第1章:少年の季節 第5話:鳴り石の夜と、美しき影
二日目の午前に差し掛かる頃、五人は海へと向かう最大の難所『鳴り石の渓谷』に差し掛かっていた。
切り立った崖の合間を狭い足場が縫うように続き、眼下には白波を立てて奔流する川が見える。風が吹くたび、岩壁の穴がキィンと高い笛のような音を鳴らした。
「サク、足元気をつけろよ! 俺の後ろをぴったりついてこい!」
先頭を行くサムが、何度も後ろを振り返りながら手を差し伸べる。
道幅が足一冊分ほどしかない湿った岩場で、サクがほんの少し足を滑らせた。
「わ……っ!?」
「っとお! 危ねえ!」
サクの背負子の紐を、サムが間一髪で力強く掴み引き上げた。
豪快な力強さ。呼吸を荒くするサクの肩を、サムが力強く叩いて破顔する。
「言っただろ、お前は俺が守るってな!」
「サンキュ、サム……助かったよ」
「ふふ、頼もしいね番長様は。でもあんまり大声出すと、上のガラガラ石が落ちてくるよ」
後ろからついてくるマキがくすりと笑い、アキも「その通りだ。ここを抜ければ野営地だから、気を抜かずに進もう」と冷静に足元を促す。ツカは「へいへい、慎重にな!」と言いながら、一番後ろからサクが落ちないようしっかりと見張っていた。
過酷な自然の中だからこそ、互いを思いやる五人の絆が何より暖かかった。
渓谷を抜けた開けた河原で、五人はその日の野営を張ることにした。
日が落ちると、ツカとサムが手際よく薪を集め、真ん中に大きな焚き火を興した。橙色の火の粉が夜空へ舞い上がり、パチパチと薪が爆ぜる音が暗闇を包み込む。
「はー、疲れた! でも明日には海が見えるんだろ? 楽しみだなあ!」
干し肉を炙りながらツカが笑う。
「海に着いたら、塩だけじゃなくて綺麗などんぐり貝も探そう。カヤたちにお土産にしたら喜ぶよ」
サクが言うと、サムが肘でツカの小脇を突いた。
「お前も村娘に渡す分、一生懸命拾えよな!」
「うるせえ! 俺はでかい魚を干すための塩を獲るのが目的だっつの!」
軽口を叩き合い、笑い声が夜の河原に響く。火の温もりと仲間たちの声に包まれながら、五人はやがて干し草の上に横になり、静かな寝息を立て始めた。
夜半——。
サクは、ふと冷たい肌寒さを覚えて目を覚ました。
焚き火の火は小さく静まり返り、赤黒い残り火がかすかに爆ぜている。
(……風が、止まってる?)
虫の声ひとつ聞こえない異様な静寂。
サクは体を起こし、ふと焚き火の向こう側——闇と河原の境界線に目を向けた。
そこに、「それ」は立っていた。
月明かりの下、ぽつんと佇む影。
それは、サクたちと同い年か、あるいは少し幼く見える少年の姿をしていた。
着ている服はボロボロだが、闇の中でもはっきりとわかるほど、恐ろしいまでに整った顔立ちをしていた。通った鼻筋、透き通るような肌、そして夜空の星を閉じ込めたような妖しい瞳。
(……誰……? こんな山奥に……?)
声をかけようとしたサクの喉が、ぴたりと固まった。
その少年が、サクに向かってふっと微笑んだ瞬間——。
サクの胸の奥から、経験したこともないような強烈な感情が湧き上がってきたのだ。
愛おしい。守ってあげたい。この美しい少年を抱きしめて、すべてを捧げてしまいたい——。
脳を麻痺させるような、甘く重い匂いが鼻腔をくすぐる。
サクの手足からすっと力が抜け、夢を見るような恍惚感が全身を支配しかけた。サクは吸い寄せられるように、ゆらりと立ち上がりかけた。
(あ……あ……)
「サク……? どうした……?」
隣で眠っていたサムが、寝返りを打ちながら薄目を開けた。
サムの低い声が鼓膜を揺らした瞬間、サクの脳裏を包んでいた甘い霧がハッと晴れた。
「え……あ……」
サクが弾かれたように視線を暗闇に戻す。
しかし、そこには誰もいなかった。ただ冷たい河原の石コロと、静かな闇が広がっているだけだった。
「……夢……か……?」
サクは激しく脈打つ自分の胸を押さえた。額からは冷や汗が大量に滲み出ている。
ただの夢だと思おうとした。だが、鼻腔の奥にこびりついたあの甘く不気味な匂いと、胸を締め付けた強烈な恍惚感の余韻は、どうしても消えてくれなかった。
揺らぐ残り火の向こうで、暗い山々が静かに五人を見下ろしていた。




