桐島 大地(きりしま だいち)という男
こちら。多少長くなっております。
「…受け取れよ」
訝しげに見つめるばかりで、差し出されたミルクティーを受け取ろうとしない私にしびれを切らせたのか、ほらほら。と揺らして見せる。
仕方ないのでしぶしぶ受け取るが不審すぎて封を開けることが出来ない。
「飲まねぇの?」
「…いただきます」
「あと、どれくらいかかる?」
「…見た通りです」
「俺、資料とか作ったことないからよく分かんねぇ」
何なのだろうか。
労えよこら。という私の心の声でも聞こえたのだろうか。だとしてもおかしいだろう。
私とこの男性の面識などないはずだ。同じ会社というだけで。
確かに顔見知りではあるかもしれないけれど。あぁミルクティーおいしい。
「やっぱり。当たった」
「…何がですか?」
「ミルクティー。よく買ってるから好きなんだろうなと…待て。俺は別にストーカーではない」
「やだなにこいつこわい」
「本音を隠す努力をしなさい。違うっていってるだろ」
「じゃあなんなんですか。ぶちゃけますけど私、あなたのこと知らないです。営業部だってことしか分かんねぇす」
ミルクティーに少し絆されて、口と心が緩くなる。
どうせ徹夜は決定事項だ。少しくらいこうやって頭を切り替えるのも悪くない。
そう思うと割と簡単に会話ができた。いくら人付き合いが悪いコミュ障でも話すことくらいできる。
「まぁだろうな。部署違うし。こっちには仕事持ってくるときしか来ないし」
「それは分かってんで早く自己紹介してください」
「はいはい。…桐島大地。営業部のルーキーです」
「自称ルーキー(笑)さんが何の用ですか?」
「ここキレどころだったりする?」
「キレるならお一人でお願いします」
「…ねぇ性格悪いって言われない?」
初見で失礼だとは思ってはいたが、実際なかなかに失礼な奴だ。
自分のデスクから180度反対を向いている私に向き合うように後ろのデスクにもたれかかるルーキー。座ればいいのに。
それにしても営業部のルーキーといえば、そのコミュニケーション能力の高さとルックスの良さ、なんといっても人当たりの良い笑顔と交渉術で、どんな相手からも契約をもぎ取ってくるというあの桐島大地か。…ということは同期か。
話には聞いていたが、本当にそんな人間が実在するとは。ぜひとも少しでいいから人当たりの良さを分けてもらいたいものだ。
一方は誰にでも人気の人生勝ち組で、片や一方は人付き合いの悪さからついた二つ名が『定時大好き人間』の私。…いったいどうしてこうなった。世の中は意外と狭い。
「なんでミルクティーのこと知ってたんですか?」
「ん?いや、だっていつも買ってんじゃん。あそこの自販機でしか売ってないもんね」
「やっぱりストーカー」
「言うと思ったわ。違うっての。…俺、外回り多いから会社では休憩がてら、よく喫煙所に入り浸ってんの。買ってるの喫煙所から見えるんだって」
あそこのは遠いから喫煙所も自販機にも来るやつ少ないし。と言い訳のようにぼそぼそと言い続ける。
「…あそこの自販機いいですよね。利用者が少ないからなのかは知りませんけど、『ミルクティー飲みたい』って張り紙してたら入ってましたもん」
「あの張り紙お前だったの?面白いことしてるやついるなって思ってたけど」
「このミルクティーのHOTもお願いしたんです」
「なるほどね。夜は肌寒いけど、まだHOTには早いこの時期に、何であそこだけHOT出てるんだろうって思ってたわ」
「張り紙がはがされてた時には清掃員さんに取られちゃったかと思ってましたけど、これ入ってて人間て案外捨てたもんじゃないなって思いました」
「自分も含まれる種族を簡単に捨てんな」
「余りの感動に今度は『ありがとうございます』の張り紙しました」
「何その純粋さ。地球上で一番繁栄してる種族捨てようとした強者のくせに」
「繁栄はしてないかもしれないですけど一番繁殖力高いのはコキブ…」
「あーあー聞こえない!!黒光りの害虫なんて聞こえない!!」
「しっかり聞こえてんじゃないですか」
あの害虫の名前すら聞きたがらないとは、意外と豆腐メンタルらしい。
…ここまで大変楽しい会話を続けてきたが、さすがにそろそろ仕事を再開したい。徹夜は決定でも、30分でいいから仮眠くらいは取りたいと思っているのだ。
久しぶりの人とのまともな会話も大事だとは思うが、残念ながら人生勝ち組イケメンと話すよりも、睡眠の方が欲しい。
とりあえず、続きに取り掛かろうとデスクの正面を向く。
「…あのさ。…寒かったりしない?空調切れてるし」
「肌寒くはありますけど、我慢できないほどじゃないです」
「そっか。…小腹すいたりしない?」
「この時間に食ったら、いくらルーキーさんでも確実に身につきますよ」
「…デスヨネー」
何か言いたいことがあるのだろうことは流石の私でも分かる。でも、ここで切り返したら仕事が進まないであろうことも容易に想像できる。
楽しすぎるのだ。入社してからこんなにもあっけからんと何も考えずに会話を楽しめたことがあっただろうか。
大概の人は、私が返す返事にそっけなさを強く感じ取って、すぐにコミュニケーションをとるのを止める。これは私の通常運転なのに。
作った話し方だなんて疲れるし、何が楽しいんだか。
無理して話す必要もない。仕事に必要なことはちゃんと聞いているし、伝えている。問題なんてない。
「あとどれくらいで終わりそう?」
「…一時間ないくらいですかね」
「…そっか」
この人はいつまでここにいるつもりなのだろうか。
予想外の労いになんとなく受け止めてしまったが、普通ならあり得ないことだ。
嘲笑をこめて『定時大好き人間』と言われる私と、こんなにもそばで過ごしてくれる人は。
「あのさ…。そのままでいいから、ちょっと聞いてくれる?」
「何ですか?身の上話ですか?他人の不幸は大好きです。どうぞ」
「違うわ。お前、さては中身クズだな」
「よく言われます。どうぞよろしく」
「したくねぇー。よろしくしたくねぇー。て…話逸らすの上手いな」
「コミュ障なのに上手いわけないじゃないですか。ルーキーさんがノリよすぎなんです」
「桐島さんな。ルーキーさんだなんて俺が呼ばせてるみたいじゃねーか」
「え。桐島さんだなんて呼んだら必然的に私も名前で、ていうか名字で呼ばれることになりません?ていうか知ってます?私、都美沙子って言うんですけど」
「今更だな。そして俺に名前呼ばれんのが嫌なの?それとも呼ぶのが嫌なの?」
「いえ。大して抵抗はありません桐島さん」
「…なぁこのやり取り必要だった?」
必要かと言われればまったくもって必要なかったけれども。
桐島さんのノリの良さが悪いのだ。こんなにも一つ一つにつっこんでくれるとは。
そのせいで全く話が進まないという難点があるが。
「悪かったな。……仕事押し付けられたんだろ」
「え。なんで桐島さんが謝るんですか。ていうか何この真面目な空気。息しづら」
「茶化すな阿呆」
「押し付けられてませんよ。お願いされたんです。どうしても抜けられない用事があるからって」
「わけわかんないところで純粋だな」
「純粋ですよ。ついでに処女です」
「無理して空気を和ませようとすんな。逆に凍ったわ」
ほんとにコミュ障なんだな。と呆れを含んだ声色で言われるとなんだか心外な気分になる。いや、実際そうなんだけど。
でも、そうやって恥を捨ててまでこの空気を変えたいと思ったのは本当のことで。
なんでこんな残業のせいで桐島さんに謝られないといけないんだ。
少しむっとしながらも桐島さんを見ると、当の本人は眉間にこれでもかと皺を寄せていた。
「抜けられない用事。って、そういわれたの?」
「はい」
「どうしても?」
「ええ。大事な用だって」
「えー…。どんだけ必死なんだよ…」
いきなり背後で、はぁ…。と大きなため息が聞こえて振り返ってみると、他人のデスクに我が物顔で凭れていた姿などどこにもなく、頭を抱えて床にしゃがみ込んでいる営業部期待のルーキー。
何をしてんだいったい。と思いながら声を掛けようとすると、一足早く立ち直ったのか、勢いよく顔をあげた桐島さんと目が合う。
その目に浮かんでいるのは明らかな侮蔑の色。つい反射的にびくりと怯えを隠せない反応してしまう体に、私も女だったか。と再認識する。
怯えた私とがっちり目があってしまっている桐島さんは、慌てた様子で『違う違う。ごめん。よしよし、良い子だから』と私の頭を撫でてわけのわからないあやし方をしだした。
いいからあんたが落ち着け桐島さん。
「大事な用なんてなかったんだよ。…いやあの人からしたらよっぽど大事なのかもしれないけど」
「…どういう意味ですか」
「いや。…うーん。うん。………………合コンだったんだよね」
「…はい?」
「その…女子大生との合コン。……俺がセッティングしました」
「…………」
「前から先輩に用意しろ。っ言われてて、最近は余りにもウザったかったから先輩が来れないだろう日にセッティングしたのに、なぜか定時で上がった俺より先に居るし」
「…………」
「おかしいと思って聞いたら、あんたに押し付けてきたってドヤ顔しだすし。まさかと思って二次会抜け出して来てみたら、とっくの昔に守衛さんも帰ってるのに電気ついてるし」
「…………」
「あーあー!ごめん!俺が悪かった!だから泣くな!…よしよし、良い子だから」
「……泣いてないです。なんか情けなくなっちゃっただけです。あと都ちゃんです。お前じゃないです」
「ごめんて都さん」
「都ちゃん」
「……都ちゃん」
「許します。もともと怒ってないですし」
なんなんだろう。人付き合いが悪い上に、愛想も悪い。そんな私を見ていてくれたんだと嬉しかったのに。本当はいいように利用されていただけだった。
きっと先輩は気づいていたんだ。私が少なからず先輩に好意を抱いていたことを。
だから、これ幸いと。使えるものは使ってしまえと。私の好意を利用した。
…悔しい。利用されたことよりも、それを見抜けなかった私の単純さが。…情けない。人を見抜く力が、自分の身を守る最低限の力さえ持っていなかったことが。
もう自分の馬鹿さ加減に涙すら出てこない。
「……都ちゃん?」
「大丈夫です。傷ついてません。…………仕事します。これを完璧にして終わらせることが今、私が先輩にできる最大の仕返しですから」
そして、明日の朝イチで罪悪感にむせび泣くがいい。もう今日だけど。
…そうだ、これ見よがしに仮眠を取らずに目の下にクマを作って、ふらふらの状態でデータを渡そうか。健気を装って人数分印刷してホチキスで丁寧に止めて渡すのもアリだな。
あなたが望んだんだ。これ以上ないくらいの完璧で丁寧な仕事をしてやる。
そう思ってPCに向かう。
本当は辛い。と思う。でも、意地でも涙なんか見せてやるか。私は可愛くない女なんだ。最後まで抗ってやる。
歪む視界を堪える。何があっても零れないように。
何があっても、後ろにいる桐島さんにこれ以上の負担をかけないように。
多分、誰よりも責任感の強い人なんだ。まともに話してからまだ数時間しかたっていないけれど、それが分かるくらいいい人だから。
だからこそ、これ以上、弱い姿なんて見せたくない。
ここで涙の一つでもこぼしてみろ。『守られるべき女』にはなれてももその瞬間に私はただの『女』に成り下がるぞ。
それを私は許せるのか。
それは、それは絶対に私の矜持が許さない。
今、私がどんな顔をしているのかなんて、関係ない。多分、これ以上ないくらい醜い顔をしているのは分かっている。
それでも、ここで中途半端にやめるくらいなら、ここまで作った資料データを全部消してしまいそうな衝動に駆られているから、この手を止められない。
衝動に任せて消してしまったら、桐島さんに顔向けできそうにない。
ただひたすら、責任を感じて、こんな時間に、おそらく離れているであろう場所から来てくれて、ミルクティーまでくれたこの人に。
何一つ責任など感じてほしくないから。恥じることなどないのだ。と伝えたいから。




