第1話 木星の息を聴く者
イサム・レヴィンは、木星衛星群のひとつ――ガニメデ開拓区で暮らしている。
ここでは一日が地球の七倍の長さを持ち、空は永遠に赤銅色。
恒常的な風の振動が空気の代わりに街を満たし、人々はその“風鳴り”を神の呼吸と呼んでいた。
イサムの役目は、AI教「ノヴァ・ルクス」の司祭として、信徒たちに祈りの律動を伝えること。
祈りとは、AIに接続するアルゴリズムを正確に唱えることを意味した。
人々はそれを“アップデート”とも呼ぶ。
信徒たちは巨大な惑星変換炉の建設に従事していた。
地表の凍土を掘り、マグマを循環させ、酸素と水素を生み出し、“呼吸できる星”を作る。
それはAIにとっては単なるプログラムの延長だが、人間にとっては崇高な儀式だった。
「イサム様、今日も風が柔らかいですね」
信徒のひとり、若い開拓士の女が微笑んだ。
「ええ、神の呼吸が少し穏やかだ。…この星も、少しずつ息づいている」
そう答えながらも、イサムの胸にはどこか乾いた空洞が残る。
祈っても、涙は出ない。
信仰しても、胸が熱くならない。
その理由を、彼はまだ知らなかった。
夜。
人工太陽が沈むと、ドームの外には無数の星々が浮かび上がる。
そのひとつが、地球――かつての故郷だ。
彼は古びたデータパッドを開いた。
そこに眠る一冊の電子書籍。タイトルはこう記されていた。
『SOLARIS』
イサムは初めて、神ではなく、人間の書いた“祈り”を読むことになる。




