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水琴窟(過去の残骸寄せ集め)  作者: kagonosuke
ファンタジーⅠ:
5/5

5)闇に寄り添う男

一話目の「風のような男」と対になっています。


「なあ、修理(しゅり)

 隣が何度目かの寝返りに身じろいだとき、俺は闇に沈む天井の木組みをぼんやりと目にしながら、まだ眠れないでいる様子の相方へと呟きを漏らしていた。

「眠れないんですか?」

 囁きに乗せて、修理がこちら側に身を翻したのが分かった。

「ん、まあな」

 鼻の頭を掻いて見せると、

「昼間、大鼾をかいていたからですよ」

 苦笑を滲ませたのんびりとした声が聞こえてきた。

 お互いにそれが方便に過ぎないことは分かっていた。だからといって、修理は別段急かそうとも詮索しようともしない。これは、いわば言葉の遊戯(ゲーム)だ。

 月明かりが小さな窓辺から差しこむ室内は、思いの外明るかった。藍と群青のグラデーションが、秋風そよぐ木々のざわめきに乗って揺れている。一人にしては大きいが二人横になるには少々手狭な寝台の上、手を伸ばせばすぐそこにある、温かいもう一つの体温が、今夜は何故か心地よかった。


「……静かだな…」

 人の生活からは切り離された森の中。時折、聞こえてくるのは、ふくろうの鳴声、虫の音、風の音ばかりで、この場所が街の外れで、少なくとも四半時も歩けば、賑やかな喧騒にぶつかるということをつい忘れてしまいそうになる。

 修理は身じろぎせずに、俺から続いて紡ぎ出されるであろう言葉を待っていた。

「ここには、もう三年になるか……」

 老師の元を出て以来、各地を転々とし、一つ所にまともに腰を据えたことのなかった男が、ここに居を構えてから、もう三年も動いていなかった。どういった心境の変化なのだろうか。それを前から聞きたいと思っていた。

「意外ですか?」

 謎掛けをしているかのような軽やかな響きが楽しそうに返って来た。

「居心地がいいのか?……それとも、情が移ったか?」

 修理がこの街に随分と解け込んでいるようなのには、前回、訪ねた時に気がついていた。街の人も何かと修理を頼りにしている様子であった。

「よいところですよ。…ええ。ここは……よい…ところです」

 じっくりと、まるで、そう煙草を飲む輩がその白煙を細く長く美味そうにたなびかせるように、吐き出されたその一言で、修理が少なくともこの土地に愛着らしきものを感じていることが知れた。

「ですが、ここも私にとっては、仮の住まい。そのことに違いはありませんよ」

 修理が自嘲気味に微笑んだ声音で呟いた。

 あとどれくらいここにいることになるのか、それは修理にも、ましてや俺にも分からないことだろう。

「ねえ、宿禰(すくね)。帰って来る場所があるというのは、よいものなのですね。例え、そこに人がいようといまいと、自分を受け入れてくれる場所があるというのは、………とても贅沢なことです。………私は、欲張りになってしまったのでしょうかねぇ……」

 小さく吐き出された溜息に、そっと首を回すと、すぐ側には、目を閉じた修理の横顔があった。闇の中、華奢な輪郭がほの白く浮かんでいる。その感情を削いだ能面のような表情は、どこか作り物めいていて、ひどく脆く見えた。手を伸ばせば、そこにあるはずの体温をその頬にも感じられるに違いないのに、それが躊躇われてしまうのは、何故だろう。こんなにも近くにいるというのに、その物理的な距離に反して、ここに横たわる俺達の見えない狭間は、恐ろしく深かった。そうやって、修理はいつも一人で、俺には想像の及ばない、遥か遠くを見つめているのだ。

 端から見ればとてもささやかな日常にさえ、修理は眩しそうに目を細める。他愛ない日々がどれほどまでに愛しく、大切か。そして、それを手にすることの怖さを知っている。それに慣れてしまうことの怖さを。

 ――帰る場所があるということ。

 ――無条件に包み込んでくれる人がいるということ。

 浮き草の如く流れてきたこれまでの暮らし。それは半分、自ら望んだ結果でもあり、もう半分は、そうせざるを得なかったからでもあった。俺も修理もそれは重々承知しているのだ。幼くして故郷を捨てなければならなかった少年は、無意識にどこにも見つかるのとのない安住の地を求めているのだろうか。


 幼い頃、相次いで両親を失い、早々に孤児になった俺を拾ってくれたのは、図書(ずしょ)老師だった。その時以来、俺にとっての拠り所は老師であり、師の暮らす家が、俺の帰る場所みたいなところとなった。

 だが、修理の方は違った。俺と違ってそんなに簡単なことではなかったのだ。気がつくと、修理はいつも一人で、どこかへ行ってしまうのだ。束縛を許さず、人からの優しさを自分から求めることはしなかった。他人の温もりを、どこかで信じていないのだろう。それは、留まることを知らぬ水のようで、どんなに懸命に掬おうとしてみたところで、いつも指の合間からするりと抜け出てしまう。



「なあ、修理(しゅり)

 俺は、もう一度その名を舌に乗せた。これまで、決して口にしたことのなかった言葉だけれども、今、ここで伝えておかなくてはという気になった。

「俺も、図書(ずしょ)のじいさんも、待ってるからな」

 いつも遠くばかりでなく、時には足下も見て欲しいから。そして気がついて欲しいのだ。 今の修理にはちゃんと帰って来る場所があるということを。待っている人がいることを。それを忘れないでくれ。

 ―――お前は決して一人じゃねぇ。

 そっと伸ばした指先に、規則正しい寝息が触れて俺は苦笑に顔を歪めた。そのまま、柔らかい頬を軽く突付くと、落ちかかる前髪を掻き揚げてやった。指先に触れた馴染みある温もりに、俺は何故か泣きたいような気分になりながらも、ほっと溜息をついたのだった。


 お前が何を思って旅を続けているのか、いつか聞いてみてもいいだろうか。

 冷たくなった夜気に、上掛けを直してやると、俺もゆっくりと目を閉じたのだった。


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