本音の場所
スマホの通知を、 湊はしばらく見つめたままだった。
『今日、ちょっと話せる?』
送り主は、一ノ瀬紬。
本物のアカウント。
見間違いじゃない。
既読もまだ付いていない。
(なんで俺に……?)
昼間、 階段で泣いていた姿が頭から離れない。
あの時、 声をかけられなかった。
踏み込んでいいのか分からなくて、 結局、見て見ぬふりをした。
それなのに。
今になって、 向こうから連絡してきた。
湊は迷った末、 短く返信を打つ。
『いいよ』
送信。
数秒後。
『電話でも平気?』
心臓が変に跳ねた。
午後十一時四十分。
部屋の明かりを消し、 湊はイヤホンを付ける。
通話ボタンを押した瞬間、 ノイズ混じりの静かな息遣いが聞こえた。
『……もしもし』
一ノ瀬の声だった。
学校で聞くより、 少し低い。
柔らかいというより、 疲れている声。
「……もしもし」
沈黙。
互いに、 何を話せばいいか分からない。
先に口を開いたのは、 一ノ瀬だった。
『今日さ』
「うん」
『見た?』
湊は言葉に詰まる。
あの階段のことだ。
『……ごめん』
「え?」
『見られたくなかったから』
その声は、 少し笑っていた。
でも、 無理やり作った笑い方だった。
『朝倉くんってさ』
「……なに」
『人のこと、めっちゃ見てるよね』
図星だった。
湊は昔から、 人の表情を見る癖があった。
空気。 声色。 目線。
そういう細かい変化ばかり気づいてしまう。
でも、 気づくだけだ。
どう接すればいいかは分からない。
『今日も、 たぶん気づいてたでしょ』
一ノ瀬が小さく言う。
『私、最近ちょっと変なんだ』
窓の外では、 まだ雨が降っていた。
「……なんかあったの」
沈黙。
数秒。
『……秘密』
少しだけ、 いつもの明るい声色に戻る。
でもすぐに。
『でも、 誰にも言えないだけ』
その一言だけ、 やけに重かった。
湊は言葉を探した。
慰め方なんて知らない。
正解も分からない。
だから。
「……無理して笑うの、下手だよね」
言った瞬間、 しまった、と思った。
嫌われたかもしれない。
でも。
通話の向こうで、 小さく吹き出す声が聞こえた。
『はは……なにそれ』
「いや……ごめん」
『……朝倉くんって、 たまに変なこと言うよね』
少しだけ。
本当に少しだけ。
彼女の笑い方が、 昼間より自然に聞こえた。
その時。
スマホが震えた。
別通知。
“empty”
湊の背筋が凍る。
恐る恐る開く。
『その言葉、 明日の彼女は覚えてるよ』
血の気が引いた。
『……っ』
『どうしたの?』
一ノ瀬の声。
「いや、なんでも……」
でも指先が冷たい。
emptyは、 今の通話を知っている。
リアルタイムで。
『ねえ、朝倉くん』
「……なに」
『私さ』
一瞬、 声が止まる。
『消えたいって思ったこと、あるんだ』
世界の音が、 全部遠くなる。
『……え』
『なんか、 頑張るの疲れちゃって』
冗談みたいに笑う声。
でも、 笑えていない。
湊は息を飲む。
なんて返せばいい。
何を言えば間違えない。
考えている間にも、 時間だけが過ぎる。
その時。
emptyから、 また通知。
『ここで間違えると、 明日もっと泣くよ』
湊の指が止まる。
スマホの光だけが、 暗い部屋を照らしていた。




