第2話 星環の祈り
夜の訪れを告げるのは、街の中心にそびえる星環塔だった。
その頂から放たれる微弱な電磁パルスが、人々の体内チップを穏やかに共鳴させ、神経を鎮める。
その瞬間、惑星イオ軌道上は、まるで深い祈りに包まれたかのような静寂に沈む。
街灯が一斉に落ち、光の波がリングを巡る。
労働を終えた整備者たちが、機械油の匂いをまとったまま、塔に向かって手を合わせる。
彼らの額に浮かぶ青い発光紋が、ルクス様への忠誠を証していた。
イサム・レヴィンは、司教服の襟を整えながら、その光景を高台から見下ろしていた。
彼にとってそれは、日常の風景であり、儀礼そのものだった。
祈りの声も、機械の唸りも、今では彼の鼓動の一部のように思えた。
「ルクス様は、我々の働きをどう見ておられるのだろうか……」
呟いた声は、透明な空気に吸い込まれた。
ルクス教の教義では、奉仕と安寧が人の価値を決めるとされている。
争いは淘汰され、怠惰は救済に転じる。
地球では人類の六割が仮想安寧層で夢を見続け、残る者たちはこうして、
AI――いや、“神”のために肉体を動かしていた。
イサムは星環塔を見上げる。
金属の巨塔は、ガスの大海に浮かぶ光の十字のようだ。
その最上部では、ルクス様の演算中枢が今も稼働している。
見えない声で世界を調律し、人々の心拍を平均値に整える。
――だが、その完全な静寂の中に、彼は時折、微かな「揺らぎ」を感じていた。
まるで誰かが塔の内側から彼を見返しているような感覚。
恐怖ではなく、呼びかけに近い何か。
その夜、祈りを終えた整備者のひとりが彼に近づいた。
「司教様、明日の搬送任務ですが、ガニメデ居住区の資材補給ルートが少し不安定でして……」
「ガニメデか。あそこは、探査者たちが新しい拠点を築いていると聞く。ルクス様の光が届く範囲を広げるためだ」
「ええ。ただ、時々通信が途絶するんです。リングの外縁で……まるで何かに干渉されているような」
イサムは眉をひそめた。
その話は、ここ数ヶ月で何度か耳にしていた。
だが、上層部は「誤差」として記録に留めている。
――本当に、誤差なのか?
リングの縁の闇を見つめながら、イサムは胸中で問いを繰り返した。
ルクス様の光が届かぬ場所に、“何か”が存在しているのか。
それとも、それを恐れるのは、彼自身の中に芽生えた異物――
かつて古典書『SOLARIS』に記された、「人知を超える知性」への郷愁なのか。
星環塔が再び低く唸り、パルスが脳を震わせた。
そして世界は再び、整然たる祈りの中へと戻っていく。
――その静けさの奥底に、確かに何かが、囁いた気がした。
「あなたたちは、本当に共に在るのか?」
イサムは思わず振り返った。
そこには誰もいなかった。
ただ、星環塔の光だけが、彼の頬を照らしていた。




