141. リリが怒った理由
王城内の会議室を出て建物内を歩く。その間もリリは王立学園に在籍する令嬢として最上位の気品を保っていた。
だが建物の外に出た途端にアニエスへ振り向いたリリは、耳飾りをはずしてその手に乗せる。
「わたくしは離殿へ行くわ」
「了解。私はテオバルト殿と話してから追うよ」
「お願いね」
短い会話の間に3種類の魔法武具をはずしたリリの姿は既に竜王国の至宝そのものだ。海より深い色彩を持つ彼女はまっすぐにテオバルトを見やる。
「治癒師はディーが守っているから大丈夫よ。きっと今頃は午後の授業を受けているわ」
「気遣い感謝する」
最低限の言葉を残したリリは藍色の長い髪をひるがえして走り出す。そのスラリと細い背中を見送ったテオバルトは、改めてアニエスを見た。
「今回のことで彼女が感情的になる理由がわからない。おそらくこれは俺の情報不足だろうが」
「どのような立場であろうと、己より弱く儚い雛を守るのは竜の本能ですよ」
テオバルトの問いかけにアニエスは3種類の装飾品をポケットに入れながら告げる。ただ、それだけの言葉ですべてを理解したテオバルトは静かに目を見開いた。
「そうか……。それは重罪扱いにもなるな」
「彼女自身、中等部1年の戦闘実習の中で己の弱さと不甲斐なさを体験してますからね。マティアス・ローランがいなければ彼女はあの広大な森のどこかで死んでいたかもしれません」
「砂竜が出て第一部隊が動いたとは聞いた。王立施設を管轄とする2班だ」
「それはすべてが終わった後で、森の中を調査した部隊ですね。その後で帝国騎士団も森に入り、原因調査を行っています」
「その時の彼女は?」
「森で衰弱した後、10日ほど寝込んだと聞いています。その件を重く見た宰相閣下はディートハルトを数ヶ月派遣して、その間に準備を整え近衛騎士として私の派遣となりました。さらにその翌年の戦闘実習では宰相閣下みずから視察を行い、魔女が利用している建物を発見しています」
「そこに魔鉱石などは?」
「いいえ、発見されたのは薬草類だけです。おおよそそこで魔女の妙薬を製造し、2年前の花祭りにて王都でばら撒いたのだろうと推測されましたが物的証拠はありません。しかしその翌年の戦闘実習では闇竜が出現しています」
時系列で説明するアニエスの目の前で、テオバルトも思案顔を見せている。
「3年前の砂竜出現の時点で報告が行き届いていれば、俺も闇竜とぶつかれたな」
「テオバルト殿は真面目な見た目に反して戦闘好きなんですね。闇竜なんて当たりたい相手ではないですよ」
「だが帝国騎士なら当たりに行くだろう?」
闇竜は好んで戦いたいものではないと告げたアニエスに、テオバルトは真面目な顔のまま返してきた。とたんにアニエスは確かにと返しつつ笑ってしまう。
「戦闘好きでなく、根っこが帝国騎士なんですね」
「騎士としての教育は帝国で受けたからな。だからこの国の騎士は辞めると最初から言っていただろう。この国でやるべき事は終えている」
「確かにテオバルト殿は様々なことを片付けてますからね。それにあまりに平和だと何かが衰える気がしますよね。私は……今年は少し成長が停滞しているように認識しています」
「昨年まで成長を感じていたのは、闇竜と当たったからか?」
テオバルトの問いかけにアニエスは苦笑をこぼしながら首を横に振った。
「王立学園にベルナール・ローラン殿がいたからだと思います。本当に成長著しい方だったので、そばで見ているだけで背筋が伸びると言いますか……失望させたくないと思っていたんですよ」
「そうか」
照れたように笑い語るアニエスの目の前で、何度も「そうか」つぶやいたテオバルトが唐突に笑い始めた。その予想外の反応に驚いたアニエスは素直に目を丸める。
「今の話に笑うところがありましたか」
「いや、すまない。君の目で見て成長著しいのなら、それは確実に君という騎士の影響だよ」
「いやしかし、私よりもベルナール卿のほうが聡明で素晴らしい方でしたよ。あちらは私を上に見てくれていましたが、それは確実に竜王国という平和な国で育ったからです。帝国で生まれていたらきっと私よりもはるか高みの方でしたよ」
「そんなことはないよ。あの子は君が思っているほど器用ではないから、一度に様々な分野を伸ばせない。たとえ帝国にいたとしても、君のように頭脳も剣術も社交性もとはいかなかった」
「でもベルナール卿は何でもできましたよ」
「成長著しかったんだろう?」
「そうです」
「成長する余地があることをできるとは言わない。君とベルナールは互いに高め合える関係だったということだよ」
「そ……う、ですか」
互いに高め合えるとは言い得て妙だが、それよりも理由のわからない羞恥心に顔が熱くなる。
そうして気恥ずかしさが捨てられなくなったアニエスは慌てて竜神殿を指さした。
「そろそろ私も行かなければ!!」
「まだ話は終わってない。竜神殿まで一緒に歩こう」
「ベルナール卿の話はしませんが良いですか!」
「俺が聞きたいのはそこではないから構わない。闇竜がいかにして作られ、いかにして倒されたかが知りたい。その情報が得られた後で、君のその可愛らしい反応について話そう」
「話しませんよ!」
「なぜだ? 君は可愛いのに」
「私は格好良いと言われたいのです! あと素直に照れます! 本当に!」
「そうか。君はまだ16なのだから可愛いくらいが良いと思うが、嫌なら仕方ないな」
「嫌ではなく照れます。ベルナール卿のこと以外のことを話しましょう。そして闇竜についてですが」
リリを追うべく歩き出しながら、アニエスは改めて闇竜の発生理由と顛末を説明し始めた。
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魔法武具をはずしたリリが王城敷地内を走る姿は、王城で働く多くの者に目撃されていた。下級文官や上級文官、そして官僚たちにも。
その中でも特に下級貴族の人間たちは初めて見る竜王国の至宝に目を奪われ、同時に我が子の報告を思い出した。
帝国からやって来て高等部へ外部入学した女子生徒は、王立学園内でラピスラズリと呼ばれている。最初にそれを言い出したのは侯爵家の子息3人だが、本人はそれについて大っぴらにはしないようにと返すだけであるらしい。つまり今は学生として学びたいから騒がないで欲しいということだろう。
だがそれでも竜王国の至宝たる存在は、当然だが竜王国の民を魅了する。なぜなら竜王国の民は全員が竜信仰をしているのだ。竜の雛たるその姫を神のように崇めないわけがない。
そのため必然的に信奉者が増えているという。そんな報告は祝祭月以降も子供たちから届く手紙によって知らされている。
そして改めて本人を目にした者たちは、その美しさに目と心を奪われていた。
竜が人間を遥かに凌駕する外見を持つことは様々な伝承や竜神殿の主の姿から見て取れる。それにたとえ竜王陛下のお姿を見たことがない者でも、その美麗さなどは常識として知っていた。
だが実際に見る姫とも言えるその存在は走る姿も美しい。海より深い青の髪を揺らす様も、その長いまつげに縁取られたラピスラズリのような瞳も。そのすべてが人間の心を捉えて離さない。
そんなリリの姿を見た大人たちは、その日の仕事を終え帰宅するとすぐ王立学園にいる我が子へ手紙を書いていた。
だが周囲の視線を気にしないリリは、驚く職員たちの前を駆け抜けて竜神殿の最奥へ進む。海を望む庭園の中に建てられた離殿に入るとその足でいくつもの扉を抜けて寝室に飛び込んだ。
「陛下! 赤子の方はご無事ですか!」
額に汗して駆け込んだリリを、寝台の上に座るカインセルスが笑顔で迎え入れてくれた。室内には竜王陛下以外に誰もいないが、父もカイザーも仕事をしているのか。そう思いながら竜王陛下と、そのそばにひとりで座りオモチャを手にする赤子を見る。
カゴのように隙間のある球体のオモチャは、中に鈴が入れられ振ると音がなるらしい。赤子はリリを見つつもそれを振って遊んでいる。
その元気そうな姿に安堵したリリは、呼吸を整えるためにも大きく息を吐きだした。
「僕の姫君は何を慌てて来たのかな」
「竜神殿内に欲をはらんだ者どもがおりました。ヒトは欲を持つと瘴気を放つのでしょう? ですからこの方が大変なのかと思って」
「なるほどね。でもその程度なら昔からいるし、瘴気ならカイザーが常に消してくれてるよ。それにヒトと共存するってそういうことだからね」
「ですがこの方は……」
「守護竜の本来の役目は、天啓を受けた竜王と次代の竜王を君が思うようなモノから守ることだよ。それに何より今はカインがいてくれるから二重の守りになってるね」
「そう……ですの」
安堵と共に再び大きく息を吐きだしたリリは寝台のそばに膝をついた。そうして視線の高さを近づけて、赤子に手を差し伸べる。すると赤子は藍色の瞳をリリに向けて、その手にオモチャを乗せてくれた。
「アジュールは君のことが気に入ったみたいだね」
祝祭月に初めて目にした時は、儚げな名もない赤子だった。だが今はひとりで座り遊ぶこともできる赤子のその名にリリは目をしばたかせる。
「この方はアジュールという名になったのですか」
「オーブリー侯爵がそう決めてくれたよ。カインはもうアジュと呼んでくれてる」
「そうですの……ふふ、可愛らしい名前ね」
赤子から渡されたオモチャを振りながらアジュと呼べば、赤子は楽しげに笑う。名を呼ばれたことよりもオモチャの音が楽しいようだ。
「アジュが無事で何よりだわ」
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離殿を後にしたリリは青いの髪を揺らしながら来た道を戻る。すると庭園の入口近くにアニエスとテオバルトが待っていてくれた。
「アジュ様はとてもお元気そうだったわ」
「それは何よりだ。名前も決められたんだね」
「ええ、アジュール様よ」
可愛らしいお名前よねと嬉しそうに微笑むリリには、先程まであった怒りも焦りもない。そしてその様子を目にすれば、彼女が暴行犯たちを殺そうとした理由も察せられる。
竜が雛を守ろうとする本能について考えながら、テオバルトはそのリリが3種類の装飾品をつけるところを眺めた。目の前で髪や瞳の色が琥珀に変わろうと、その存在が色褪せることはない。
色を変えたリリは少し乱れた制服を自分の手で整えると、王立学園へ戻るべく竜神殿内を歩いた。
「そういえば、あの罪人どもにつけたものだけれど。そもそも治癒魔法が使えるようになる魔法武具などあるのかしら? 言語魔法はカイゼスト・ラスウェルも扱うけれど、そのようなものは聞いたことがないわ」
「あの方は深淵の学舎で学んだことはないからな。それに火属性に特化した攻撃魔術を扱う方だ」
竜神殿の外を目指しながらも、リリの速度に合わせて遅い速度で歩く。そこに付き合ってくれるテオバルトは真面目な顔を崩さない。
「命属性の魔術はひとつしかない。その効果は治癒に該当するが、術者の命を代償としたものだ」
「つまり、法治国家だとわたくしを断じながら私刑をしてるのね?」
「無能どもに治癒師の穴埋めをさせる方法がなかっただけだよ。治癒師の仕事量は並ではないと聞いているが、それはつまり救いを求める者が多いということだろう」
「それはそうね。タダで施すなどしていれば、些末な傷でも使おうとするものだもの。でもその程度の傷を癒すだけならば、あの廃棄物どもも死ぬことはないということかしら?」
「死ぬことはないが、疲れ果てて生きる気力もなくなる。必然的に欲も消えるだろう」
「そう……。確かに生きるので精一杯になると欲など持つ余裕もなくなるわね。あの治癒師のように」
「彼は献身しか持っていないからな。己が世界の宝であるという自覚もなく、その身を浪費して生きている。だというのに孤児院出身と言うだけで誰も敬わないなら、俺が敬うしかない」
「そうね。あなたは正しいわ」
リリはテオバルトの言葉を素直に受け止めた。何も知らない者が彼を見れば愛だの恋だのと言うかもしれない。だがリリは少なくとも10年前のテオバルト・アンベールを知っている。
そしてその時の彼は、治癒魔法の使い手が魔力を使い切った後の地獄を見た人間だった。
「ところでわたくしはこのまま王立学園へ帰るけれど、あなたはこの後どうされるの? 治癒師を10日は隠すのでしょう?」
「ある方を頼ろうと考えている」
「ある方? その者なら、あの治癒師を10日も隠せておけるの? あなた、今回はまた何かの捜査をしているのでしょう? きっと花祭りであの首飾りを贈った時から」
別件の捜査のことを察しているリリにテオバルトは微笑をこぼした。
「流石に鋭いな」
「ええ、でも捜査内容まで話せとは言わないわ。ただあの治癒師はわたくしのマティアスを救ってくれた恩人よ。そんな恩人たる治癒師を、わたくしが放置することはしないわ」
「それは心強いことだが、今回頼る相手はローラン侯爵だ。あの方ならこの国にあるどんな権力からも治癒師を守ることができるだろう」
「それはそうだけれど……」
どんな権力からもと言われたリリは逆に怪訝な顔を見せる。
「あの治癒師はどこかの侯爵家にでも狙われているの?」
「今回の相手は王城の中に巣食っている。騎士団長を変えたのはそれを片付けるための下準備だ」
「壮大な下準備だったわね」
竜王国騎士団の騎士団長が突如として免職となったことはリリも竜王国民と同様に知っている。ただその理由は、新騎士団長の名前のせいで誰も気にしていない。
生きた伝説であるロシアルト・イル・リズロットが騎士団長として表舞台に舞い戻った。その事実は竜王国民たちを喜ばせ、交代理由を疑念視することすら忘れさせるほどなのだ。
「でも、ここまでのことをしてしまうと、竜王国側はあなたを引き留めようとしないかしら」
犯罪者なら侯爵だろうが騎士団長だろうが潰していく。そんな有能な騎士を竜王国がアッサリと手放すだろうか。
ふとそこを心配したリリにテオバルトは問題ないと返す。
「俺に下された解雇処分の辞令は撤回されていないし、撤回されることもない。君の言うとおりに俺が認められるとするなら、それこそが権威主義の悪しき結果としてこの国に残る」
「あなた、少し自分の身を呈し過ぎていないかしら。それで自覚がないだの己を浪費しているだのと、治癒師のことが言えるの?」
「言えるに決まっている。彼は世界の宝だからな」
どこまでも持論を変えないテオバルトに、リリは呆れてしまった。確かに治癒魔法を扱える者は貴重だ。アニエスが14歳ながら近衛騎士になったのも、彼女の努力もあるが、その才能も影響していた。
生まれつき強い神聖力を持ち、さらに神聖魔法を会得するだけの努力ができる。その時点でどんな国も得難いとするような存在なのだ。そんな人物が、さらに知識も礼儀も剣術も極めたなら14歳でも近衛騎士団の扉は開かれる。
だがどれだけ貴重で得難い存在だとしても、国家を変革させるほどの人物と比べることはできない。どれほど優れた頭脳と強さがあれば、権威主義の国にいながら権力者を倒せるというのかリリにはわからない。
「あなたのその自己評価の低さというか……抜けたところ。ラスウェルとそっくりね」
竜神殿を出ながら嘆息混じりに告げたリリの隣で、テオバルトが今までにないほど嬉しそうな顔を見せる。
「それは最高の褒め言葉だな」
「褒めてないわよ!」




