13 満ち潮
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1993年10月号掲載
13 滿ち潮
窓から日がさして、遠くでアブラゼミが鳴きだした。海から澄みきったキアシシギの声が聞こえてくる。コアジサシも鳴いている。空は薄雲にかすんでなんとなくうっとおしいが、ようやく少しは8月らしい気分になった。
ぎらぎらと照りつける強烈な太陽がなつかしいなんて、夏のさなかにこんな思いをするのは初めてだ。去年の今ごろは、連日35℃近い猛暑と熱帯夜に泣かされ、ひたすら雨を待ち望んでいたのに、今年のこの冷夏。農作物や巣立ちビナへの被害は心配だが、おかげで保護区の池はどれも水を満々とたたえている。ビールもアイスクリームも出番が少なく、家計やダイエットにはよい影響もある。
夕方近く、潮がひたひたと満ちてくるころになると、保護区の干潟は急ににぎやかになる。幅3mの千鳥水門を通じて潮が出入りしている保護区では、外の干潟よりも満潮が30分以上、干潮は1時間半近く遅れるので、沖の三番瀬干潟に潮がどんどん上がってくると、ねぐらにつく前のひと時を保護区の干潟ですごすシギやチドリが入ってくるのだ。潮どきによっては夜通しシギが鳴きかわす声が聞こえてくることもある。もっとも午前中の満潮前はなぜかあまり鳥が入ってこない。
保護区の干潟にも潮が満ちたあと、シギたちがどこで休むのかはよくわからない。昨年は何日か続けてわが家や観察舎の真上を越えて行く群れを見たので、一度屋上から見張っていたことがある。この時見た群れは、すぐ裏の下水処理場敷地に下りたようだった。今年は群れの移動はそれほどはっきりしないが、昨年と同じコースを飛ぶこともある。
千鳥水門で、潮が変わるところを何度か見たことがある。保護区の海域は約30ヘクタール(30万平方メートル)、干満の差は日に60~100cm。わずか3m巾の水門から20万立方メートル近くの海水が日に2回も出入りしていることになる。つまり、約6時間で10万トンから20万トンの海水が流れる。流れの厚みを約1mと仮定すると、水流は秒速8mに達する。
いつ見てもごうごうと水が動いている光景はすさまじい。外の潮と水門の中の保護区の潮の高さがほぼ同じになると、流れがゆるやかになり、やがてぴたっと止まる。しかし、ほんの2,3分後にはそれまでと逆方向にゆっくりと流れはじめ、ものの20分もたたないうちに、再びごうごうと反対方向への激しい水流が起きている。
この夏は、ゆるやかな流出がちょうど止まるところに行き合った。水門の外の海は赤潮で濃い茶色に染まっていた。わずかな静止の後に流入が始まったが、次第に激しくなる流れも赤潮の色になっていた。
ふと、流れの中に10㎝くらいの小魚の大群がいくつも泳いでいるのに気づいた。身をひるがえす時にきらっと銀色に光るのがよく見える。一群に数百尾はいたようで、わざわざ水流に集まってきて、流入する赤潮プランクトンそのものか、赤潮を餌にする生物をねらっているように思われた。そのまわりに60~80㎝もある大型の魚が何尾もゆうゆうと泳いでいる。こちらは小魚がお目当てらしい。
すばやい身ごなしで群れの中に大魚がつっこむと、小魚の群れはきらきら輝きながら、まるで水中の花火のようにわっと散る。時には一斉に水面に躍り出て、雨のようにしぶきを上げる。潮の流れが保護区の生命の源となっていることを、いやおうなく実感させてくれた。実にみごとな眺めだった。
澄んだ声で鳴きかわすシギやチドリ、整然とした列をなして西へ向かうカワウ、ゆっくりとはばたきながら新浜鴨場のねぐらをめざすサギ、薄暗くなりかけた上空でひとしきり鳴きながら群飛してから、アシ原におりて行くツバメたち。
オシロイバナやマツヨイグサやカラスウリが開花し、ホウジャクがブーンとかすかな羽音をたてながら、長い吻をのばして蜜を吸う。オニグモは網の張り替えに余念がなく、街灯の下には大きなヒキガエルがのっそり陣取って、光につられて落ちてくる虫をねらう。
夏は宵がいいなあ……これ、早起きが苦手の言いわけかしら。




