11 セイタカシギ受難
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1993年8月号掲載
11 セイタカシギ受難
5月23日の日曜日。用事で保護区に入った主人がぶぜんとした表情で戻ってきた。「セイタカシギがすわってないぞ」
前日の夕方、調査に出かけられた北川珠樹先生が「4巣ありました。卵を抱いてますよ」とうれしそうに話しておられた矢先。「警戒して飛び立っただけじゃないの」「いや、ともかく1羽も巣についていないんだ。もしかすると全滅じゃないか」
夕方、6羽の成鳥が目の前の干潟におりた。ケレッ、ケレッとひどく興奮した様子で鳴き交わしている。落ちついて餌をとろうという雰囲気ではない。ときどき舞い上がってはさらに鳴き立てる。そのうちにさらに2羽が加わり、8羽がしばらく鳴きさわいでいたが、やがて一斉に舞い上がり、なおも呼び交わしながら西へ向かってまっすぐに飛び去った。
翌日は朝からセイタカシギの姿はまったく見られなかった。ふだんなら目の前の干潟に何羽かが出て餌をとっているのに。ますます不安をつのらせながら、昼すぎに保護区へ入った。池はしんとしてセイタカシギは1羽もいない。あのけたたましい警戒声が聞かれないのを残念に思うことがあるなどとは、考えてもみなかった。
いつも巣についている白い頭が見られていたあたりに見当をつけて、池に踏み込んでみた。巣はあるが、やはり卵がない。いくつかあった島を次々にまわってみたが、巣だけが残り、卵は1個もなかった。いちばん目立つ大きな島の巣だけは、中身がなくなった卵殻が4個残されていた。カラスのしわざだ。おそらく保護区内に巣を作っていたハシボソガラスだろう。最後の巣では、卵をとられてパニックにおちいったセイタカシギの親鳥たちが攻撃をあきらめたあとで、ゆっくりと中味を食べたに違いない。日曜の朝のできごとだったのだろう。ヘビやカラスに毎年卵やヒナをとられてはいるものの、全滅という事態は初めてのことだった。
それ以来、セイタカシギは行徳一帯から姿を消してしまった。6月18日になってひさびさに5羽が姿を見せてくれたが、今年の繁殖はとうてい望めそうもない。カルガモやカイツブリのヒナは無事にかえっているし、新浜鴨場のサギのコロニーも、細々ながら続いているのだが、裸地に巣を作る鳥とカラスの共存は無理なのかもしれない。
さて、観察舎の野鳥病院は例年のようにヒナ鳥の入院ラッシュ。5月は61羽(もっとも1羽は飼いウサギ)、6月は23日現在で既に61羽。
今年はカルガモのヒナが多く、目下36羽がぞろぞろと育っている。カルガモは、時には水辺から数百メートルも離れた所でヒナをかえす。ふ化したばかりのヒナを連れて水辺まで歩くのだが、道路や住宅、U字溝、犬、猫、人間、車、と障害だらけの旅路は楽ではない。カルガモのヒナの保護例は、こうした旅の途中がほとんど。親鳥が車にひかれてしまったり、親子で建物に迷い込んだり。浦安のシェラトン・ホテルの玄関を歩いていたという1羽を皮切りに、あと少しの配慮があれば親に返してやれたのに、という一腹分11羽のヒナまで、保護理由は様々だ。
ふ化後間もないカルガモのヒナは、最初は暖房室に入れ、金魚用のこまかい浮き餌を与える。やがて植物質の餌を多めにし、暖房をはずし、2週間ほどでプールつきの部屋に放す。6~8週間で標識足環をつけて放鳥するが、飛べるようになるまでには10週間かかる。
目に入れても痛くないほど愛くるしい姿をしたカルガモのヒナは、実は例外なく気が強くて攻撃的だ。大きいヒナは徒党を組んで小さいヒナをいじめるので、何組もいる時はグループわけがやっかい。
浦安からはオカヨシガモのヒナ7羽まで入院してきた。オカヨシガモはもともと北海道でしか繁殖例がなかったが、1987年以来、東京湾の埋め立て地で少しずつ繁殖をはじめており、ここ数年、毎年のように保護されるヒナがいた。今年は一腹分丸ごと。同時期に保護されたカルガモたちと一緒に元気に育っている。
例年通りなら、7月いっぱい入院ラッシュが続くので、当分は野鳥病院にかかりきりの生活が続く。さて、梅雨の晴れ間を見て、大きく育ったムクドリたちを放してやらなくちゃ。




