既読の温度
放課後。
教室には、 夕焼けの色が薄く差し込んでいた。
湊はスマホを伏せたまま、 机に肘をついていた。
emptyからのDM。
『──もう戻れなくなるよ』
その言葉が、 頭から離れない。
未来を変える。
その意味が、 まだ分からない。
でも確実に、 何かが少しずつズレ始めている。
「朝倉くん」
不意に声をかけられて、 湊は顔を上げた。
一ノ瀬紬だった。
教室に残っていた数人が、 一瞬こちらを見る。
それだけで、 少し空気がざわつく。
「……なに」
「今日、 時間ある?」
相変わらず自然な笑顔。
でも、 前より少しだけ距離が近い。
「昨日言ってたやつ」
「ああ……」
“今度どっか行かない?”
昨日の通話。
現実感がなかった。
「今日じゃダメ?」
「今日?」
「なんか、 今日話したい気分」
その言葉に、 湊は少しだけ戸惑う。
でも。
「……別にいいけど」
一ノ瀬は、 少し嬉しそうに笑った。
駅前の小さなファミレス。
夕方と夜の間の時間。
学生と仕事帰りの大人が混ざる、 曖昧な空気。
窓際の席で、 一ノ瀬はストローを弄っていた。
「なんか変な感じ」
「何が」
「学校の人と、 外で会うの」
湊は苦笑する。
「それ俺の台詞」
一ノ瀬が小さく吹き出す。
昨日の通話より、 自然に笑っていた。
「朝倉くんってさ」
「ん」
「彼女いたことある?」
唐突すぎて、 湊は水を吹きかける。
「な、なんで」
「いや、 なんとなく」
「ない」
「即答じゃん」
「一ノ瀬は」
「あるように見える?」
「……見える」
「ひど」
そう言って笑う。
でも。
「ないよ」
その言葉は、 少しだけ意外だった。
沈黙。
でも不思議と、 気まずくはない。
一ノ瀬は窓の外を見る。
「私さ、 人といるの苦手なんだよね」
「え」
「意外って顔してる」
「……まあ」
「ずっと、 相手が求めてる反応考えちゃう」
ストローを指で回しながら、 彼女は続ける。
「変な空気にしたくなくて」
「嫌われたくなくて」
「だから、 ずっと笑ってる」
その横顔は、 学校で見る彼女と少し違った。
静かで。
どこか疲れている。
「朝倉くんは?」
「俺?」
「なんで人避けてるの」
核心だった。
湊は目を逸らす。
「……別に避けてるわけじゃ」
「嘘」
一ノ瀬が即答する。
「朝倉くん、 最初から一歩引いてるもん」
図星だった。
湊は昔から、 人に期待しないようにしていた。
踏み込んで、 失敗するのが怖いから。
「……なんか」
言葉が詰まる。
「人と仲良くなるの、 向いてないんだと思う」
一ノ瀬は少し黙ったあと、 ふっと笑う。
「それ、 私も思ってた」
その笑顔は、 どこか寂しかった。
帰り道。
夜風が少し冷たい。
駅前で別れる時、 一ノ瀬が言った。
「今日、 楽しかった」
「……そっか」
「朝倉くんは?」
湊は少し迷ってから、
「まあ、 悪くなかった」
そう返した。
「なにそれ」
一ノ瀬が笑う。
その笑顔を見た瞬間。
スマホが震えた。
嫌な感覚。
empty。
『その顔、 前の彼女はしなかった』
呼吸が止まる。
前の彼女。
まるで、 “一ノ瀬紬”が何人もいるみたいな言い方。
『お前、 何を変えた』
送信。
既読。
『君が変えたんじゃない』
『彼女が、 君に変えられてる』
喉の奥が冷える。
その時。
「朝倉くん?」
一ノ瀬が不思議そうに振り返る。
「……どうしたの?」
街灯の下。
彼女の笑顔は、 昨日より自然で。
でも。
湊は突然、 違和感に気づく。
一ノ瀬のスマホケース。
昨日までは、 白だった。
でも今、 淡い水色に変わっている。
小さな違和感。
でも確実に、 “昨日までの記憶”とズレていた。
emptyから、 最後の通知が届く。
『もう、 どれが本物か分からないだろ』




