143. 公金横領は重罪です
ルネ・デュサンは上級文官として財務局に勤めている。財務局の仕事は多岐に渡り、国家予算の配分からすべての騎士や職員の俸給手続きにまで至る。
そのため財務局は、優秀な人材が朝から夕刻までしっかり働いてやっと回っている状況だ。
もちろんルネも例外なく朝から定時までしっかりと働き、財務局に貢献し続けている。もちろん財務局内には定時で仕事を終えられない無能も多いが、ルネは違っていた。
王城で働く官僚や文官は、就業時間が規律により定められている。そしてそれを守ることを重視されていた。それは警備上の問題もあるが、なにより労働環境の問題が大きい。
だからこそそれなりの地位を持つ者ほど規律を守り、下にその重要性を示さねばならなかった。だというのに無能な人間はそれも理解せず、ダラダラと残業をしていく。
だがルネは違った。朝からしっかりと集中して仕事をこなし、定時には書類を片付け帰宅することを是としている。ルネの仕事は主に竜神殿で使われる俸給処理と予算の振り分けだが、こんなものはすぐに終えられる。書類精査のような子供でもできる仕事ならほとんど時間など必要としない。
そうしてもう15年も財務局で働き続けているので、そろそろ下級官僚への昇格はあると思っていた。
ルネは現在34歳だが、一般的に上級文官は30代半ばで昇格の示唆があると聞いたことがあるためだ。
財務局には140人が働き、その中で上級文官は50人在籍している。その中の誰よりも優秀な自分が昇格しなければ、それより下がチャンスを逃してしまうことになる。
ルネ・デュサンは子爵家の長男として生まれたが、実家は経済的には貧しかった。そのためルネは王立学園も高等部にしか行っていない。
そしてこの王立学園は、高等部3年間だけ在籍した者と、中等部から入学して6年在籍した者での教育格差が酷かった。学園の最上位であるSクラスにいるのは常に中等部上がりの生徒で、外部入学者がそこへ入ることはない。
つまり入学時の寄付金が払える家かどうかで、格差の上に立つか下に立つかが決まるのだ。
そしてルネも中等部から入ることができなかったためSクラスに上がることが叶わず、現在も上級文官の立場に甘んじている。だが自分が中等部から入学していたなら、上級官僚すらなれただろう。
そんなルネは財務局にて上級文官として14年間まじめに勤めてきた。現在34歳だが妻との間に3人の子供にも恵まれている。
少なくとも他の怠惰な文官たちと違ってまじめに就業時間内で仕事を片付け、残業などしない。そうして地道に働いてやっと30半ばになって官僚への道が開かれる。
自分ほどの人間が王立学園卒業時に官僚になれず、平凡な人間たちと同じ人生を歩んでいるのは中等部入学ができなかったせい。
ひいては実家がルネのために寄付金を用意しなかったためだ。だからこそルネは、自分の子供達は中等部から入れさせると決めていた。
そして中等部入学時に必要な寄付金1万ルムも、もうすぐ3人分が貯まろうとしている。
3人の子供たちの中で上の子は10歳なので、貯蓄が貯まった後は中等部入学準備のため家庭教師を増やしても良いだろう。
そんなことを考える矢先、ルネ・デュサンは上司に呼び出された。その瞬間に彼は昇格の話だと理解する。文官から官僚へ昇格するには簡単な筆記試験があるらしい。そのため試験日やいま抱えている仕事の調整など面談するのだと。
そうして緊張と期待に胸踊らせ会議室へ入室したルネ・デュサンは、上司だけでなく見知らぬ若者が同席することを知った。
ただその藍色の詰襟に着けられた紋章から、若者が政務局の人間であることはわかる。
「はじめまして、ルネ・デュサン。わたしは政務局副局長のユルリーシュ・デュフールです」
政務局副局長。その肩書を耳にしたルネは認識を改めることにした。これは昇格試験などの話だけではなく、栄転の話なのだと。
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会議室の最奥にある席に座り、ユルリーシュはやってきた財務局の男を見た。ユルリーシュの脇では財務局の局長が既に青白い顔で立っている。
「ルネ・デュサン。君は上級文官として財務局で15年も勤めているそうですね」
「はい! 19歳で上級文官となった時に財務局へ配属されてから休まず職務をこなしてまいりました」
「君の退勤記録も確認しましたが、定時で帰宅しているとありますね」
「就業時間を守ることは最低限の義務だと認識しています」
会議室に入ってきた直後から、ルネ・デュサンは期待に目を輝かせていた。そしてユルリーシュの質問にもはっきりと答えている。
政務局が調べ上げたところ、ルネ・デュサンという男は自己評価が高く他人を見下す傾向にあるらしい。己は高い能力を持っているのに、環境のせいで今の地位に甘んじているのだと。
だが実際のところ実務能力は低い。財務局の中での評価として、書類の処理速度は人並み程度。他の者は仕事が遅いなら残業をしてでも片付けるが、この男はそうしない。
「では君は、就業時間の間に公文書偽造を行い、本来治癒師が受け取るべき俸給を不正処理していたんですね」
ユルリーシュが涼やかな笑顔で問いかけた瞬間、目の前に立っている愚かな木偶の坊が口を閉ざした。先程まで期待に見開かれていた瞳はそのまま驚愕に色を変えている。
「ちなみに竜神殿へ忍び込み、治癒師が首につけていたらしい噂の首飾りを窃盗したのも就業時間内の話ですか?」
「そんなことは⋯⋯」
「していないなどという戯言が通じると思っているなら、君は官僚に向いていないよ。だがその上で君には知って欲しい。我々政務局は、この竜王国の政を滞りなく動かすための歯車として働いている。君のようなゴミを片付けるためにいるわけではないんだよ。ねぇ、財務局長?」
管轄外の仕事なのだと主張したユルリーシュに、50歳近い財務局長が真っ青な顔のまま深々と頭を下げた。
「申し訳ございません⋯」
「さて、ルネ・デュサン。君はいまこの瞬間から懲戒免職となる。この後でやってくる第一部隊の騎士と牢へ行ってください」
「待ってください!! わたしは仕事をしただけですよ! 頼まれたことを遂行しただけです!」
懲戒免職や牢獄送りは有り得ないと、ユルリーシュの目の前にいる愚か者が声を上げた。
「あなたは誤解なさっているようですが! あの平民は元は伯爵家に生まれました。魔力を持たない無能でも、尊い血筋に生んでもらった恩を返すのは当然ではありませんか!」
「君は古い知識しかないのかな? 魔力が無い者は無能ではないよ。彼らは魔力ではなく神聖力を持っている。つまり天空の民の血を濃く受け継いでいるということだ。ちなみに君は五柱神信仰に関する文献など読んだことは?」
「ありません。この国は竜信仰の国なので」
その言葉にユルリーシュは笑ってしまった。そんな無教養と意識の低さでよく上級文官として生きてこられたと思ったのだ。
この大陸の中でも竜王国以外の国や地域は五柱神を信仰している。だと言うのにこの男は上級文官として隣国と関わる可能性すらも考えた事がなかったらしい。
そうして笑いをため息とともに吐き出したユルリーシュは、返す言葉を口にする。
「この国以外は五柱神信仰をしている。その程度のことは王城で働く者なら基礎知識として知っておいて欲しいけどね。ちなみに君は、今回の首輪の窃盗についても把握しているのかな? あの首飾りは王都中層のとある店で、何年も買い手がつかない状態で飾られていたと」
「その話は⋯⋯少しだけ耳にしました」
「これも竜王国貴族の大多数が知っていることだね。もちろん知識ではなく、社交界の話題という情報面の話になるから、財務局には難しいことかもしれないけど」
ユルリーシュは冷笑を浮かべたまま、自己評価が高いらしいルネの知らない話やできない部分を指摘し続ける。
「王都中層のその店で売られていた首飾りの価格は7万ルム。求婚のために贈る青い石の宝飾品としては最高価格だけど、だからこそ買い手がつかなかった。そんな代物だよ。もしその首飾りを治癒師が着けていればどうなるだろうか。誰もが驚くと思わないかな? 特に商売などをしていて目が利く者は、その話を顧客である貴族たちに語るだろうし」
「何が言いたいのですか」
「君は、その誰もが憧れ話題にする首飾りを、誰が購入して治癒師に贈ったのか、考えたことはあるかな?」
問いかけながらも、ユルリーシュは相手の答えを待つことをしなかった。
「 聞いたところ君は自分のことを優秀な人間だと自負し、周囲の者たちを見下していたそうじゃないか。そんな君ならわかるんじゃないかな? 7万ルムもの宝飾品を買えるような存在を」
そこまでヒントを出してやれば、この愚か者も思いつくだろう。
多くの人間は、治癒師が男性だから首飾りも女性からの贈り物だと考えたかもしれない。そして現在、9つの侯爵家には未婚の成人女性がいない。だがそもそもあの首飾りは求婚のために作られたものではない。
経済力があれば理由など関係なく購入可能で、誰に贈ろうと構わない商品なのだ。
かくして必死な顔で考えていたルネ・デュサンは、やがて正面にいるユルリーシュを見た。
「まさか貴方様が」
「あいにく僕はまだ学びたいことがあるから、結婚は考えていないよ。だけどそういう可能性があることを、罪を犯す前に考えられたら良かっただろうに。まあ普通の財務局の人間なら、そういうことを考えて不正を行わないのだろうけどね。どうやら君は違うらしい」
「待ってください。それはおかしいではありませんか。力がどうあれあの治癒師は平民です。侯爵家ほどの方が目をかける価値もない底辺の存在です!」
「君はそんな平民より遥かに下の重罪人なんだけど、底辺より下なら土にでも埋もれたいのかな。だとしてもそう焦らなくても、いずれそうなるよ」
重ねた罪が多すぎるからね。そう冷笑のまま告げたユルリーシュの眼の前で、ルネ・デュサンはひざから崩れ落ちた。
だがユルリーシュは、床に座り込む男など目も向けず書類をめくる。
「君の場合は損害賠償請求も加わる。そして君は知っているだろうが、シルヴァン・モルレという治癒師は本当に優秀だね。一般的な治癒師の俸給とは別に、第一部隊が予算を組んでまで治癒にと招いている。つまり通常の俸給である月2000ルムに加えて、特別手当が月に3000ルム治癒師に与えられていた。だがそれが7年間ほぼ消えている。孤児院へ寄付された額を引いて369万600ルムだが、君は返済できるかな」
「お待ちください! 違います! 自分は月に300ルムを受け取っただけです!」
「なるほど。返済するより収賄罪を加えたほうがまだマシだと考えられる程度の頭はあるんだね。それで?」
「月300ルムなので、7年で2万3100ルムです」
「君がその金額を収賄として受け取った証拠はどこにあるのかな? それと残りの金は?」
「モンテヴェール伯爵に渡しました。ですがあの方は治癒師の親ですから、罪には問えません」
「シルヴァン・モルレは3歳時にモンテヴェール伯爵家から除籍され孤児院に籍を移しているんだよ。その時点で親も子もない赤の他人だ。公金横領の共謀と贈賄、不正資金の受領に該当することになる」
相手が伯爵だろうが悪は例外なく破滅する。そう告げたユルリーシュの目の前で、扉が叩かれて第一部隊のドミニク・モンレイユがやってきた。
今回の事案で何かと会うことの多いこの隊長だが、扉を叩いても返事を待たない性急な人間だった。
「この男がルネ・デュサンか?」
ドミニクの問いかけにユルリーシュが肯定で返すと、彼は連れていた騎士たちに連行するよう命じる。
そうしてルネ・デュサンが会議室から出ていくのを見送ったドミニクは一緒に立ち去ることなくユルリーシュを見る。
「ここへ来る前に第二部隊長を見たんだが、濃紺の正装はかなり良いな」
「な⋯」
目を見開き固まったユルリーシュに、ドミニクが首を傾げた。
「ああ、見てなかったんだな。フレデリクが王都中層で最高品質のものを見繕ったらしいが、あきらかに特注品だ。しかもフレデリクの趣味が詰め込まれただけあって第二部隊長を良い意味で引き立たせている」
「テオ様はいまどちらへ!?」
「既にローラン侯爵家へ向かった。あんな綺麗な見た目で、ドブネズミ退治だのと物騒なことを言うあのギャップは危険だな」
さすがに侯爵家だけあって外見が良すぎる。なんの欲も感情もなく正当な評価を口にするドミニクの言葉にユルリーシュは両手で顔を覆った。
「おかしくないですか! テオ様を着飾らせるならわたしに言ってくださらないと!」
「君はルネ・デュサンの片付けがあったじゃないか」
「テオ様はわたしの大切な幼馴染みなのに」
ユルリーシュが本来の仕事を昼に詰め込み、夜は帰宅することなく調査をしてまで今回の事案を片付けたのはテオバルトのためだ。だと言うのに、そんなテオバルトの最高品質なところを見逃してしまう立場にいるのがつらい。
ユルリーシュは涙目で立ち上がると、気落ちした顔のまま書類をまとめ始めた。
「ここにいると泣きそうなので仕事に戻ります」
仕事のやる気などもう死んでしまったのだが。それでも言い訳して立ち去るユルリーシュを、第一部隊長であるドミニクが見送る。そうして逡巡した後にため息を吐きながら後ろ頭を掻いた。
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その日の政務局は、いつもより静かな空気に包まれていた。特別チームを組んでまで短期間で調査を詰めて公金横領の犯人確保にたどり着けた。そして朝のうちに実行犯を騎士団に引き渡したとの報告も政務局へ届いている。
だというのにその立役者である副局長は、なぜか実行犯の取り調べから戻って来た時から気落ちした様子を見せていた。
もちろん副局長は優秀なので、気落ちしていても仕事の能率は下がらない。取り調べた内容をまとめた書類もすぐに作成している。さらに気落ちしているという態度を見せるわけでもない。
だが部下のミスを見つけても指摘する声に殺意がない。無慈悲令息の名をほしいままにしていた彼とは別人のような覇気の無さだった。
あげくその状態は回復する様子もないまま就業時間を終えてしまい、仕事を終えた者たちも動き出す。ただやはり多くの職員は、おかしくなった副局長が心配で帰る気にもなれなかった。
そんな政務局へ王城職員のまとう藍色の服とは違う私服姿の男が扉を叩くことなくやってくる。
しかし扉を叩かないその無作法は、男を見た瞬間にかき消された。
濃紺の詰め襟に銀糸の刺繍を施された丈の長い正装をまとうのは、白金色の髪と淡い青色の瞳を持つ端正な顔立ちの男性である。そしてその色彩と外見は、何の説明がなくても上位の貴族であることを示していた。
「ユルリーシュ」
一瞬にして職員たちの視線を釘付けにしたその美形男性は、よりにもよって副局長の机に近づき名前を呼ぶ。そして書類に目を落としたまま先程から動かなかった副局長も、名を呼ばれ相手を見上げ
「テオさまぁああああ!!!!!」
目を丸めたまま悲鳴のような声を上げた。
「なんということですか! 濃紺の正装と聞いてどのようなものと思っていましたが、まさに夜の支配者にふさわしい」
「職場で騒ぐのは良くないから外へ出よう。仕事は終わったのか?」
「いまこの瞬間に終わりました。すぐ移動しましょう。そんな素敵なテオ様の姿を凡愚たちの目に触れさせるなどもったいないが過ぎます。むしろ凡愚たちの目を潰したい」
「潰さないでくれ」
男性から誘われた瞬間に立ち上がった副局長は、足元に置いていたらしい荷物を手に動き出した。男性の背中を押し進め政務局の外へ出ていく。
その様子を目にした職員たちは、副局長がおかしくなった理由を素早く理解する。
つまりあれが今日の予定にあった『女性の社交場に紛れ込み窃盗犯を捕らえる』役目を担った第二部隊長なのだ。そしてあの麗しい第二部隊長の姿を見られなかったから、副局長は気落ちしていた。
そう考えるとあの無慈悲令息もまだ24歳の若者なのだと思えて、職員たちも少しだけ親近感が湧いた。




