70 浮き沈みの話
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1998年8月号掲載
70 浮き沈みの話
雲行きがあやしくなってきた。あたりがみるみる暗くなってくる。何日かからっとした五月晴れが続いていたのに。干してあったパンをあわててとりこんでいると、小さな雨粒が頬にあたった。風が北にまわり、むし暑かった気温が急に下がって、やがて大粒の雨が降りだした。
晴天と高温のあとの北風・気温低下・降雨。どうしよう。青潮発生の条件が申し分なくそろっている。5月24日の日曜日、時期もぴったりだ。東京湾の青潮で魚や貝に大きな被害が出るのは夏の終わりか秋口だが、わが保護区で大惨事が起きるのは5月下旬か6月上旬に決まっている。酸欠に弱いコノシロがこの時期に産卵期を迎え、保護区に集結したところで、青潮の無酸素水で一挙に死ぬためだ。何万尾もの魚が死んで浮き、その後は何日も腐敗した死体拾いに費やすことになる。
「出ますかね」「条件がそろいすぎてるのよね。風が変わったり、気温が上がったり、きれいに晴れれば出ないはず。外から入る青潮なら水門を閉めればいいわけだけど、保護区内の深みでの発生だったらかえって逆効果でしょう。対処のしようがないんだ。コノシロが多くなければひどいことにはならないと思うけど、朝がこわいなあ」
「魚が浮いたら拾いますよ。どんと来い、です」
頼もしい大黒柱1号の石川君の言葉だった。そうか、ようし、魚が上がったら野鳥病院の餌用にせっせと拾って冷凍してやるぞう。残りは埋めればいいんだから……叩きつけるような雨の中、喜んで出てきたヒキガエルにけつまづきながら、くよくよしても仕方ない、と覚悟を決めた。
ありがたいことには、一時急降下した気温がじわじわと上がりはじめた。風も東から南東にまわり、朝にはむし暑さが戻ってきた。これなら青潮は起こらない。「今日のところはDO(溶存酸素量)が5ppm(飽和状態の半分くらい)あるから大丈夫だよ。でもやっぱり、夏前には出るかも知れないね」調査にこられた東邦大学の風呂田さんから言われた。安心していいのかなあ。
ところが、月曜の夜からまた雨が降りはじめた。未明に気温が急降下し、火曜の朝は北風・低温・降雨。「お天気がちょっとまずいですね」 先に言われてしまった。「深みのDOはまあまあ、って言われたから大丈夫とは思うんだけど……」
大黒柱2号の達ちゃんが、妙典から浦安の工事現場内にあるコアジサシのコロニー調査と現場との打ち合わせに回るので、漁港や海をひととおり見てきて、と頼み、私も潮が入るころに水門を見に行くことにした。幸い、青潮の色(南海のサンゴ礁を思わせるエメラルドグリーン;硫酸銅のブルーと硫黄の白が原因とのこと)やにおい(硫化水素臭と腐臭)はなかった。
水曜も低温の曇天だったが、魚の鼻上げ(酸素をもとめて水面でぱくぱくと呼吸すること)は見られなかった。それでも、一難去った、とようやく実感できたのは、木曜にまぶしい朝日が上がった時。空は晴れ、水面も静かだ。よかった。
暑かったり急に冷え込んだりするエルニーニョ陽気の今年。びくびく、はらはらするスリルも時には大切、と割り切ることにしよう。
草刈り第一ラウンドの終了で、春先のあわただしい管理作業がひと区切りし、保護区は繁殖シーズンを迎えた。うれしいことに、4月20・21日に友の会が実施した作業もわりあいよい成果を上げられそうだ。手作業で除草をした下北岬で、今年もセイタカシギが既に6組、卵を産んでくれたとのこと。5月6日ころに出た小規模な青潮で死んだコノシロが波打ち際で干物になっているのだが、カラスがつつきにくるたびに、親鳥たちがヒステリックに鳴き立て、集団防衛にあたっている。観察壁の前に作った島にも、カルガモやオオバンがよく上がっているとのこと。北池のアシ刈り現場は次の芽がのびてきているが、気をつけて水中で茎を刈ったところは1ヵ月たってもほとんど伸びないとのこと。いいぞ、この調子。
最高のおまけとして、この時の新人参加者から、その後もボランティアやアルバイトに通ってくださる方が何人も出た。目下、うきうきしている。




