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3.残業手当は出ていない 【起】

タイトルが思いつきませんでしたが、普通であることに飽いた女の子の話です。久しぶりの更新ですが、暇つぶし程度にどうぞ。

 あたしの名前は近江 千夏おうみちなつ。ごく普通の高校に通っている、ごく普通の女子高生だ。幼いころは今よりもやんちゃな子どもで、男の子と遊ぶのが普通だった。あたしもそれで良いと思っていたのに、あるときを境にして、あたしはみんなの言う「普通」の女の子になってしまった。

 別に、そうあるように意識したかったわけではない。だけど、親が言っていたことや周りを見ていると、それが「普通」のことのようだった。背丈が大きくなるにつれて「女の子らしく」という言葉が当たり前になっていくのが少しだけ不満だったのは、あたしだけじゃない気がする。

 それでも、周りから嫌われないようにするには「女の子らしく」しなければならなかった。

「あーぁ、つまんないなぁ」

 クラスで浮かないように友達に合わせて笑って、怒って、たまに授業をサボって。昼休みはいつも同じ友達と弁当を食べる。

「ねぇ、千夏。こんな噂って聞いたことある?」

「んー?」

「学校の通り道に、開かずの踏切ってあるじゃん?」

「うん」

「あそこにね、夕方の六時に、出るんだってさ」

「……何が」

「恨みを残して行った少年の幽霊!」

「ふぅん」

「えー、千夏ってばノリ悪いー」

「だって、あたしそういうの信じてないし」

「ま、このエミ様のお話をよーく聞きなさいな」

「はーい」

 友達の瑛美から聞いた話によると、その幽霊はこの学校の出身で、いじめを苦に投身自殺した霊なのだそうだ。その少年の霊は今でもいじめた人たちを探し、見境もなくあの踏切を通りがかった人たちに手招きして死を呼び込んでいるのだそうだ。

 どこにでも聞くようなオカルト話だけど、何もない補習だけの夏休みを過ごすよりは楽しそうかもしれない。

「……なんか、面白そう」

「千夏ならそう言ってくれると思ったー!」

「ね、それならさ、今日の帰り道にその踏切に行ってみない?」

「いいね、それ。あ、あとキナとミオも誘おうよ」

「樹奈と澪ね。うわー、何だか楽しみになってきた!」

 この二人は元からこういった怖い話とか好きだから、何だか盛り上がりそうだ。キナは普段から霊感があると豪語しているし、ミオはいつもその話をのんびりとした顔で聞いている。ミオも幽霊話が苦手という訳ではなさそうだ。あまりそういった話をしたがらないけど。

「早く放課後にならないかなぁ」

 昼休みの終了を告げるベルが鳴り、一斉に教室へ生徒が席に着く。それから授業が再び始まったけど、あたしはその間もずっと放課後について想いを馳せていた。どのくらい考えていたかというと、授業が終わった途端に帰り支度を済ませるほどだ。今のあたしには、退屈な授業よりも身近なスリルの方が大切だ。

 これから行く場所を想像して、少しの恐怖と期待を抱えながら鞄を背負う。その横からエミがあたしの顔を覗き込んできた。

「千夏ってば、早すぎー。どんだけ楽しみなの」

「そんなのいいの、いいの。だって、つまんない授業よりも楽しそうだもんね」

 呆れた顔をするエミに笑いながら答えると、隣にいたキナが楽しそうな顔をしてミオの肩を抱く。やっぱり仲が良いなぁ、この二人は。

「ねぇねぇ、行く前にコンビニ寄ってお菓子とかジュース買おうよ」

「あ、私お金あんま無いや……キナ貸してー」

「いいよー。ミオには特別に500円を貸してしんぜよう!」

「ははーっ、ありがたき幸せ!」

 キナとミオの会話に思わず笑ってしまう。いつ見ても、この二人の小芝居は飽きないなぁ。みんなで自転車を漕ぎながら近くにあるコンビニに寄って、それぞれの目当てのジュースやお菓子を買う。今度はキナがエミをからかって、それに気付かずにミオも一緒になってからかって、私たちはよく笑っていた。こんな情景も、いつもと変わらない。

 楽しいけれど、どこかマンネリ気味で。そう感じていたからこそ、エミが話してくれた踏切の幽霊少年の存在に惹かれたのだと思う。

 開かずの踏切のある場所にたどり着いたのが、夕方の六時過ぎだった。辺りには林が並び、その奥では蝉たちがここぞとばかりに大合唱している。近くにある田んぼからは、こおろぎの鳴き声も聞こえてくる。

 ふと横を見てみると、キナは嬉しそうに辺りを見回していた。キナの傍で少しだけ怯えた顔をするエミを見たミオは、にこにことその様子を見守っている。エミはこういう話を面白がったりはするものの、あたしたちの中では少し怖がりなところがあった。このままでは何だかエミがかわいそうだ。

 エミを勇気づけるために、あたしはエミの肩を叩いてから自分の胸を叩いた。

「だーいじょうぶだって。あたしが幽霊なんか蹴飛ばしてやるよ」

 その様子を見たキナは何かを思いついたとでも言いたげな顔になり、わざとらしく両手を頬にあてて「女の子らしく」振る舞う。

「あーら。随分と強気だこと、千夏さん?」

「もう、からかわないでよ。こう見えてあたし昔は男勝りの千夏って呼ばれてたんだからね」

「あらあら、ごめんあそばせー」

「キーナー?」

「あははっ、冗談だって。ミオ助けてー」

 いつまでたっても面白そうに笑ってからかうキナに半ば本気で怒りながらも、あたしも辺りを窺った。時間通りとは言えないけれど、出ると噂の時間だ。噂話になるまで有名なのだから何かしら怪しげなものが見えてもおかしくないのに、まるで何もない。今までに一時間に一、二回鳴るかどうかの踏切がそこにあるだけだ。

「変なのー。何も出ないねー」

「やっぱ噂話だったのかなぁ」

「なーんだ」

「もう遅いし、帰ろっか」

 エミがそう言って踏切に背中を向けた。それを見たキナやミオは、まだ少し怖がっているエミをからかいながら自転車のサドルにまたがる。今日のところは期待外れだったということで、もう引き上げるようだ。何だかつまらないな。

「あーあ……」

 期待していた分だけ落ち込んで、あたしも三人にならって背中を向けようとした。もともと信憑性のない話ではあったから、みんなにとっては面白半分のつもりだったのだろう。これも青春時代の笑い話になるのかな、なんて考えていると、視界の端で何かが動いたような気がした。

「!?」

 慌てて振り返ると、そこにはさっきまでなかった人影が、あたしたちに丸い背中を見せて踏切の中に蹲っている。後姿だからなのか、辺りが暗いせいなのか、人影はまるで黒いクレヨンで塗りつぶしたように真っ黒で、どうにも生きている人間のようには思えない。

 背筋が一気に凍る感覚がして、喉が渇く。身体はぴくりとも動かなかった。


 もしかして、あれが。


「ま、まさか」


 遠くの方から、あたしを呼ぶエミ達の声が聞こえる。おかしい、みんなとはそれほど離れてはいない筈なのに。それに、さっきまでうるさかったセミの鳴き声も聞こえない。


声が、

音が、


何もかもが、


遠い。



「幽霊、なの?」



 真っ黒い影がゆらりと揺れ動き、足元からだんだんと姿を現してくる。ぼろぼろになったスニーカーを履いた、薄汚れた短パンから擦り傷だらけの足に、生傷の絶えない両腕や短い黒髪の人影。後ろを向いているせいか顔は分からないが、背格好から考えて子どもだろうか。こんな真夏に真っ赤な長いマフラーを首に巻いているのが目に映る。

 その子がゆっくりと顔を振り向かせた。あぁ、このままではあの子の顔が見えてしまう。何となく見てはいけないような気がするが、体は一向に動かせない。金縛りにでもあったみたいだ。


「あ、あ……」


 その横顔の輪郭がぼんやりとしたものから、はっきりしたものに変わっていく。





 そして、子どもの真っ黒で虚ろな瞳と、目が合ってしまった。





「千夏!」





 ぐいと肩を後ろに引かれ、はっとなる。気が付くと、そこには何もいなかった。ここにあるのは、何事もなかったかのように鳴く蝉の声や、心配そうな友達や好奇心を抑えきれない友達の話し声に、踏切の中を照らす夕陽だけだ。今ここにはあたしの変わらない日常にある。あんな真っ黒い影なんてどこにも見当たらない。

 正気に戻った今でもまだ背筋が冷たく、呼吸もしにくかった。あの虚ろな瞳は、何だったのか。幻か、本物か。どちらにせよ、恐ろしい。

「どうしたの、千夏。ぼーっとして」

「あ……」

「なになに、何か見えた?」

「えー。どんなの、どんなの?」

「ちょっと千夏、大丈夫? ……顔真っ青だよ」

 目を輝かせてくるキナやミオに、心配そうに聞いてくるエミの顔を見て、さっきのアレは見えていないのだと分かった。

 そうとなれば、早くこの場を取り繕わなくちゃ。本当にこの目で見えたものの話をしても、信じてくれないかもしれない。実際にあたし自身も信じにくいことだ。ここで下手にこの場を騒がせても、あたしが変だってことになっちゃう。

「え、と、何か暑くて、さ。熱中症かなぁ?」

「何それ。ほんと千夏ってば、大丈夫?」

「だ、大丈夫よ。もう早く帰ろう。あたし疲れちゃったー」

「そう? ……まぁ、いっか。私もお腹すいたー」

「ウチも遅くなったら怒られちゃうー」

「ミオの家、厳しいもんねー」

 のろのろとみんなが自転車のペダルを漕ぎ始める。良かった、上手く誤魔化せたみたいだ。だけど、後ろにある踏切の方を振り返って確認する勇気はもうどこにもない。早く慣れ親しんだ日常の中に溶け込んでしまいたかった。

 力任せにペダルを漕ぐと、何だか来た時よりも重くなっていたような気がしたが、必死に気のせいだと自分に思いこませる。その間に友達から何かを話しかけられていたような気がするが、今となってはもうどんな返事をしたのかも覚えていなかった。

「ただいまー!」

 無事に家に帰り、明るい玄関の中に転がるようにして入る。これでひとまず安心だ。だけど、この鞄を、いつかあの真っ暗な自室へと持って行かなきゃいけない。

「……あとで、いっか」

 脱力してしまって、玄関に座り込む。何とか暗くなる前に帰ってこれた。途中の道すがら怖いものなんて見かけなかったし、事故もなかった。今日のことは、とりあえず忘れてしまおう。覚えていても怖くなるだけだ。そういえば、撮りためていたドラマがあったっけ。それを見よう。見ているうちに、きっと忘れるだろう。

 大きく息を吐いて天井を見上げると、不意に玄関の扉が音を立てて少しだけ開いたような気がする。

「ひっ!」

 一瞬にして夕方のことを思い出してしまい、扉へと視線を向けた。気のせいだ。きっとあたしの怖いって気持ちがあるから怖いだけなんだ。何でもない、ただちゃんと閉めていなかっただけだろう。

 恐る恐る扉のドアノブを掴んで閉めようとすると、外に何かが立っている気配がした。

「あの、すいません」

「ひゃぁあ!!」

 思いがけなく声をかけられ、声が裏返ってしまう。我ながら情けないとは思うが、これは不可抗力だ。更に言えば、仕方のないことだろう。だって、あんな背筋の凍るものを見た後なら、誰だって怖いはずだ。

「えーと。これ、落としてた。みたい、なんです。けど」

 声の主を目で探ると、身長はあたしの頭一つ分だけ下の男の子が、おずおずといった様子で尋ねていた。声変わりをしていないから、小学校高学年から中学生の間だろうか。

 たどたどしい敬語を使う男の子の手の中には、あたしの愛用のストラップがあった。

「そ、そうなの。ありがとうね」

 目の前にいるから顔に出しづらいが、何とも気味が悪い。どうしてこんな時間に、こんな子どもがあたしの落し物を拾って届けに来たのだろうか。夕方ならともかく、今やもう辺りは真っ暗だ。落し物をしても分かりにくいだろうし、これだけ暗いと、あたしが落としたということも分からないだろう。

「えぇっと、あなたは」

「気にしないで欲しい。えと、あの、それと気を付けて、ください」

「え。何が」

「無暗にああいった場所には行かないで。来ちゃいます、から」

 男の子があたしから顔を逸らし、ぼそりと呟く。何だかその横顔に妙な既視感を覚えた。まさか、この子はあの踏切にいた影なのか。そういえばこの季節に不釣り合いなマフラーもいつの間にか首に巻かれている。一気に恐怖が押し寄せてきたあたしを、男の子が横目で見てきた。



 見間違うことのない。この眼は、あの真っ黒で虚ろな瞳だ。



「いやああああ!!」


 咄嗟に玄関の扉を思い切り閉じてしまい、その物音に料理していたお母さんが何事かとやってきた。あたしは、お母さんに説明する心の余裕なんてないから、必死でお母さんにしがみついて震えていた。

「どうしたの、千夏ってば。怖いことでもあったの?」

 お母さんは戸惑いながらもあたしの背中を優しく撫で続けてくれた。あぁ、あたしの知っている日常に戻ってきたんだ。そんな安心感から、あたしは久しぶりに大きな声を上げて泣きじゃくった。






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