10 そんなに笑わなくても……
ファンファ河の雄大な流れを左手に、俺たちはウェイウーの一族と対峙する。まだぶつかってはいない。お互いに一定の距離を保ち、簡易的な拠点を作って睨み合っている。
ここはウェイウェイが戦いの場所に指定した「ファンファ河のほとり」、我がルオール川とファンファ河に挟まれた間の土地だ。このまま真っ直ぐ上流へと進んでいけば、やつらのウェイウー川が見えてくることだろう。
右手にはマム山、あるいはマム山地と呼ばれるそれなりの高さの山々があり、残念ながらルオール川を臨むことはできない。ジーナ達の集落も、このマム山の向こう側だ。
このマム山地があるおかげで我々はぐるりと回り込んでここまでやって来なければならなかった。もちろん抜け道もあるのだが、大人数が通るのには向いていない。
俺はここに、いくらかの手勢を引き連れてやってきた。長老の息子であるグンターはもちろん、村の男衆と、あの拠点で働かせられていた滅びた村の男たち。さらにはジーナの村よりさらに上流に集落を作っているルオールの一族の者たち。我が一族が出せる人員のギリギリである。
この辺りの調整は非常に難しかった。まだまだ復興途中の村だらけで人手はいくらあっても足りることはない。だがこの戦いに負ければ元も子もなく、待っているのはウェイウーの一族による征服である。だから、本当にギリギリの総力戦だ。
また、ロウレンをはじめとした捕虜たちを幾人か、連絡係として、あるいは交渉の材料として連れてきている。あの憐れな使者はすぐに報告に戻ったので、恐らく向こうの陣営の中にいるのだろう。
そのウェイウー側の陣営は、敵ながら見事と言わざるを得ない。ぴりりと引き締まり、せっせと陣を敷く木と皮の鎧を着た男たち。手には長い槍や弓を持ち、油断なくこちらを見つめている。
だが、人数差は思ったほど大きくない。こちらが数百人、向こうは千人に届くか届かないかといった程度。こちらの倍はいないだろう。せいぜい2:3くらいの人数比だろうか。
先のルオール攻めによってこちらの人間は大きく数を減らしている。一方、奴らも奴らで捕虜となった兵がいる。これらを考えると、もともと互いに千人程度の動員が可能だったのだろう。
グンターたちに聞いた話と一致する。確かに、神さえいなければ各氏族の力関係は大した違いがないようだ。まったく、ウェイウーのマザコン糞ナルシスト野郎は余計なことをしてくれたものだ……。
「さて、そろそろか……」
「ええ、ここで引いてくれるのが一番なのですが……」
俺たちは先程、捕虜の一人を使って伝令を出した。内容は初めとほとんど変わらず、休戦と補償と不可侵条約の打診だ。補償はちょっとくらいまけてやってもいいよと、譲歩の姿勢も見せた。これでダメなら、本当に戦うしかないだろう。
見ていると、一人の男がウェイウーの陣地から歩いてくる。背の高い、長髪の男だ。豪華な装飾のついた服を着て、堂々と歩みを進めている。
「あ、あれは……!」
横に控えさせていたロウレンが目を凝らして言葉を漏らす。知り合いだろうか。いや、その正体はもう分かっている。その身体から発せられる存在感は、決して人間がまとえるようなものではない。
「あれが、ウェイウー川の神か……」
「はい、間違いなく、我が神にございます……」
俺たちが言葉を交わす間に、ウェイウー川の神は立ち止まった。丁度二つの陣営が睨み合うど真ん中だ。
「ルオール川の神よっ!!!」
ウェイウーが大きな声で俺のことを呼ぶ。それは使者が真似た通りの、鼻にかかったいけすかない声で、距離が離れているのにすぐそばで叫ばれたかのような大きな声だった。
「もう良いだろうっ!!! 僕は君の提案を飲むつもりは一切ないっ!!! 姿を現せっ!!! この美しい僕が直々に血祭りに上げてくれようっ!!!」
ああ、いやだいやだ。なぜそんなにもいばり散らかすことができるのだろうか。直々のご指名である。俺は仕方がなく身体をうねらせ、奴のもとへと進み出ていく。
ウェイウーが鋭い視線で我らの陣地を睨みつけている。その視線は、俺の竜の身体が現れたところで、呆気に取られた様子に変わる。それを無視して、俺は奴の目の前へとやってくる。対峙する、二柱の神と神。
「待たせたな……。我がルオール。ルオール川の神である」
「き、君がかい……?」
俺が精一杯威厳を醸し出しながら名乗ると、キョトンとした顔でこちらをみるウェイウー。なんだよ、なんか文句でもあるのかよ。
「ぷっ…はははははっ!こ、この子蛇がっ!?い、一体何の冗談だい!?いきなり真の姿で登場したかと思えば、それがまさか、こ、こんな小蛇だとはっ!ぷははははははっ!!!」
途端、腹と額に手を当て、身体をくの字に折り曲げながらバカ笑いをするウェイウー。とてもとても腹が立つ。なんと人をイラつかせるのが上手い神か。
小蛇と言って笑うが、この竜の身体はピンと伸ばせば四メートルほどになる。軽いトラックくらいにはなるんだぞ!?そ、そんなに笑わなくても良いじゃないか……。
「くくくくっ……!いやーすまないすまない……。まさかあのルオール川の神がこんな小物だとは思わなかった。人に化けることもできなければ、そこ正体はちんけな小蛇だとは……。そのなりで良くもまあこの僕に喧嘩を売ることができたものだねぇ……」
ウェイウーは笑いを噛み殺し、言うだけはある端正な顔を再び厳しくしてそうのたまった。
「あいにく……顕現してからそう時間も経っておらん……。この身体も力も、神という存在についても知る由もないものでな……」
「そーかそーか。あまりにも可哀想だから一つだけ忠告してあげるけど、そうやって自分の小ささをペラペラ話すものではないと思うよ。情報なんて、漏らせば漏らしただけ不利になるものなのだから」
俺の言い訳に対し、見下す姿勢は崩さないが、一応筋の通ったことを口にするウェイウー。その姿は、一見気の良い近所のにいちゃんといった様子である。なんだ? 嫌なやつだと思っていた、いや、現在でも思っているが、話は通じるのだろうか。
油断してくれるのならありがたいし、聞けるのなら聞きたいこともある。俺は奴に問いかけてみることにする。
「そうか、忠告はありがたく受け取ることにしよう。せっかくなのでついでに一つ聞きたいことがあるのだが……」
「んー……。なんだか気の抜ける小蛇ちゃんだなぁ……。いいよ、答えるとは限らないが、言うだけ言ってみなよ」
「では、遠慮なく。おまえ、神になる前の記憶はあるか……?」
「神に、なる前、かい……?」
これは、他に神がいるのなら、どうしても聞かなければならないと思っていたことだ。つまり、お前も俺と同じように、いつかのどこかで死んで、神に生まれ変わったのかという質問だ。
ウェイウーは訝しげな顔をして、変わらぬ鋭い視線をこちらに返す。さあ、どっちなんだ?
「おかしなことを言うね……。僕はずっとウェイウー川の神だし、その前なんてあるはずがない……。他の神だってそうさ。神は神として生まれ、神としてその力を振るう。だけどその物言いは、まるで君には神になる前の記憶があるかのようじゃないか……?」
口をつぐみ、視線を交わす俺たち。そうか……。どうやら、俺の方がイレギュラーな存在のようだ。何も知らず、この時代、この土地に放り出されたのは俺だけ。なぜ、なんのために。分からない。だが、それを考えている暇はないようだ。
「うーん……。まあいいや、別に君の身の上に興味もないしね。おしゃべりは終わりにしよう。さあ、ルオール川の神よ。美しい僕のため、そして麗しきファンファ様のため、無様に惨めに血を流し、死んでくれ」
ウェイウーが片手を高く天に掲げる。ウェイウーの一族が鬨の声を上げ、駆け出す。戦いが始まった。