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精霊界  作者: ヤクタ
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序章

煌く緑、赤い岩肌、彼らを覆う空は透き通った青。

木漏れ日に羽根を休める小鳥は軽やかに歌い、夜になれば眩い星達が輝く。


この世には、人間が知らないもの、人間が忘れたものがいっぱいある。

今の子ども達は知っているだろうか?こんな美しい世界を。

今の人間達は知らないだろう。こんな世界が、まだあるということを。



ここ、精霊界には、美しい世界が息づいている。

俺はそんな世界を統べる役を担っている。

その役に坐したまま、もう随分と長い間、人間界と精霊界の移ろいを見てきた。


だからこそ思うのだ。


人間界は、精霊界の助力が無ければ滅んでしまうだろう。それは当然だ。

自然の恩恵が無ければ、なんだかんだ自然に依存して生きている人間は、滅びるしかない。

しかし、それと同時に、人間が精霊を見失えば精霊界も容易く消える。

何故かって?そのように神が決めたからだ。

自分達は高みの見物で、面倒くさいことは全部精霊に押し付けているのさ。

そのくせ「折角作った人間界を壊したらいけないよ」なんて言う。


そうこうしている内に、気付けば人間は精霊から離れて、精霊は神から離れていた。


全く、この立場は肩がこる。

だがこの立場でないと、人間界が―――やがては精霊界が滅んでいくのを、見ているしかできない。



「――……しゅう、聞こえとらんのか。……おい、自然の主!」



年老いた男の声が耳朶を叩く。

些かやかましさを感じつつ、俺は、ふうと息を吐いた。



「聞こえてるよ。考え事くらいゆっくりさせろ、爺さん」



肩を回すと、ゴキリと辛い音が鳴った。







俺―――しゅうは、人間界と精霊界を守る自然の主である。




-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




“自然の主”というものは、名ばかりだと俺は思う。

実際やることと言えば、人間界と精霊界の管理。それと、神様の雑用をこなすことだ。

人間で言えばそう……“中間管理職”というのが適切。

上と下に押し潰され、それでも自分の意見を持ち、なんとか舵を取ろうとする。

板挟みな毎日が、際限無く続いていく。


そんなわけで、今日も気分は憂鬱であった。


「……はあ……」


古びた木製の扉を閉めると当時に溜息が漏れた。

室外に出れば、普通は新鮮な空気を吸い込むものだが、今はそんな気分ではない。

…扉の向こうの爺達に面倒なことを押し付けられたのだ。

どう断ろうか考えていたら、気が付けば承諾せざるを得ない状況にまで追い込まれていた。

俺の気持ちとは真逆に、今頃彼らはほくそ笑んでいることだろう。


「ほんと、しっかりしなきゃなあ……」


部屋を出てから二度目の溜息を吐きながら、俺は取り敢えず、足を前へと運んだ。






―――精霊界。


文明の加工物にまみれた人間界とは違い、自然がいきいきと生活している世界である。

精霊界と銘打つだけあり、“精霊”と呼ばれる種族のほとんどは、今はここに住む。

正確な成立時期は不明。ただわかるのは、その頃から生きている者は、もう精霊界には居ないということだ。


土地は山岳地帯や森林、平原が広がっており、四季に応じてその色を変える。

精霊界の中心には、バカでかい屋敷のような建物が建っていて、俺達はそれを“核”と呼ぶ。

俺が今居るのは、その“核”の中である。


この施設には、まさに核たるものが数多く揃っている。

病院や図書室などの大衆が利用する場所から、研究所や特殊部隊の本部などの、一部の者が利用する場所まで。

内部構造はなかなかに複雑で、俺もあまり把握していない。

ただ、内部は外観よりも広く、端から端まで歩くならば、かなりの時間を要することは確かだ。

この広さを利用して、“核”には大勢の精霊が住居を構えている。俺もその一人だ。


因みに、背に遠ざかる部屋は、空王と森王という奴等が住んでいる部屋である。

俺がそこに入る時は、決まって厄介事を押し付けられる時だった。


…わかってはいる。だが、俺の立場上の問題と、彼等が実質俺の育ての親であるから、断れないのだ。


飲んだくれで強引でロクでもない育ての親。

そんな親でも、感謝していないと言えば嘘になる。弱味を握られているようなものだ。



彼らから押し付けられた書類を小脇に抱え、俺はのろのろと長い廊下を歩いた。


すれ違う者は誰も居ない。


精霊達は基本的に引きこもり気質で、普段は自分の部屋から出てくることはない。

かく言う俺も、用事がない限りは、自室にこもって雑務をこなしている。

外に出たからと言って遊ぶような年頃でもない。


誰にも会わないまま、しばらく歩いていると、大きな黒い扉が目に映った。近付いて、俺はその扉の前に立つ。

他の部屋とは違う、威厳を象徴するかのような扉。代々自然の主はこの部屋に住むことになっている。

無機質な光を放つそれは、見た目に反して軽く、俺一人が通るには無用な両開きの扉であった。

その片方をぐい、と開けると、広くも狭くもない部屋があって―――



「よう」



そんな部屋の中で、男はにこりと俺に微笑みかけていた。

しかも、俺の部屋の俺の椅子に座って。


「……何してるんだ」

「何してるって、お前を待っていただけだけど?」


きょとんとした顔で男は首を傾げる。俺は苦笑した。


彼―――セイは、俺の親友であり幼馴染みだ。

彼には他の精霊とは違う特殊な性質が備わっており、それゆえに“未知の精霊”に分類されている。

性格は俺と違ってとても社交的で、誰とも仲良くなれる奴だ。正直少し羨ましい。


……こう聞くと何だか万能な男に思えるが、もちろん欠点もある。

手先が極端に不器用なことと、少し突っ走る癖があるのだ。

その完璧を崩す欠点が、逆に人々に親近感を与えるのだろうが。


「それ、どうしたんだ?また何かやるのか?」


尋ねながら、視線は俺の右手に注がれている。

視線の先には、先程押し付けられた紙の束が抱えられていた。


「ちょっとね。それより、セイこそどうした?」


はぐらかすように、机の上に書類を置く。

それが気に食わなかったのか、


「……別に。甘いものが食いたくなっただけだ」


唇を尖らせて、彼はぶっきらぼうに言った。

そんな顔をされても、セイには関係無いのだから仕方がない。

単純に関係が無いだけではなく、やや物騒な話だから、俺も話したくはないのだ。

俺のその考えを、セイが嫌っているのはよく知っている。

けれども、彼も俺が易々と物騒な話をするような人物ではないことを、よく知っている。


結果、彼は唇を尖らせるしかなく、俺も俺ではぐらかすしかないのだ。



その代わりと言っては難だが、俺は台所へと向かった。

部屋の入口から左手の壁の奥に、小さな木の扉がある。

そこを開けてすぐ左に、台所はあった。


一見すると、人間の使う台所と大差無い。

冷蔵庫や流し台やコンロ……と機材が揃っているが、コンロはガスコンロではない。

俺は人差し指をコンロに向け、術で火を点けた。炎はゆらゆらと揺れている。

このコンロ、実は術の効力を保持し続ける装置が内装されているのだった。

水の入った小鍋をその上に置いて、沸騰するのを待つ。


本来、食べ物を口にしない精霊には、台所というものは必要が無い。

年を取ると道楽として、食べ物を口にする者が増えるそうだが、一般的には台所のある住居を持つ者は少ない。


しかし、セイは幼い頃を人間として育てられていた為、今でも普通に人間と同じ食生活をしている。

ただし先程言った通り、彼は非常に不器用な男で、自分で料理を作ることができない。

腹が減ったり甘いものが食べたくなると、俺の元へ来ることが多かった。


冷蔵庫を開けると、昨日作ったチーズケーキがそこにあった。

図書館に訪れた際、司書達にあげた分、2切れが無くなっていた。


「チーズケーキがあるけど、食うか?」

「食う!」


間髪入れない反応。やれやれ、と俺は笑った。

俺自身は食わないものだが、喜んで食ってくれる奴が居るのは嬉しい限りだ。

そんなことを感じながら、火から鍋をおろして紅茶を淹れた。

……こういったことは趣味の一つなのだが、人間には女々しいことだと笑われるだろうか。


ケーキと紅茶を持って部屋に戻ると、相変わらず俺の椅子に、セイは行儀良く座って待っていた。


「どうぞ」

「やった、いただきまーす!」


言うが早いか、セイは嬉しそうにチーズケーキを頬張って、「うめえ!」と笑った。

そうやって笑ってくれるのが、俺にはとても嬉しい。

にこにこと食べている彼を眺めながら俺も紅茶を啜ると、古びた扉の向こうを忘れるような、安らぎを感じられた。

人間の文化をバカにする精霊はよく居るが、こんな時間を体験すれば、人間の文化もバカにはできないだろう。



だから、俺は



「それ食い終わったら、自分の部屋に戻れよ。俺は用事があるから」

「……わかってるよ」



人間の文化も安らぎも、大事な友人の笑顔も失いたくないから。

面倒なことを押し付けられても黙ってこなす。それがどれだけ過酷でも。

俺一人では、人間界も精霊界も守り切れないかもしれない。

でも、俺がやらなければ誰もやらないし、できる限りのことはしたいと思っている。



自然の主とは、そういうもの。



「気を付けろよ。怪我なんかすんじゃねーぞ」



まだあっつい紅茶をぐびぐび飲みながら、セイはフォークを俺に向ける。



(自然の主になったのは嫌だったけど…)



「もちろんだよ。好んで怪我する奴が居るか?」

「ちゃんと帰って来いよ」

「他にどこに行くってんだ」

「……どこか?」

「アホか」




こうして待ってくれる友が居るのは、幸せなことなのだろう。


案外、自然の主も悪くはないものである。

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