142. 勉強ができるから良いわけではない
王都上層にあるローラン侯爵家を連絡もなしに訪れたテオバルトは、まず執事にその事を謝罪した。
前回は帝国騎士のロイスを名乗る男の安全確保を第一としていたため仕方ない部分があった。だが今回は完全にテオバルト自身の都合で動いてしまっている。
しかしローラン侯爵家の優秀な老執事は問題ありませんよと暖かく迎え入れ、テオバルトだけでなく連れてきている治癒師も応接間へ案内してくれた。
ただその間も現在も治癒師シルヴァンは緊張に顔をこわばらせ、疑心の目でテオバルトを凝視している。
あげく執事が主を呼んでくるからと立ち去ったとたんに、隣にいるテオバルトの服をつかんだ。
「隊長様、今回ばかりは意味がわかりません。あなた様は本当にお顔がおキレイで、さらに魔法も使えて優秀な優秀な方でございますよ。しかしよりにもよって侯爵様とお知り合いだなんて!」
「ローラン侯爵はマティアス君の父君だ。殺人未遂事件の捜査をする中で知り合うのは必然だろう」
「それはそうですが、それは騎士としてではありませんか。それにお仕事の中で得た情報や人間関係などを私的に利用するのは…なんと言いますか、規律的によろしくないのではないですか?」
「それは、そうだな」
思わぬ正論での返しにテオバルトは誤魔化しの言葉で返せなくなってしまった。そうして言葉をつまらせた隙をつくように、治癒師の両手がテオバルトの顔を挟み込み逃げることを封じる。
「隊長様はいけないことをしておられるのですか」
「不正行為はしていない」
「ではなぜ侯爵様と個人的な仲になれるのですか。我々平民にとって侯爵家の方々は雲の上におられる存在なのですよ。不正や不法でないなら、そのおキレイな顔で侯爵様に心をいとまれたのですか」
「顔でどうこうなる方ではないが」
「では他の要素で心をいとまれたのですね」
「いとまれてない。いや、いとまれるとは何なんだ。そもそも話の方向がおかしい。そんな関係になるわけがない」
「隊長様はわかっておられないようですが、それ以外に平民が上位の方から懇意にされる理由はございません。上位の方々にとって我々平民は物なのですから、捌け口として買うのが基本なのです。もちろん奇跡的に特別な寵愛を得ることもあるでしょうが、それでも下級貴族の養子にした後に愛人として囲い込むだけの関係です。そしてそれは、隊長様が選ばれるような道ではございません。わかりましたか」
真剣な顔で切々と語る治癒師に、なぜか叱られた気がしたテオバルトは小さくうなずいた。
「わかった。でもやってない」
「わかりますよ。仕事以外はのんびりしておられる隊長様が、そういう世界に疎いということは。ですが、だからこそこちらは案じているのです」
その手の話で手籠めにされた平民をこれまで何人も見てきたから。心の底から心配してくる治癒師に、テオバルトはもう何を返せば正解なのかわからなくなった。
そんなタイミングで応接間にやってきたローラン侯爵は、ソファに並び座るふたりが顔を向け合っているのを見る。
「君たちは何をしに来たんだ」
「ローラン侯爵様!」
呆れた顔でふたりの向かい側に座るローラン侯シメオンに、治癒師が勢いよく声をかけた。
「この方は竜王国騎士団の優秀な優秀な第二部隊長様です。それこそ王都の民が最大限の敬意と感謝を向けておられる大切な隊長様なのです。そのような方を囲い込もうなど」
「君は何の話をしているんだ。そしてテオバルト君を離したまえ。ここに来た用件はなんだ」
愛想の欠片もないローラン侯爵の言葉を受けた治癒師は、テオバルトの顔を包んでいた手を離した。
そこで拘束が解かれたテオバルトは、珍しく困り果てた顔を見せる。
「ローラン侯爵助けて欲しい」
「それは君に関する誤解の話かね」
「いえそういうことではなく。治癒師を10日ほどここで保護してもらいたいと思っています」
「はい?」
ここに来た理由を述べたテオバルトに、驚きと疑念の声を上げたのは治癒師だった。
「隊長様は何を言っておられるのです? わたしの傷は癒えておりますので、もういつでも竜神殿に戻れるのですよ」
「申し訳ないが、ここにいて欲しい」
「隊長様はご自分がかなり無理を言っておられるのをわかってますか?」
「わかっている。だが10日間、君を暴行した者たちにその代わりを務めさせる。それだけあれば竜神殿の者たちは君の価値を理解でき、同時に掃除もできる」
「わかりません。そもそもわたしに価値があるというその隊長様の誤解からおかしいです。なによりわたしは平民ですので、暴行については無罪放免に」
「なるわけがない」
治癒師の言い分を一言で否定したテオバルトは、改めてローラン侯爵へ顔を向けた。
「本当に申し訳ないと思うのですが、頼れる相手がローラン侯しかいません」
「彼が暴行され、その犯人は竜神殿にて労役に就く。それだけならどこぞの宿にでも閉じ込めておけばいい話だろう。だが君がそうしないなら、他に理由があるということだな」
「そう…です」
「まさか君は、何の説明もせずこちらに男ひとり世話させようなどとしていないだろうな」
ローラン侯爵の言い分にテオバルトは真面目な顔のまま口を引き結んだ。そうして逡巡した後にひとつうなずく。
「これは捜査中の案件ですが、王城財務局の人間が公金横領を行っています」
「それは確実な話かね」
「ユルリーシュに調べさせました。彼は既に犯人も突き止めています」
「では確実だな」
新たな犯罪の話にローラン侯爵は呆れた顔でソファの背もたれに身体を沈めた。
「そして侯爵家を頼るということは、黒幕は伯爵家ということか」
「そこは言えませんが、彼を財務局の上級文官から隠す必要があります」
「テオバルト君は知らんだろうから教えてやるが、最近モンテヴェール伯爵家の長女が茶会で青玉の首飾りを見せびらかせている。本人は青玉だと言い、無知な者はそれを信じているようだがな」
唐突に伯爵家の娘の話を持ち出したローラン侯爵に、テオバルトは素直に驚き目を見開かせた。
「なぜその話を?」
「24歳になっても嫁ぎ先の見つからない華美なだけの愚かなオンナが、首に『竜の涙』と呼ばれる形の青い石をつけている。しかも本人は青玉と触れ回っているらしいが、あきらかに藍方石だという」
「見ただけで石の種類まで見抜ける方がおられるのですね」
「情報提供者は元バルニエ伯爵夫人だからな。竜王国一と言われる娘を育てた母親は侮れんよ。しかも妻と共に言うのだ。あの首飾りは王都中層の店で長く買い手がつかず飾られていたものだと。硬度の低い藍方石の加工品と言うことでかなりの高値がついていたらしいな。だから皆それを求婚の証だと誤解して、その誤解からさらに買い手がつかなくなった。数万ルムもの大金を出せる未婚の男がおらんからな」
『竜の涙』と称される水滴のような形の首飾り。それはテオバルトの知らないところで存在の知られたものだったらしい。
だからローラン侯爵も犯人にたどり着けたのかと納得するテオバルトは、膝を何度も叩かれて隣を見た。すると真っ赤な顔の治癒師が疑惑の目を向けている。
「隊長様、まさかではありませんが」
「君に似合っていたから問題ない。それよりも」
「それよりもではありませんよ! 隊長様からの贈り物をまともに管理できず、紛失させてしまった事への罪悪感がとんでもないことになっていたというのに! そこまで高価な代物だったなんて!」
「君のそれは紛失ではなく窃盗されている。君の俸給を7年も搾取し続けた者たちが犯人だ」
唐突に犯罪を示唆してきたテオバルトに、シルヴァンはわかりやすく勢いをなくした。
「ええ……? それはおかしくないですか? わたしの俸給は孤児院に寄付されているんですよ。竜神殿の書類ではそのように処理されています」
「その上にある財務局の人間が、公文書偽造罪の上に業務上横領をしているからな。竜神殿にある書類は偽造されたものだ。孤児院にあった書類によれば、君は規定通り俸給の一割しか寄付していない」
「こうぶんしょぎぞうで…? ええ、すみません。専門用語は存じ上げなくてわからないのですが、わたしの俸給はどこへ?」
「モンテヴェール伯爵家に流れている」
「その方々は、わたしの何かが気に入らずそのようなことを?」
「モンテヴェール伯爵家は長らく財務が逼迫している。つまり……贅沢をし過ぎて、入る金より出ていく金が多く、そのままなら破綻して終わる」
「その補填として、わたしの俸給をと……。それはわたしだけがされたのでしょうか? それとも他に被害者が?」
「竜神殿にある出生記録によれば、君はモンテヴェール伯爵家の次男にあたる。つまり犯人は身内である君の俸給を搾取することを当然の権利だと捉えている可能性がある」
「わたしはモルレ孤児院の人間ですが」
「確かに、君は3歳の時点でモンテヴェール伯爵家から除籍されている。だが事実は変わらない」
テオバルトが説明する目の前でシルヴァンが傷ついたような顔を見せる。あげくどこか悔しさをにじませたようなその顔が見ていられず、テオバルトはシルヴァンの額に手を当てた。
「隊長様は何をしておられるのです?」
「わからない」
「そうですか……。それで、ええと……伯爵様に俸給が取られていたのはわかりました。しかしわたしは平民ですので訴えることもできませんよ」
テオバルトの手首をつかみ手を離させたシルヴァンは、先程と違い落ち着いた顔で言う。
そこで奇妙な距離感のふたりを眺めていたローラン侯爵がため息を吐き出した。
「竜神殿の治癒師である君の俸給は国庫から捻出されている。つまり犯人は国家予算―――公金を横領したことになる。さらに職務上の裁量を持って国家に損害を与えたことにより背任罪。さらにこれをする際に文書の偽造もしているだろうから公文書偽造罪もかかる。これはすべて竜王国に対する犯罪行為だ。わかるかね」
「まったくもってわかりません。わたしは学校に行っていないので本当にわかりません。わたしの持つ知識はすべて図書館の得たものですが、法律関係のことは学んでいないのです」
「そうか。ではまず、今回の話は国が動く話だと言うことだけ知っておきなさい。そして我が国の政治を司るのは政務長官でもあるオーブリー侯爵だ。そんな相手を敵にしたくない犯人は、被害者である君が死んでいなくなればなんとかなると考える」
「さすがお貴族様の考えることは恐ろしいですね」
「そうだろう。だからこそテオバルト君は、君の安全を考慮してここへ連れてきた」
「雲の上のお方へ害を向ける者はおりませんから」
平民が貴族に手も足も出ないように、伯爵家が格上の侯爵家へ刃を向けるなど有り得ない話だ。だからこそテオバルトはローラン侯爵家へ自分を連れてきた。
そこまで理解した治癒師シルヴァンは、複雑な思いを閉じ込めたままうなずいて返した。
「納得はしておりませんが、理解はしました」
「何が納得いかないのだね」
「平民であるわたしにそこまでされる価値などございません。その一点だけでございます。しかしわたしが死ねば犯罪が消えると言うなら、この状況も受け入れねばなりません」
「なるほど。君は相当に頭が悪いようだ」
シルヴァン・モルレはその名が表すように孤児院出身の平民である。たとえ生まれが実は伯爵家だろうが除籍された時点で無関係だ。もちろんそんなお貴族様が搾取していようが何をしようが、平民にそれを拒む権利はない。
今までの人生経験からそのように学んでいる治癒師は頭が悪いとの言葉にも同意した。
「学のない孤児院出身の平民ですので」
「己の価値にすら気づかない愚鈍さは、学のある無しとは関係ない。君自身が目を向けないだけだ」
「ええ、そうでしょうとも。わたしは毎日役目に追われ何も見ておりません。感謝する民の言葉に耳を傾ける暇も、王都でどのような催しがあったのか知る機会もありません。わたしは」
「君は王立学園で何をしてきた」
シルヴァンの言葉を遮るように、ローラン侯爵の抑揚のない声が突き刺さる。そのためシルヴァンは困惑に目を見開かせながら首をわずかに傾けた。
「マティアス君を治癒した以外にですか?」
「殺されかけ心にすら傷を負った子供を癒し救うために毎日自主的に通い続けた。そんな君を息子は命の恩人だと思っている。それは君の価値ではないのか」
「ですが、それはわたしの約目ですので」
「君の役目は傷を癒すことだけだ。だが君は誰が頼んだわけでもないのに、息子の心を救うという範疇外のこともしている。相手を思い役割以上のことをする者に価値を見出さない人間はいない。いたとしたら傲慢な愚か者ぐらいだが、わたしの息子は愚か者か?」
「マティアス君はとても良い子です」
「では、必要以上に己を卑下することはやめなさい。ローラン侯爵家の次男であるマティアスに対する侮辱に繋がる」
侯爵家子息への侮辱とまで言われればシルヴァンも反論できなくなる。そうして口を引き結んだ治癒師の隣でテオバルトは真面目な顔で「なるほど」とつぶやいた。
「そういう言い方をすれば良かったのか…」
「テオバルト君は、彼のあの卑下するクセを放置していたのかね」
「いいえ、きちんと言い聞かせていました。人を癒せる者は貴重だと。なので何かあるたびに治癒師に対して何よりも大切だと言ってきましたが、いつも叱られます」
「それはそうでしょうよ!」
理由がわからないという顔のテオバルトの隣でシルヴァンが強めに言い放つ。そんな会話の合間に執事が戻ってきては3人分のお茶を入れてくれた。
そんな執事の隣で、執事に扮した5歳の少女が焼き菓子の皿をテーブルに運んできてくれる。
「テオしゃま、おへやのじゅびいたしゅましゅか」
「一部屋だけ頼めるか?」
執事に扮した5歳児はその言葉を受けてテオバルトと治癒師を指さした。
「いしょのおへやしましゅか? マリスなきましゅれしゅよ」
「いや、俺は仕事があるから王城に戻るが」
「マリスなきましゅよ!」
「ああ……そうか」
マリスとはローラン侯爵家の三男だが、まだ3歳と幼く客人が屋敷にいることを喜ぶタイプだった。
「旦那様、差し出がましいことと思いますが口を挟んでよろしゅうございますか」
そこでお茶を入れ終えた執事が立った姿勢のまま発言の許可を求める。そしてそれをローラン侯爵が許せば、老執事は礼を口にした。
「サロンにて、お客様が第二部隊長様と竜王陛下の治癒師様であられると奥様へご報告致しました。するとこれは好機と大変喜ばれまして、第二部隊長様とぜひ歓談をと求めておりました」
「セレナがテオバルト君と話すことがあるのか?」
「……失礼ながら……奥様のお言葉をそのままお伝えしてもよろしいでしょうか」
「そのほうが理解しやすいならな」
再度許可を求められたローラン侯爵が許しを出せば、老執事はひとつ咳払いをした後に言い出す。
「他人の物をその首に下げて自慢を繰り返すドブネズミを駆除するための作戦を練りましょう、とのことです。女性が開く茶会は、基本的に女性が集まる社交場でございます。しかしご婦人の身元保証があった場合は未婚の紳士の参加も許されます」
「確かに既婚男性は立ち入れないが、独身であれば婚約者探しの名目で入ることができるのだったか」
「テオバルト様でしたら立ち入れます」
「セレナとアリーヌだけでもドブネズミの駆除はできそうだが、持ち主がいたほうが確実か。テオバルト君はどうかね」
老執事からの提案にローラン侯爵もテオバルトに問いかける。そしてテオバルトは真面目な顔で「問題ありません」と返した。
「一度王城へ行かなければなりませんが、すぐにこちらへ戻ります。その後で打ち合わせをしたい旨を伝えてください」
「かしこまりました」
テオバルトの言葉を受けた執事は腰を曲げるように頭を下げると応接間を出ていく。すると5歳の小さな執事もその後を駆け足で続いた。
それを見送った治癒師は心配げな顔でテオバルトを見つめる。
「隊長様はおキレイな顔をしておられるので平気なのかもしれませんが、お貴族様の集まる社交場に行かれるのはどうかと思いますよ。それこそ騎士団にいる貴族の方にお任せするなどしては?」
「これは君には申し訳ないと思っているのだが、アレは盗まれる前提で君に贈った」
「……はい?」
それまで見せていた心配をかき消して、治癒師はポカンとした顔を見せる。そんな相手にテオバルトはわずかに愁眉を寄せた深刻な顔で告げた。
「君が宝飾品をつけていれば、俸給を横領している犯人も動く。君から俸給が消えていると聞いたあの日、俺は犯人への罠として宝飾品を贈った」
「つまりあれは犯人をおびき寄せるための囮で、他意は無かったということですね?」
「他意?」
「わたしに贈りたい気持ちです。隊長様はわたしという釣り竿に高価な餌をつけたということです」
じわじわと怒りを見せ始める治癒師を前にして、テオバルトは目をしばたかせる。
「釣り餌に7万ルムもかける人間はいない」
「そうでしょうとも! だから愚かなわたしは勘違いをしたのです。そして隊長様も、そのような愚か者がこの世にいるのだと認識して行動にはお気をつけください!」
「その勘違いは勘違いではないが?」
「しかし隊長様はアレを失う前提でわたしに与えたのですよね」
「失う前提ではなく、取り返す前提で贈っている。あの石もまた君の価値には遠く及ばないが、それでも俺が君へ贈ったものだ。君以外の者がつけることを俺は許さない」
テオバルトとしては真面目に話しているつもりだが、治癒師は赤らんだ顔を苦々しく歪めている。そしてローラン侯爵も呆れた顔でため息を吐いた。
「テオバルト君のそれは口説いているのか?」
「俺はあの首飾りの贈った理由を説明しています」
「なるほど。この場合、治癒師君は愚かなのではなく哀れな子羊なのだな。まあ、その話は毎夜ゆっくり語り合い誤解を解いていけば良い」
呆れ顔のローラン侯爵が眺める先で、治癒師がやっぱりと言いながらテオバルトのひざを何度も叩く。
親に捨てられ孤児院で育ち、その後も平民という理由で差別され正当な評価を受けなかった。そんな自己評価の低いシルヴァン・モルレが、『竜王陛下の治癒師』という国内最高の賛辞と呼び名を得ても受け止めるわけもない。なぜなら彼を称賛するのは、彼に救われた平民たちだけだからだ。
竜王国内で価値基準を決める貴族階級は、彼が平民だからと酷使も浪費もするが評価はしない。そしてなまじ賢い彼はそれを受けすぎて、己の評価を最底辺で固定してしまった。
だがだからこそ、勉強以外は愚直なアンベールの末っ子の言葉が刺さってしまう。彼自身はとうの昔にアンベールを捨てたが、その性格は幼少期と何ら変わらない。素直にまっすぐに相手を評価する言葉を突き刺しては、その相手の承認欲求を満たしていく。
そんな彼の幼少期の被害者はユルリーシュ・デュフールだった。知識の家系の長男として生まれたユルリーシュは賢くて当たり前という重圧を抱えていたが、それを破壊したのがテオバルトだ。
幼いテオバルトは、年下のユルリーシュがひとつ習得するごとに褒める。その上さらに勉強を教えてくれる優しい年上の幼馴染みは、ユルリーシュを守る防波堤にもなったのかもしれない。
その結果、成長したユルリーシュもまた年下に知識を与えられる少年となった。
そしていま、テオバルトはその愚直な救いを治癒師シルヴァン・モルレへ向け続けている。
だが治癒師はユルリーシュと違って自己評価が最底辺で固定された大人の男だ。そんな相手を変えるのは簡単なことではない。
しかも大人だからこそ、その言葉は恋愛のそれにも聞こえて周囲を混乱させる。
だからこそシメオン・ローランも、ふたりに時間をかけろとしか忠告できなかった。
少なくともここから10日は夜をともに過ごせるのだ。それだけ時間をかけて語れば、治癒師もテオバルトの愚直さがわかるだろう。




