エピローグ
パーティーからちょうど一週間たったその日、レオナードは国王の前に跪いていた。
「貴殿の働きにより、オーフィリアが何事もなく無事に戻ってきたことを、感謝する」
その言葉はおそらく、フィーが誘拐されたときのことを言っているのだろう。三か月以上前のことでもあり、こうして国王から直接言葉を頂けるとは思っていなかったために、レオナードの緊張はさらに高まっていく。
王族が嫁ぐには、たくさんのしきたりがある。今日はそのうちの一つの式典である。とはいえ王族や重鎮のみが参加する非公開の式典だ。フィーからすれば身内の集まりに過ぎない。
しかしレオナードは違うようだ。それを遠目で見ることはあれ、自分が参加するとは思っていなかったレオナードの緊張は、少し遠くから見てもとてもよく分かる。国王の隣に並びながらフィーは、そんなレオナードを見て笑いそうになるのを必死にこらえていた。
「当人達二人の強い希望もあり、オーフィリアをレオナード・マクミランの元へ降嫁させる」
フィーは国王の隣から一歩前に出ると、頭を下げたままのレオナードへそっとカーテシーをする。
「オーフィリアよ、異存はないな」
「陛下の意向は、わたくしの意向でございます。仰せのままに」
国王に向かって一礼すると、一瞬国王は祖父としての顔を見せる。小さく笑ったその姿に、祝福されて嫁げるのだとフィーは少しだけ肩の力を抜いた。
「国王の名において、王女オーフィリアとレオナード・マクミランの婚約の成立をここに宣言する」
厳かな空間に拍手の音が鳴り響く。レオナードは顔を上げるとまっすぐにフィーの前まで歩み寄り、跪いた。そしてそっと手を差し出す。
「オーフィリア殿下」
「はい」
少しだけ、レオナードの視線が宙をさまよう。しきたり通りならここでオーフィリアに結婚、または愛を乞う言葉を送るのだ。
「……私に、貴方の隣に並び続ける喜びを与えてくれませんか」
「よろこんで。きっと、わたくしは貴方の隣にい続ける限り、幸福であり続けられるでしょう」
微笑みながら差し出された手を取り、フィーはレオナードの隣に立つ。その後も国王の宣言、大臣の承認と、その後国民への宣言、などと続く。朗々たる国王の声を聞き流しながら、フィーはそっとレオナードに囁いた。
「結局パメラが用意した言葉を使ったんだな」
「緊張で頭が真っ白になった……ある程度文章を考えてくれたパメラ嬢には感謝してもしきれない」
ふふ、と笑いながら、ドレスの陰でそっとレオナードの袖を掴む。すぐに気付かれて、そのまま手を握られて。
「……あと二十分もすればこれは終わりだよ」
「だが、夜に大きな夜会があるんだろう。……憂鬱だ」
げっそりした様子に頑張れ、と呑気に言って。けれども彼の横顔が、どこか幸せそうに見える。
今、この瞬間。フィーの恋は叶い、オーフィリアとレオナードは婚約したのだ。
非公開の式典が終わり、夜会までしばしの休憩だ。気を使われたのか、同じ控室に案内され、レオナードとフィーはソファーに身を投げ出した。
「フィー、足首出ている」
「あら失礼」
さっと裾を直して、背筋を伸ばす。そんなフィーを眺め、ああ、とレオナードが目を細めた。
「本当に王女殿下と婚約したんだなあ」
いつか冗談のように言って、ありえないだなんて言っていたのに。そんなことをレオナードが呟くと、フィーも小さく笑う。
「わたくしだって、レオナード様と婚約できるだなんて、まだちょっと実感がわかないや」
ずっと、叶わないと思っていたのだ。恋よりも研究を勉強を互いに望み、卒業すればもう二度と交わることのない人生を歩むのだと、そう覚悟していた。けれどもこうして今、フィーの隣にはレオナードがいる。
「これから俺はどう動けばいいのかすらわからん。学園を卒業してからまだ一度も領地に戻っていないんだよな」
「まだしばらくはいろいろあるし、周知とかお披露目のためにもタウンハウスに滞在してもらうかなあ」
「そうか。……少し忙しくなりそうだなあ。せっかく城に堂々と入る権利を得たのだから、城の書庫を是非とも見せてほしいんだが」
「書庫に住み着きそうだね」
互いに両想いを自覚し、婚約したからと言って彼の優先が全てフィーとは限らないらしい。見たことのない本に思いをはせ、レオナードは少し嬉しそうだ。
「城に部屋も一応用意するから泊まることもできるけど、書庫で寝泊まりはやめてね」
「部屋、貰えるのか、ありがたい」
「ユリシーズお兄様の式があるから、たぶんわたくし達結婚するのは三年以上後だからね。その間ずっと通いは大変だろう。それに式を挙げる半年前ぐらいになると、準備があるから完全に城に住んでもらうことになると思う」
「そういう感じなのか……」
ふと言葉が止まる。結婚、という響きにじわじわと熱が上がっていく。
そうだ、結婚するのだ。ただ恋ができただけで幸せだ、なんていっていたのに。数年後には、フィーはオーフィリア・マクミランになっているのだ!
じわじわとその喜びと幸福感に、フィーはにやけそうになる口元を隠した。レオナードも少し耳を赤くしながら視線を逸らす。ごほん、と空咳が響いて、そういや、とレオナードが口を開いた。
「婚約したんだが、フィーのことは公式では殿下と呼ぶべきなのか? 王女と婚約したことがないからわからん」
「そもそも互いに初めての婚約じゃん」
軽口のような言葉は、たぶん互いに婚約したことを自覚して芽生えた気恥ずかしさを飛ばすためだろう。フィーもそれに乗る。
「フィーで構わないよ。家族がわたくしのことフィーって呼んでいるのは結構知られているし。それに呼び慣れているだろ?」
レオナードがフィーの言葉にうなずいた。
「出会った時からフィーだったからな」
「そうだろうねえ……」
名前と言えば。フィーがちょっとだけ前のめりになってレオナードをきらきらした瞳で見つめた。
「わたくしもレオナード様の事、愛称で呼んでみたい」
愛称。レオナードが眉を寄せる。威圧感のある顔にさらに威圧感が出ている。
「お母様やお父様からはなんて呼ばれていたんだい?」
「だいたいは、レオだ。……乳母はレオン様と呼んでいたが」
「なるほど。じゃあ。……レオ様」
「…………」
「…………」
しばらく無言で見つめあう。そしてやめやめ、とフィーは首を振った。
「違和感しかない。レオ様ってタイプじゃないよ、レオナード様は」
「逆にレオ様というタイプはどういうタイプなんだ」
「レオン様も、なんか違うんだよなあ。なんかこう、違和感と言うか……これじゃないって感じ」
「一応幼い頃に実際に呼ばれていた愛称だぞ」
「小さい頃のレオナード様はたぶん可愛かったんだろうなあ……」
「生まれてすぐに眉がしっかり生えていて、母が本当に父の子だわ! と叫んだらしい」
「訂正、たぶん言うほど可愛くない」
そんなどうでもいい会話をしながら、ふとレオナードが思いついたことを言う。
「フィーはいつも俺に様をつけるよな。癖か?」
「ああ、そうだね。それはちょっと癖かもしれない」
「呼び捨てでも構わない、というか、身分的には呼び捨ての方がいいのか?」
「うーん、普段からわたくしはこうだから。……うん、そうだね」
一つ、深呼吸して。フィーはレオナードを見つめた。
「レオナード」
たった、一言だ。あまりにも短い一言だが。
その威力は、絶大だった。
レオナードは思わずその場で顔を隠すようにしゃがみ込む。
「ちょ、ちょっと、わたくしより照れないでよ、馬鹿!」
つられて顔を赤くしながらフィーも同じようにしゃがみ込むと、レオナードの肩をぽかぽかと殴る。その手を、レオナードが掴んだ。
あ、と思ったのは一瞬だ。気が付けば引きずり込まれるようにレオナードの胸の中で、フィーは少しだけ緊張しながらもそっとその胸に寄りかかる。
「……少し、ずつにしよう」
「……はい」
「たぶん、たぶんそのうちに慣れる。何事もいきなりはよくない」
「そうなの?」
「たぶん」
互いに読書や研究ばかりで、恋のやり方も愛し方もよくわからない。名前を呼びあうだけで真っ赤になって照れてしまうようなフィーとレオナードのこの先は、きっとゆっくりゆっくり二人で勉強していくのだろう。
完結しました。閲覧いただきありがとうございました!
書き下ろし番外編などが載っている書籍が発売中ですので、機会があればお手に取っていただければ幸いです。




