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砂糖菓子とラピスラズリ  作者: メモ帳
高等部1年
152/162

144. アウイナイト(藍方石)は希少で高価な石です

 どんな家柄でも、貴族であれば家政を取り仕切るのは妻の役目である。だからこそ高位の貴族であればあるほど、妻に選ぶ令嬢には魔力だけでなく頭脳も欲した。


 その点でローラン侯爵夫人であるセレナは、竜王国内では最も敬意を向けられる存在だった。


 なぜならあの『神童』ベルナール・ローランを生み育てた母である。さらに長女であるブリジットも、幼い頃から作家として知られる才女だ。


 しかも現在の彼女は、出奔したバルニエ伯が残した妻や幼い子たちを保護し世話をしている。己も3歳の幼い息子を抱えながら、よその妻や愛人とその子たちを世話するのは並大抵のことではない。

 だというのにセレナ・ローランはそれを苦とも思わない人物だった。


 しかも居候となったバルニエ伯爵夫人アリーヌもまた只者ではない。

『竜王国一の美少女』と言われるミリュエル・バルニエの母なだけあって年齢不詳の美女なのだ。数年前に異国へ嫁いだ娘がいるのだから40は過ぎているだろうに肌や髪は艷やかで、知性と色香を持ち合わせている。


 そんなアリーヌによってか、さらに美しさに磨きがかかったセレナは様々な家で開かれる茶会に参加していた。


 竜王国は竜王と呼ばれる方は存在するが王政ではない。そのため王城も政治を行う行政施設であって、王の住まう城でもない。

 だからこそ宮廷も存在せず、貴族が宮廷に集まるということもなかった。その結果として竜王国貴族は昔から自宅屋敷や、それ用の建物を建てるなり借りるなどして茶会などを開いている。

 特に建物を借りる場合は、王都上層からさらに高台にある邸宅や砂浜に出られる海沿いの邸宅など、その時々で好きな場所を選び使うことができた。特に海沿いの邸宅は、釣りや泳ぎを趣味とした紳士たちが夏場に長期で借りて利用するほどの人気施設である。




 王の月に入り春が進むと、王都上層からさらに高い場所にある邸宅が人気となる。広大な庭園に色とりどりの花が咲き乱れるその庭園で茶会を開くのは、春の竜王国貴族の中ではステータスとなっていた。


 そして王の月4日、いつものように茶会の場でお茶を楽しんでいたセレナの元へ、社交を終えたアリーヌが優雅に現れては隣に座る。


「セレナ様はご存知かしら? アウイナイトの首飾りのお話」


 年齢不詳のアリーヌは楽しげに朗らかにセレナへ話しかける。そのそばでは茶会の主催者であるモンテヴェール伯爵家の使用人たちがアリーヌにお茶を入れてくれた。

 さらに周囲の婦人たちもアリーヌから発せられた「アウイナイト」という言葉に惹きつけられた蝶のように近づいてくる。

 ただどれだけ華やかな蝶が集まっても、アリーヌの美貌を霞ませるほどのものはない。


「王都中層のとあるお店に『竜の涙』の形に加工されたアウイナイトが売られていたの。それが最初に店頭へ飾られたのは2年近くも前のことよ」

「あら? ではずっと買い手がつかずに売れ残っていたのかしら。アウイナイトは鮮やかな青い宝石で人気の高いもののはずなのに」


 アリーヌの話に乗っかるようにセレナが疑念を向ければ、目の前にある魅惑の瞳が嬉しげに細められる。


「ええ、普段は透き通るような深い青。けれど夜に限られた光を当てることで違う色にもきらめく魅惑の宝石としてとても人気よね。でもアウイナイトはそもそもの数も少なくて、透明度の高いものはさらに希少よね。しかもとても繊細な宝石で割れやすいから、加工の難しい石でもあるのよ」

「扱いが難しいということね。しかも加工が難しい宝石なら、竜の涙のような形に削るのは至難の業よね?」


『竜の涙』とは水滴の形をした青い石のことを指す。昔から学者や研究者など、学ぶことを役割としたものが好んで着けていた。ただだからこそ、基本的に竜の涙は学者向けのガラスや安価な石で作られる。


「そうなの。だからそのアウイナイトは70000ルムもの値段がついたの。でもだからこそ誰も手が出せなかったのよね」


 伯爵位の平均年収は11万ルムから22万ルムとされていた。もちろんそこから屋敷の維持費や生活費など引いていくので、自由に使える金銭はさらに少なくなる。その経済状況で宝飾品ひとつに7万ルムも使える人間など皆無だろう。

 だから2年間も買い手がつかなかったのだと納得したセレナの隣で、アリーヌが小さく笑った。


「そんな誰もが憧れる首飾りを、花祭りの日に購入して大切な方へ贈った紳士がおられるの」


 花祭りに青い宝石の装飾品を贈る。それは確実に求婚を意味しているが、それを花祭りに行うとはなんともロマンチックな話だ。

 周囲の婦人や令嬢が感嘆の声と素敵な話と囁くのを耳にしながら、セレナはアリーヌに問いかけた。


「その素敵な恋物語の主役はどのような紳士なのかしら」

「スラリとした長身にプラチナブロンドの髪。淡く青い瞳はアウイナイトのように鮮やかで、お顔立ちも素晴らしく端正。だというのにその芸術的な見た目に反して、港の逞しい男たちからも頼られるお強い方。その方は騎士団の第二部隊長様よ」


 アリーヌがまるで物語を読み聞かせるように語るので、周囲の女性たちからさらに喜びの声が上がる。

 だがその裏でセレナは氷水をかけられたように心が冷えていく。


 先月、第二部隊長テオバルトはセレナの息子マティアスが殺されかけた事案を使ってアンベール侯爵を破滅させている。

 もちろんそれは事件捜査を担当する第二部隊長として必要なことだったろう。アンベール侯爵は騎士団に圧力をかけて事件そのものを揉み消そうとしていたのだから。

 ただその事に関しては、セレナが誰よりも愛する旦那様はアンベールを根こそぎ枯らすと言っていたのだから第二部隊長がいなくても結果は変わらなかったかもしれない。


 だが第二部隊長はセレナの旦那様とは違う。旦那様が動いたのは息子が傷つけられた報復でしかない。けれど第二部隊長は、そもそも悪を潰すためなら手段を選ばない人間だ。

 昔の優しいあの子と違い、今の彼は合理性だけで動いているから。

 だとするなら花祭りに首飾りを贈られた側は、そんな彼のことをどう思っているのだろうか。

 心が壊れ感情が削ぎ落とされた第二部隊長が、何の意図もなく高い宝飾品を贈るわけがない。けれど贈られた側はその理由を正しく知っているのだろうか。

 そんなことを心配するセレナの目の前で、物語を語るアリーヌが今日の茶会について話す。


「でも不思議なことに、そのアウイナイトの首飾りをまとって、それを青玉の首飾りだと触れ回っている方がいるの」

「マドレーヌ様かしら」


 アリーヌが告げたその言葉に女性のひとりから名前が出た。それは今日の茶会の主催者であるモンテヴェール伯爵家の長女で24歳のマドレーヌのことだろう。


「ということはマドレーヌ様は第二部隊長様から首飾りを贈られ、それを青玉のものと勘違いされたのかしら?」

「でもそれでしたら、先月のお茶会でマドレーヌ様が首飾りをつけてらっしゃらなかったのはどうしてかしら?」

「確かにあの素晴らしい首飾りをお茶会で見るようになったのは3日ほど前からだわ」


 若い女性たちが語るのを笑顔で聞いていたアリーヌは、まるで彼女たちの意識を誘導するように情報を出した。


「そう言えば先月、『竜王陛下の治癒師』と謳われる方が、竜の涙の形をした首飾りをつけていたと噂になっていたのをご存知かしら。それは竜神殿へ行った方々も王城で働く者も目にしていたのよ。件の方は、騎士団の第一部隊の方々も頼りになさる王国最高の治癒師様だもの。人々の目にもつきやすいし、噂はすぐに広まるわね」

「その首飾りも高価なものなのかしら?」

「どうかしら? でも聞いたところによると、治癒師様が治癒のために力を使うとその宝石が淡く光るのですって。しかも不思議なことに2本のハンマーが交差する紋章が浮かび上がるのだとか」


 この茶会の参加者で、その紋章の意味を知らない者はいない。おおよそ目撃者は知らないから2本のハンマーが交差するという情報しか残らなかったのだろう。

 だがアンベール侯爵家の紋章は、盾の上に上向きで交差する2本の槌だ。上向きに交差する2本の槌は、終わらない破壊を意味している。

 つまり贈り主は首飾りにアンベール家だけが使える紋章魔法を仕込んでいたのだ。ならば今の状況が生み出されることを前提に贈っているということが確定する。


「モンテヴェール伯爵家のお嬢さんがつけている首飾りは、魔力が触れたらどうなるのかしら?」


 そしてアリーヌが水滴のように落としたその言葉は、波紋のように周囲の女性たちの中に広まっていく。

 モンテヴェール伯爵家のマドレーヌが今月に入ってから首飾りをつけていること。同じような首飾りを、先月は『竜王陛下の治癒師』がつけていたこと。さらに7万ルムもする唯一無二の高価な首飾りは魔力なりの力に触れると紋章が浮かび上がること。


 そうして静かに広まった波紋は多くの伯爵家の女性たちの好奇心をくすぐった。そしてそれ以降、マドレーヌは多くの女性に囲まれてどのような経緯で首飾りを貰ったのかと興味津々に問われることになる。

 もちろん彼女たちの興味が、偽りの恋物語にあるのかもしれない。あるいは、魔力を流せば本当に紋章が浮かび上がるのか、見てみたいだけなのかもしれない。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 王の月も10日になると庭園の花々もますます咲き乱れて、お茶会も一層のにぎわいを見せる。この時期の令嬢は、こぞって己の好きな花にちなんだ色合いのドレスを仕立てて社交の場でお披露目するのだ。

 そしてその日のお茶会の主催であるモンテヴェール伯爵家の長女マドレーヌは薔薇色のドレスをまとい、黄金色の豊かな髪を背中に流していた。ドレスには希少な白珊瑚や水晶が、まるで花雫のように散りばめられている。

 そんな豪奢な美女の首元には、本人曰く青玉の首飾りが彩りを添えられていた。


 そしてそんなマドレーヌの周囲にはその日も様々な女性や令嬢が集まり豪華なドレスを褒め称える。モンテヴェール伯爵家は昔から、豊かな領地を持つ富裕層として知られていた。そのため娘のマドレーヌも幼い頃から常に最高品質のものを身にまとい、常に社交界をリードしている。だというのに王立学園時代は、その豪奢な美貌が災いしてか妻にと求む度胸のある男がいなかった。

 ただマドレーヌは理解している。王立学園時代、同世代にいてマドレーヌと唯一釣り合う男子は独りしかいない。そしてその独りは知識の家系の嫡男としての重圧を受けてまとまに恋愛をする余裕もなかった。

 そうして王立学園を卒業した彼は上級官僚として働き始めたが、6年経った今もなお独身で婚約者もいない。おおよそ王城にも彼にふさわしい女はいなかったのだ。

 むしろ王城で働く女など、実家が貧しく外見も悪い者に決まっている。そんな女たちにあの同級生が目を向けるわけがないのだ。

 誰より知的で涼やかな殿方ユルリーシュ・デュフールには、自分のような艶やかな女が似合う。そんなことは誰でもわかることだ。

 だからきっと彼は、仕事が落ち着いたらこちらに婚約の打診をするつもりなのだろう。そう考えていたマドレーヌは、小さなざわめきに気づいて視線を転じた。


 淡い興奮が混じった黄色めいた歓声は、鮮やかなバラの生け垣の向こう側から起こっている。その声が近づき生け垣のこちら側にある会場へ入ると、理由となる存在が姿を見せた。たちまちにマドレーヌの周囲にはべっていた者たちからも感嘆の声が上がる。


 一般的に青玉と呼ばれるサファイアは、竜王国の深い海を表している。だが彼の瞳はそんな深海の色ではない。それよりも少し浅い海の、淡くきらめく透明度の高いアウイナイトだ。そしてアウイナイトという石は儚く脆く、宝石となる大きさで見つかることは稀だとされている。そのため宝石としてなら青玉よりも高価だと言われていた。


 そして目の前にやってくる紳士は、ユルリーシュ・デュフールよりもはるかに価値のある外見をしていた。


「はじめまして、このお茶会の主催をしているマドレーヌ・モンテヴェールですわ。あなたは?」

「テオバルト・アンベール」


 アンベール侯爵家。その名が周囲すべての音をかき消した。周りにいた女性たちがそうであるように、マドレーヌすらも息を呑んだように黙り込む。


「花祭りの日、俺はその首飾りを王都中層の店で購入してある人間に贈った。だというのになぜドブネズミがそれをまとっている?」


 白金色の繊細そうな髪を風に揺らす貴公子の口から出たのは、紳士として有り得ない蔑称だった。そのあまりの言いようにマドレーヌはすぐに言い返す事ができない。


「……は?」

「平然と他人の物を盗む知性だからまともな受け答えもできないのか? 俺は、なぜそれを、身につけているのかと聞いている」


 貴公子の顔には怒りも侮蔑も何もない。ただ淡々と語る彼はそっとマドレーヌに手を向けた。するとマドレーヌの胸元を飾る青い宝石が光を帯びる。


 そうして周囲の女性たちが眺める先で、首飾りの表面に白い光によって紋章が浮かび上がった。とたんに多くの女性たちは6日前に聞いた噂をその目にすることとなる。


 盾の上に置かれた槌は2本で上向きに交差している。その紋章はあきらかにアンベール侯爵家の紋章そのものだった。


「モンテヴェール伯爵家の娘マドレーヌ。おまえは盗品の収受、及び所持と使用により騎士団に拘束される」


 貴公子がそう告げると生け垣の向こう側で待機していたらしい騎士たちがやってくる。女性の社交場に乱入した勇ましい集団は、けれど女性たちを恐れさせることはなかった。なぜなら彼らは見目麗しい第一部隊二班の騎士たちだからだ。


 けれどマドレーヌは戸惑いに支配されたまま騎士に手首を縛られ拘束される。あげく騎士のひとりが首飾りをはずして貴公子に渡した。

 しかもそのまま騎士が周囲に宣言する。


「可憐な社交場を騒がせたことお詫びします。自分は第一部隊二班の隊長エミール・シャルモンです。此度は重要事案により、このような形での捕縛となりましたが、麗しい方々にはどうかこの事は秘匿としていただきたい。もちろんこちらにいる第二部隊長殿が、アンベール侯爵家の方であることも」


 金色のくせ毛と愛嬌のある顔立ちのエミール・シャルモンは、そう告げてひとつ立てた指を口元に当てた。


「何せこの首飾りの本物の持ち主は、彼が侯爵家の人間だと知らないのです。その秘密の恋の物語を、どうか皆様も見守っていてもらえませんか」


 どんな世代の女性も秘密の恋というものが好物である。その点をついて説得したエミールに女性たちも簡易的なカーテシーとともに「かしこまりました」と笑顔で告げた。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 山の上にあった邸宅から王城へ戻ったテオバルトは、速やかに着替えて仕事に戻ろうとした。

 自分の役目は首飾りの奪還とマドレーヌの確保である。だが同時に第一部隊の一班は実行犯のルネ・デュサンの確保。三班はモンテヴェール伯爵一家を逮捕しているはずだ。

 ならばこの後で証拠書類の確認をしなければと考え執務室に向かうテオバルトの前に、一班の隊長ドミニク・モンレイユが立ちはだかった。


「おまえの今日の仕事はもう終わりだ」

「無理だな。証拠書類の確認をした後に、第二部隊の執務もある。夜中までに終わるかどうかという量だ」

「いや、おまえはまず政務局の副局長を労わなければならない」

「ユルリーシュを労ってやる必要がどこに」

「どこにでもある。むしろ有りすぎるぐらいだろう。そもそも犯罪捜査は騎士団の役目なのに、それを政務局にやってもらってる。もちろんそれに関しては前騎士団長の事もあるし、おまえがあちらを頼った理由はわかる。だが、それと感謝を向けることは別だ」


 そもそも2ヶ月前に起きた侯爵家次男殺人未遂事件の捜査は第一部隊の役目だった。だが権威主義に染まった彼らが使えないから、テオバルトが動いた。

 今回もその流れでユルリーシュを頼り、その後で邪魔な前騎士団長を排除している。


 その流れの中でテオバルトがユルリーシュに感謝する理由はない。なぜなら国を支えるのは侯爵家の義務だからだ。


「ユルリーシュはデュフール侯爵家の人間だ。国のために尽くす義務があるのだから、この程度で礼など求めない」

「侯爵家の理論なんて、伯爵家のおれが知ってるわけがないだろう。それに人は感謝されると喜び、それまでの苦労が報われた気がする生き物だ。おまえだって感謝されれば気持ち良くなるだろう」

「いや…」

「普通の人は気持ち良くなるんだよ!」


 テオバルトの否定をかき消す勢いで言い放ったドミニクは、強引にテオバルトの身体の向きを変えた。

 あげくその両手をテオバルトの肩に乗せたまま強めに叩く。


「副局長はおまえのためにかなりの労力を割いた。その正装を見せてやって、頭でも撫でてやれ」

「……わかった」


 ドミニクの強引な意見に対する言い分はいくらでもある。だがそれを言う意味を見出せなかったテオバルトは、言われるまま来た道を戻り始める。



 そうして王城の別棟にある政務局に行けば、書類を手にしたまま動かないユルリーシュを見つける。あげくその名を呼ぶと、目を向けた年下の幼馴染みはなぜか泣きそうな顔で声を上げた。


 年下の幼馴染みは昔から頭脳明晰だが、少し変わった子だった。

 それでも子供の頃は弟のように可愛がったが、大人になったいまはそうはいかないと思う。なにせ彼はデュフール侯爵家の後継者で、未来の竜王国を支える逸材なのだ。


 そんな幼馴染みを政務局から連れ出す合間も、テオバルトは今日の衣装について褒め称えられる。


「今日は本当にお疲れ様でした。そのうち三班からも証拠書類が届くので、政務局で精査した後にお見せしますね」

「ああ、すまない。ユルリーシュのほうこそ疲れはないか?」

「テオ様のお姿を見た瞬間に消えましたよ」

「そうか」

「ところでテオ様はなぜ政務局へ? ええ、もちろんテオ様のお姿を目にできたことは喜びです。しかしテオ様が僕の元を訪れたのはこれまでなかったので、何かあったのかと」


 ユルリーシュから向けられた質問に対して、テオバルトは返す言葉を持ち合わせていなかった。


 自分が治癒師を守り大切にするのは、彼に価値があるからだ。人を癒し救うことのできる存在は、それだけで価値がある。

 なにせ神聖魔法は、無欲な人間が純粋に他者を思いやって初めてその効果を強められるのだから。

 だから神聖魔法を用いてどんな深い傷も癒せるあの治癒師は世界の宝に等しい存在で、その行為は何より尊い。


 だが竜王国侯爵家の人間はそんなものではない。

 侯爵家の人間は等しく竜王陛下のおられるこの土地を守るために存在し、時に命を捧げる義務を持つ。

 だからテオバルトもユルリーシュも国のために働くのは当然の義務で、そこに褒められる理由はない。


「俺は正しく把握していないが、ユルリーシュは褒められるべき仕事をした。その点は労られるべきだと言う者がいる」

「それを言い出したらテオ様こそが称えられるべきお方なのでは? むしろテオ様はその存在こそがこの国の宝で、我々にとっての希望そのものですが」

「それはいらない」


 そんな評価は意味がない。そう思うが口に出さず、テオバルトは無造作にユルリーシュの頭を撫で回した。

 するとその下でユルリーシュが真っ赤な顔で目を見開いている。


「もしや僕は今夜死ぬのでは?」

「いや、死なないだろう。理由がない」

「ありますよ! テオ様が僕をいたわり頭を撫でてくださったのですから」


 真っ赤な顔で訴える幼馴染みが面白くて、テオバルトはつい笑ってしまった。するとユルリーシュはポカンとした顔でテオバルトを見つめる。

 そのためテオバルトは笑いの余韻を残したまま再びユルリーシュの頭を撫でまわして髪を乱した。


「頭を撫でる程度で死なないでくれ」


 ぐしゃぐしゃに頭を撫でられながら、ユルリーシュは小さく笑う。

 何が理由なのか、最近のテオバルトは少しずつ昔の姿を取り戻しつつある。食べ物の味を取り戻し、笑顔を取り戻し、次は何を取り戻すのかわからない。だがテオバルトが楽しめているなら何でもいいとユルリーシュは思えた。

 4年前に取り戻すことを諦めたものが、今になって戻る理由はわからない。だが彼が元の彼に戻り健やかに過ごせるならそれで良いのだから。







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