官に近づく。
「我が名は曹和! 黄巾軍の大将の首、貰い受ける!」
「小癪な若造が!」
黄巾軍指揮官は、歳を取った痩せた男だった。
曹和は指揮官を見て、口元に笑みを浮かべる。
黄巾軍指揮官は豪快に剣を上に構えながら、曹和めがけて一直線に突き進む。
曹和も逃げることなく、迫りくる剣を見据える。
あと一歩。
互いの馬が交差する瞬間、曹和は僅かに身体を沈める。
黄巾軍指揮官の剣が曹和の頭上を通り過ぎる。
その瞬間、曹和は剣を振り抜いた。
ザッシュと何かがきれいに切れた音がする。
主を失った馬は一直線に駆けていく。
「曹操軍の副将、黄巾軍の大将を討ち取ったぞ!」
勝者は曹和。
敗者は黄巾軍指揮官。
次回の更新は6月14日になります。




