第1章:少年の季節 第6話:蒼き海と、届かぬ風
旅に出て四日目の正午、木々の切れ目から吹き抜けた風に、水の匂いが混じった。
「 海だーーーっ!」
先頭を走っていたツカが大声を上げ、崖の上の開けた場所へと飛び出した。
追いついたサクたちの視界が一気にひらける。
どこまでも、どこまでも続く蒼い水面。
陽光を浴びてキラキラと輝く波が、白い砂浜へと寄せては返し、重厚な地鳴りのような波音を響かせていた。山の中で生まれ育った五人にとって、広大な海は息を呑むほどの壮大さだった。
「すげえ……本当にこんなに水があるんだな……」
サムが背負子を担ぎ直したまま、圧倒されたように口を開けて佇んでいる。
「ふふ、息を呑んでないで降りようよ。塩を汲む場所を探さなきゃ」
マキがくすりと笑い、軽やかな足取りで砂浜へと続く崖道を下り始めた。
アキは皮の図面を広げ、「潮が引く夕方までに浅瀬の岩場へ行こう。効率よく塩分を含んだ土を塗れる」と指示を出す。
その日の午後、五人は夢中で働いた。
仕掛け網で海魚を獲り、平らな岩場に海水と塩土を重ね、カヤたちのために色鮮やかな『どんぐり貝』を拾い集めた。サクも体が重いのを忘れて浜辺を走り回り、仲間たちと波と戯れた。
「サク、ほら! こんなにでかい貝が見つかったぞ!」
サムが自慢げに手のひらほどもある立派な殻を見せる。
「すごいよサム! それ、カヤに見せたらびっくりするね!」
「へへっ、だろ? お前にもっと綺麗なやつ探してやるからな!」
サクの頭をぐしゃぐしゃと撫でるサム。
輝く太陽と蒼い海、そして仲間たちの弾けるような笑顔に
旅路に見たあの不気味な少年の影は記憶からかき消されていった。
四日間の海での滞在と作業を終え、革袋いっぱいの塩と干し魚、たくさんの貝殻を背負った五人は、誇らしげな足取りで村への帰路についた。
徒歩での帰り道——七日目の夕刻。
村まであと半日の距離にある馴染みの山道まで戻ってきた時、アキがふと足を止めた。
「……おかしいな」
「どうしたアキ? 疲れたのか?」
ツカが振り返る。アキは首をかしげ、周囲の木々の梢を見上げた。
「風が吹いていないんだ。……いや、正確には、山の上からの風がぴたりと止まっている」
言われてサクも耳をすませた。
いつもなら、夕暮れ時には山頂の神殿の方角から、心地よい冷気がそよ風となって吹き下りてくるはずだった。だが今、周りの空気は妙に重く澱み、蒸し暑い静寂が立ち込めている。
「まあ、風くらい止まることもあるだろ。早く帰ってお袋の作った温かいメシ食おうぜ」
サムは気にも留めずに先を進むが、サクの胸には再び小さな引っかかりが生まれた。
その夜、村のすぐ近くで最後の野営を張った時だった。
夕闇が深まり、いつもなら遠くから朗々と響いてくるはずの「一日の終わりを告げる鐘」が——。
……鳴らなかった。
五人は顔を見合わせた。
「……鐘、鳴らなかったね」
マキがぽつりと呟く。
「長老のババア、鐘突くの忘れて寝ちまったんじゃねえか?」
ツカがおちゃらけて笑おうとしたが、その声はどこか固かった。
今まで、一日の終わりに山の鐘が鳴らなかったことなど、五人の人生で一度たりともなかったからだ。
風の止まった重苦しい闇の中、サクは自分が拾ってきた綺麗な貝殻をそっと握りしめた。
明日帰るはずの温かい村が、なぜだか急に、はるか遠い場所にあるような気がしていた。




