Scene 04
奥の扉が閉まるのを見届けてから、柴崎はくわえていた煙草を外し、盛大に吹き出した。
「ざまあねえぜ。あの野郎、最後は担がれて地下行きかよ。いつもみてえに暴れてみろってんだ」
青紫のネオンがレンガ壁を照らし、閉店後のシーシャバーには低い音楽と甘い煙だけが残っている。客のいないソファ席から少し離れたカウンターでは紙幣計数機が唸り、酒瓶や飲みかけのグラス、薬の小袋が並ぶ端へ数え終わった札束が積まれていく。奥の部屋に隠された階段を、武志たちが哲也を引きずって下りていったのは、つい先ほどのことだった。
「そりゃもう、ざまあねえっすよ。あいつに折られた腕、まだ痛むんですから」
カウンターの内側で金を数えるゴウは、タンクトップからのぞく右前腕の包帯をこれ見よがしに持ち上げた。刈り上げた頭に四角い顎、肩から二の腕には刺青まで入った大男が、札を揃えるたび痛そうに顔をしかめるものだから、柴崎は笑いを堪えきれない。
「そのくせ、哲也の前じゃおとなしかったじゃねえか」
「柴崎さんだってそうでしょ。額のそれ、誰にやられたんすか?」
「お前、口の利き方に気をつけろよ」
柴崎は左額の包帯を指で叩いてみせた。金髪のメッシュを入れた髪、胸元を大きく開けた黒いアロハシャツ、指輪をはめた細い指。派手な格好には似合わない包帯が、頬骨の目立つ顔に貼りついている。大麻を巻いた煙草を深く吸い込み、わざとらしくゴウへ煙を吐きかけると、薄い唇がまた嫌味な形に歪んだ。
「ま、今日で全部チャラだ。あんな気分屋に使われんのも終わり。しかも武志さん、次の責任者は俺で行くってよ」
「マジっすか! だったら最初に取り分の話してくださいよ」
客側のカウンターチェアを占領する矢田は、ゴウから回ってきた現金と薬の小袋を仕分けながら、ちゃっかり取り分の話を始めている。根元だけ黒くなった金髪によれたパーカー、膝の裂けたジーンズ。眠たげな顔も笑うと途端にガラが悪くなり、数えた札束を足元の黒い手提げ鞄へ押し込む手だけは妙にきびきびしていた。
「金、金って、お前はそればっかだな」
「柴崎さんが責任者になるなら、俺らだって期待するでしょ」
「まあな。少なくとも俺は、面白くねえってだけで部下をぶん殴ったりしねえよ」
「それ先に言っといてくださいよ。ゴウなんか本気にしますから」
「俺を巻き込むな!」
笑い声がカウンターに広がると、離れたソファからも「そうそう!」と調子のいい声が飛んできた。
「俺なんか哲也さん、別に怖くなかったっすもん。今度会ったら言いたいこと、山ほどあったんだけどなあ」
リクはミサキを抱き寄せたまま、得意げに顎を上げていた。茶色い髪を遊ばせ、目鼻立ちの整った顔に眉や唇のピアスを幾つも光らせている。派手な柄シャツの胸元には薬の粉が少しついており、ソファ前の低いテーブルには開いた包みと飲みかけの酒。隣のミサキもすっかり出来上がっていて、巻いた茶髪と濃いアイメイク、ぴったりしたミニワンピースという華やかな姿のまま、リクが胸に回した手をくすぐったそうに叩いて笑っている。
「へえ? お前、前にあいつから詰められたとき泣いてなかったか?」
柴崎の一言で、リクの綺麗な顔がたちまち赤くなる。
「泣いてねえっすって! 目に何か入っただけで!」
「両目にか? 鼻水まで出てたぞ」
「うっそ、リク泣いたの? あはは、かわいー!」
「ミサキまで笑うなよ。あれは違うんだって!」
ミサキに長い爪で頬をつつかれたリクは、照れ隠しに彼女を抱き直した。二人の嬌声に矢田まで苦笑いするが、柴崎は笑わない。武志が地下から戻る前に少し黙らせようと、カウンターチェアから腰を浮かせかけた、そのときだった。
奥の方で、重いものが壁にぶつかったような音がした。
「……今の、何すか?」
「知らねえよ。どうせあいつが最後の悪あがきでもしてんだろ」
ゴウが笑いかけたところへ、今度は銃声が響く。立て続けに何発も鳴るものだから、リクもミサキを抱き寄せたまま身を固くし、矢田は紙幣計数機の電源を切ることさえ忘れていた。最後の一発のあと静寂が戻ると、機械の回る音と店内の音楽だけが、ひどく場違いに聞こえてくる。
柴崎は煙草を灰皿に押しつけ、腰のあたりに手をやった。何か言おうとしたその目の前で、奥の部屋の扉がゆっくり開く。
現れたのは武志ではなく、血まみれの哲也だった。
ほどけた黒髪が肩にかかり、胸元から腹まで裂けた白シャツと黒スーツは赤黒く汚れている。靴も履かず、首筋の竜の刺青まで血が飛んでいたが、端正な顔に苦痛の色はない。むしろ鋭い目を細め、久しぶりに知り合いとでも会ったように笑っている。
「なんでテメェが!? 武志さんたちは――」
「兄貴たちならみんな死んだぜ」
柴崎の問いを途中で切った哲也は、店内を見回して口の端を吊り上げた。ゴウの包帯、柴崎の額、矢田の手元の金。それからソファの二人にまで目を向け、楽しげに続ける。
「で、てめえらはどうす――」
最後まで言わせず、カウンターの内側からゴウが飛び出してきた。勢いのままナイフを哲也の左胸、ちょうど心臓の位置へ突き立てるが、哲也は避けもしない。柄を握ったまま凍りついたゴウの顔を片手でつかみ、その巨体を床から持ち上げてしまう。
「……お、おい、離せ!」
空中で足をばたつかせ、包帯の巻かれた腕で必死に引き剥がそうとするゴウを、哲也はそのままカウンターへ叩きつけた。木板が砕け、紙幣計数機もグラスもまとめて床へ落ち、現金と薬の包みが酒まみれになって散らばる。それでもゴウが暴れるので、哲也はつかんだ顔を破れた天板へ押しつけ、指をさらに食い込ませていく。
骨の砕ける音がして、指の隙間から血が噴き上がる。びくりと跳ねた巨体は、つぶれた頭を手放されても起き上がらず、裂けたカウンターの上へずるずると滑り落ちた。
「ひっ……!」
矢田はズボンのポケットからナイフを抜いたものの、目の前で起きたことが信じられないのか、逃げることも忘れていた。哲也が振り向くとようやく後ずさるが、横から放たれた蹴りに脚をへし折られ、悲鳴を上げながら身体を折り曲げる。そこへもう一発、頭を蹴り上げると、首から離れた頭部が酒瓶の並ぶ棚へ飛び込み、砕けたガラスと酒が一斉に降り注いだ。
「いやあああっ!」
ソファからミサキが飛び上がる。リクの腕を振りほどき、失禁したことにも気づかず、ハイヒールを鳴らして出口へ走り出した。怯えきったリクは恋人を追うこともできず、ソファの背にしがみついている。
「おいおい、そんな悲鳴上げて逃げんなよ。傷つくじゃねえか」
哲也は叱るでもなく、いつもの調子で声をかけた。棚から転がり出た無事な酒瓶を拾って投げると、瓶はミサキの後頭部に当たり、彼女は出口のすぐ手前に倒れ込んだ。巻き髪の下から血が広がり、手足がわずかに動いているのを見ても、哲也は追いかけずに柴崎へ向き直る。
破れたカウンターの向こうでは、柴崎が拳銃を構えている。額の包帯は汗で湿り、細い目を見開いた顔に、先ほどの余裕は欠片もない。哲也が胸に刺さったナイフを引き抜いて、やれやれというように肩をすくめると、銃口が小さく揺れた。
「……死ねよ、この野郎!」
柴崎が続けざまに撃つ。肩や腹に弾が当たるたび哲也の身体は揺れ、確かに痛みも走るのだが、すぐに傷の奥がむず痒くなり、破れた服の下で皮膚が塞がっていく。その様子を見た哲也は不思議そうに腹を掻き、やがて可笑しくなったように笑い始めた。
「いてえけど……何だこれ。くすぐってえな」
柴崎がさらに引き金を引こうとしたところへ、哲也の投げたナイフが飛ぶ。刃を額に受けた柴崎は声を出す暇もなく後ろへ倒れ、拳銃が壊れた木材の上を滑っていった。
「……哲也、さん」
残ったリクはソファの隅で縮こまっていた。ついさっきまでミサキの前で自慢げに笑っていた整った顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになり、ピアスの光る唇も震えている。腰が抜けたのか、哲也が近づくとソファから滑り落ちるように膝をつき、両手を合わせたまま頭を下げるばかりだった。
「俺は違いますって! あんたに逆らうつもりなんか一回もなかったし、ミサキだって勝手に逃げただけで……頼みます、ほんと、助けてください!」
哲也はその顔を見下ろし、妙に懐かしそうな笑みを浮かべた。
「てめえは変わらねえなあ。さっきまで威勢よかったんだろ? 昔から口だけは達者だったもんな」
「そ、そうっすよね! 俺なんか何の役にも立たねえし、殺したってしょうがないっすよ。だから――」
助かったとでも思ったのか、リクの顔に弱々しい笑みが戻った。だが、哲也の両手で頭を挟まれた瞬間、その笑みが凍りつく。ぐりんと首をねじられた身体は、骨の折れる鈍い音を残してソファの脚元へ崩れ落ち、哲也はその足元の靴へ目を留めた。
「お、これでいいか」
裸足のままでは帰りにくい。リクの足から靴を脱がせて履いてみると少しきついものの、歩くには十分だった。さらに倒れたカウンターチェアの下から札束の詰まった黒い鞄を拾い上げ、中身を覗いた哲也の顔に、先ほどまでとは別の嬉しそうな笑みが広がる。
「いい土産まであるじゃねえか」
鞄を提げて出口へ向かうと、ミサキが倒れたままになっている。頭から流れた血が床に広がり、まだ微かに動いていたが、哲也は道端のゴミでも踏むようにその頭を靴で踏み砕き、振り返りもせずに扉を押した。
外では雨が降り続いている。新しく手に入れた靴で濡れた道を歩きながら、哲也は札束の入った鞄を揺らし、自分のアパートへ帰っていった。




