用心深いヒイラギは濃緑色の鋸歯を持つ
徳川家の北東に植えてあるヒイラギが賑々しく庭で息吹いていた。トゲ状の鋸歯を持つ葉が濃緑色の輝きを放って用心深さを物語る。モクセイ科モクセイ属に分類される常緑小高木の一種だ。冬に白い小花が集まって咲く。曾祖父が第二次世界大戦敗戦後に植え付けたとされるヒイラギ、集まった白い小花は甘い芳香を放ち邪気を払うという縁起木、ヒイラギを裏鬼門に植えると魔除けになるのだとか。曾祖父は何を思い何を恐れこのヒイラギを植えたのだろう?誰知らぬ都落ちの徳川の性を恥じたのだろうか。昭和39年東京オリンピックの開会式が行われた10月10日植栽と記された長細い棒が根元に刺さっていた。東京オリンピック開会式のその日は体育の日に定められが今は移動祝日となりスポーツの日と名称変更がなされている。
何故ヒイラギを10月に移植したのか、春の半ばから真夏にかけてが最適期なのに、どこから移したのか、枯れもせず艶々と輝いている。葉の変色や落下という移植ショックはなかったのだろうか、移植ショックを曾祖父が回復させたのか、直接的に聞いたことはないけれど、当時祖父はまだ幼くて憶えていないのだとか。
魔除けの定義は、魔性のものを近づけないこと。災いや魔物を避けること。またそのためのもの。そのために用いる呪い物。お守り。護符。石。魔除けは複数存在するが、曾祖父はヒイラギを選んだということか‥‥まあ、縁起が悪いより良い方がいいだろう。ヒイラギは多年生で寿命が長く成長は比較的遅い、老木になると葉の棘が浅くなるらしい。曾祖父の植えたヒイラギの棘は未だ鋭く尖る。
花言葉は「あなたを守る」珠生はヒイラギのギザギザの葉っぱが好きだ。同じように見えて同じ葉っぱはひとつとしてなくそれぞれに個性があってワラワラと己を主張しあう尖った棘棘しさが潔い。自身もそうで在りたい。
ヒイラギの横には二季咲き紫陽花と言われるサマーメドレーが植えてある。初夏に咲いた花を取り除いてあげると、手を掛けた分の恩返しのように、秋に赤みを増したピンク色の花が株いっぱいに返り咲いて、異次元の愛情を伝えてくれる。ありがとう心配しないで私は貴方を愛しているからと囁いているかのようで可愛らしい。いったい愛してる貴方とは誰のことだ‥‥貴方とは自分と同じもしくは目下の人間。
なら、君は何者だ?サマーメドレー君は神かい?自分と同じとあるなら僕も神だ。僕は神様など信じてない‥‥。
これは大叔父に教えてもらっただけの受け売りの話なのだけど、記憶には鮮明に残っていてすごく印象深い話だからか時折思い出しては否定する自分がいる。
内容は、唯ひとりの人間を探す旅をして生きていくのが人生だという話。旅は例えで観念的な物だ。自ら創造し自己を乗り越えて行くプロセスが生きていくことなら、その旅の過程で探し出せる人もいれば見つけられなくて別の誰かを選ぶ人もいるという。唯ひとりのヒトはひとりじゃないんだと思った矛盾してて変な話だと。仮に違う人を選んでもそれは間違いではなく必然なのだそうだ。ようは価値観が合えば誰を選んでもいいのかもしれないが、どこか釈然しない。唯一無二の存在ではなくそこに代わりがいるんだ‥‥それは唯ひとりの人を探すという旅の設定が崩壊していないか‥‥。
呂室のする話は理にかなっていてほぼほぼ正しいが、偶に妙に嘘くさい神話チックな話となる‥‥いいけど‥‥聞いてて面白いから。
前世でひとつだった魂が、今世ではふたつに分かれて現世に転生する、それがツインレイだ。この世にたった一人しかいない運命の相手、魂の片割れに巡り会い、一心に守り、愛情をそそぐ、生物学的にみても理想的だろうけど、その話をどう捉えたら良いのかわからない‥‥運命のツインレイは出会った瞬間に強い直感を感じ取って深く理解し互いに魂の統合を目指すものらしいが‥‥「魂の片割れ」などこの世界には存在しないのではないかと思う。逆説がある、複数人のソウルメイトと交流するという説が、言い換えれば複数のセフレとの行為を容認するということだ。人間は生理的欲求に抗えないものらしいから。
すごく不快で気持ち悪さは最大級だろう、違うか。
魂の片割れはスピリチュアルな概念でしか無い。
珠生は大叔父のこの話を信じていない。
運命とは、歩む人生の道筋やその中で出会う出来事の総称らしいが、そこに特別な意味を見出して未来や選択に影響を受けるのは違う、これは運命と固定されるのは嫌だ。自分自身の考え行動が未来をつくるのではないか。そうだろう‥‥。
人間は半分でいる方が、たぶん生きやすい。
マリリンと庭に寝転んでいた。まだ幼い秋の陽射しを浴びながら、僕の片割れはマリリンだと良いなと思った。マリリンを抱きしめてマリリンは僕が守るからずっと一緒にいようねと呟いてみる。さもありなん他は誰も信用ならん。
決して広くない徳川の家の庭芝生地帯にブルーシートを折りたたみ敷いた。これが結構な大仕事だったブルーシートは大きくゴワゴワしていて子どもの珠生には簡単ではなかった。潔癖な珠生は、ヒドロキシ基と炭素原子が結合した、炭素数が多い高級アルコールをシュカシュカ気の済むまで噴射してウェットシートでゴシゴシ拭く。その上にマリリンと横たわりゴロゴロしてウダウダ過ごすのは至福の時。紫外線などお構いなしだ。紫外線は危険よ人体にとってとても有害なの、そんなこと知るか。珠生、お外で遊ぶなら日焼け止め塗って帽子かぶってよ、必ずね、と口うるさい莉莎子は仕事で不在なので具合がいい。
暖かな陽射しが虹色の光線を描いて綺麗だと思いながらマリリンを引き寄せ匂いを嗅いだ。ふんわりと太陽の匂いがするマリリン。太陽の大部分は水素とヘリウムで無臭の気体それ以外は酸素、炭素、窒素で、基本的に太陽に香りはない、シャンプーしたばかりのマリリンに付着したシャンプーカスと皮脂等の残留物が太陽光で分解されて生成された揮発性物質が太陽の匂いの正体だ。マリリンの香りを嗅ぐと安心するから何だっていいんだ、たとえダニの死骸や死んだ皮膚の匂いだとしても譲歩できる。
すうっと吸って頭の中に充満させて思考をスッと手放す。
なんにも考えず呼吸に意識を向ける。鼻から吸って鼻から吐き出す、雑念は次から次へと湧いてくるものだけど、受け入れたら良い、受け入れたら追い出しまた受け入れるの繰り返し‥‥眠るか眠らないかのまどろみ意識を飛ばしはじめたとき‥‥
「‥‥ゥー」
横にいるマリリンが低く喉を鳴らす、次いで腰をあげ四肢でしっかりと立った。
「ん?どした?」
珠生はぼんやりしながら起き上がりマリリンの背を撫ぜた。マリリンは徳川の敷地の端に埋め込まれた低いメッシュフェンス際に植えられ咲いたオレンジのマリーゴールドのその先を見ている。徳川の家に生け垣はなく、ヒイラギ以外に樹木は存在しない。芝生もフェンスもサマーメドレーもマリーゴールドも呂室が手掛けたものだ。マリーゴールドはオレンジのみ他の色種はなく五月蠅いくらいに多量のオレンジがワラワラと競うように咲き誇っている。
花言葉は太陽神アポロの逸話に倣った「真心」大叔父の呂室はオレンジ色を好みマリーゴールドは毎年種から育てる。
「こんにちは」
低い声が聞こえてくる。視線を声の方に向けるとオレンジに縁取られるように端正な顔の見知らぬ男が立っていた。
‥‥え、うわ、やば、すわ不審者かと、視線をそらし考えを巡らせ思考があさって方向に飛んだ‥‥パ、パ、パンツ脱いだらどうする、股間モロ出しとか、なんて考えたら悲鳴あげそう‥‥いや、落ち着け、僕、見ろ、ん、ん、真面目そうな男の人だし、ん、ん、怪しい、珠生は顔を横に向け眉を寄せ横目でつぶさに男を観察した。
この界隈に薔薇の露出王子が出没しましたと市から注意喚起のメールが届いてるらしい。近々のものだ、さすがに薔薇の王子という形容詞は付いてないだろうが、公然ワイセツっていうのか、一輪の薔薇を咥えた美形の露出狂って、なんか笑えるだろ。いやまてそんな呑気な状況ではないぞ‥‥こいつか?珠生はどうするか対策を考える、即逃げる、大声で叫ぶ、考えが纏まらないのに男がにこにこしながら話し始めて、もう立ち向かうしか策は無い。
「おやすみのところ邪魔してしまったかな、申し訳ないね。少し訪ねたいことがあるのだけれど、お家の方はいらっしゃらないかな」
奥を覗き込む男の笑顔が胡散臭い、ますます怪しい、子どもの珠生から見ても整った顔に短く切られた髪はウェーブを作りブラウンに染めてある。パーマなのか、綺麗な人だ‥‥露出‥‥股間‥その先は‥‥なんだろ、わからないけど対峙
「あの、誰ですか?知らない人とお話はできません」
「ああ、それはそうだよね。君が正しい。私は怪しい者でも悪い人でもないよ。そう言ったところで信じて貰えないかな。実はね、家を探しているのだけれど、どうやら道に迷ってしまったようで困っているんだ、助けて欲しい。どうだろ、お願いできないかな」男は麗しく小首をかしげる。
「‥‥」あざとすぎる。
訝る珠生の様子に男は姿勢を正し
「私は、木内という者です。木内春夫。この子は響生、金森響生といいます。ほら、響生、隠れてないで挨拶しようか」
男の後ろから、こちらも知らない男の子がチラリと顔を覗かせた。子連れ?覗いた男の子の目には涙が溢れてて泣き顔だ。なぜ泣いてる?はたっと思い至る
「誘拐‥‥」
ゆっくりと後退り、最善を思案しながらマリリンに目配せすると、マリリンは珠生の意図を察知したのか
男に向かってワンワンワンと立て続けに吠えた。
男の子はびっくりしたのか男の太股にへばりついて隠れた。
あ、どうしよう、マリリンが怖いのかな、怖くないのにとマリリンの体を抱きしめた(正確にはしがみついていた)
「どうした、珠生」
大叔父の呂室が頭にタオルを巻いた姿で現れた。呂室は時間が空けばひたすら家中を掃除している。掃除機をかけ、本棚を整え、キッチン掃除、冷蔵庫内、洗濯機層、トイレ掃除、お風呂、玄関、庭とひたすら体を動かしてひたすら掃除するのは、ちょうど良いストレス発散なのだそうだ。運動にもなるだろうと言う。家と家周りが常に綺麗で清潔が保たれているのは呂室のお陰なのだろう。珠生の潔癖の一因は呂室にあるのかもしれない。あくまできれい好きな性格を表す潔癖症なのであって強迫症という病的なものとは違うと珠生は自分に言い聞かせている‥‥。
不潔を極度に嫌いそれに対して妥協しないのはそうなのだが、珠生本人の基準が曖昧でハッキリしない。好きで清潔にしているわけで不安や恐怖はないし、自分の意志で行動を調節できる上に日常生活には支障がない。
呂室が頭に巻いたタオルを外し首にかけ、男と子どもを確認すると頭を下げて会釈してから、優しくマリリンに声をかける「マリリン、人様に吠えてはダメだろ。ここにおいで」と呼ぶとマリリンは尻尾を下げてそろりそろりと珠生とともにうなだれて呂室の側に行ってすまなそうに呂室を見上げる、呂室は笑顔でマリリンを撫でると言った。
「珠生を守ってくれてありがとう、良い子だ、怒っているわけじゃないよマリリン」マリリンは尻尾を上げてふるふると嬉しそうに笑顔になった。
珠生も呂室の後ろに隠れてマリリンの耳を持ち上げて、グッガールグッガール、サンキューソウマッチ、マリリンと小さく囁いた。
男は明らかにホッとした様子で呂室に頭を下げた。右肩に黒い楽器のケースを背負っている。なんだろ?ギターかな?
「突然申し訳ありません。私は木内春夫といいます。この子は響生、ええと、金森響生です。私の親友の渡部純一郎がこの子の叔父で一緒に暮らしていたのですが、まあ、あの、いろいろ事情がありまして‥‥私どもは東京から来ました。そうですね‥‥ええと、五十嵐さんのお宅をお尋ねしたいのです。五十嵐さんは渡部のお姉さんにあたり、そして響生の母親は渡部と五十嵐さんの妹の‥‥ああ、つまるところ五十嵐さんのお宅をご存じないでしょうか」どこまで話して良いのかと、思案しながら空を見上げた男は息を吐いて説明を諦めたようだ。
「ああ、大丈夫です、いいです、いいです、事情は誰にでもあるでしょうから。初対面の私にあなた方の身内事情を全て明かされても、こちらも、理解が及ばず困りますから。野次馬趣味はないので、あなた方の個人情報は必要ないです。それで、五十嵐さんの家を教えて欲しいとのことですよね。此所の住宅地は同じような小路が何本かあって迷われる方いますよ」呂室はマリリンの首輪にリードをつけながら言った。いつの間にリード持ってきたのか、散歩に行こうと考えていたのか分からないけど、呂室が来てくれて珠生は肩の強ばりを解いた。
「こちらの医院の方でいらっしゃるのですか。お医者様でしょうか」男は股にへばりついた男の子の背中をさすりながら整った顔で聞いた。
「いや、違います、私は医師ではないです。ここは私の姉夫婦が営む医院です。私はここに住む者ですが、こうやって願って掃除人として置いて貰ってる厄介な居候です、ハハハ冗談です。案内しますよ」
呂室の自虐に男は困ったような顔をして頭を下げた。
「助かります。ありがとうございます。お手間かけます、よろしくお願いします」
そこに嗚咽が混じる
「‥‥ウッウゥゥ」男の子が声を上げて泣き出した。木内と名乗った男は慌てること無く男の子を抱き上げ手のひらで涙と鼻水を拭った。男の手は涙と鼻水で濡れてる。珠生は我慢できずポケットからハンドタオルを引っ張りだし男に差し出した。木内さんは、ああ、ありがとうね、優しいなと言ってタオルを受け取り男の子の涙を拭いて鼻をおさえ「チーン」してと言って拭ってから自分の手についた鼻水も拭った。
うわぁそのハンカチお気に入りだったけど仕方ないよな‥‥と珠生はこっそり思った。
「ほら、響生、あのお兄ちゃんにありがとう言おうか、なっ。あ、このタオルハンカチ鼻水ついちゃったな、洗ったとしても嫌だよね。鼻かんじゃったしね、新しいのを買おう、同じのがあると良いけれど」男は申し訳なさそうに言った。
「気にしなくていいですよ。こいつおんなじ様なのいっぱい持ってるから、なあ、珠生、あげてもいいよな」
呂室が勝手にいうから、もう、自分で言いたかったのになと思いながら、いいよと少しむくれて言った。
それを見ていたのか男の子は少し驚いたように珠生を見て薄く笑った。この子はなんで泣いているのだろう、何か悲しいことがあるのか、嫌なことがあるのか、五十嵐さんに何の用があるのだろう、個人情報保護法があるから聞いちゃダメなのかなと考えてたら呂室が言った
「珠生、五十嵐さんの家に行くぞ、マリリンもな、行くだろ」と珠生とマリリンを促した。ああ、リードつけてあるから。マリリンが行くなら僕も行くと呂室に向かって言った。
木内さんは男の子をおろすと、鼻水のついたタオルハンカチを丸めてズボンのポケットに突っ込むと、また頭を下げた。
こっそり男の子を見ると、涙は止まったようだけど長い睫毛には雫が留まっていた。
ちっとも事情をわかってない庭のヒイラギがそんな様子にカサンと音を立てた「あなたを守る」と言うかのように。




