7-2
「……もういい。ここはわたくしが収めるよ。元の原因はわたくしなんだから」
その囁きは、近くに居た数人にしか届かない。けれどもフィオナには確かに届き、彼女はどんな言い訳をするつもりだと睨みつける。フィーの一番近くに居たレオナードにももちろん届き、彼は戸惑いの瞳を彼女に向けた。
ふわりと、どこからか甘いライラックの香りが広がる。
「静粛に」
小さく開いたフィーの口から大きくはなくとも朗々たる声が響き渡る。不思議とその言葉には尊さがあり、傅かざるを得ない。誰もが反射的に膝を折った。フィオナですら操られるかのように跪く。跪かざるを得ない。誰もかもが跪いた世界で、唯一立っているのはフィーのみだ。
「フィオナ・ローズ。そちらの発言は、学園内でことを収めるには些かやんちゃが過ぎましたね。……ああ、静粛に、とわたくしが申したでしょう? 皆様、まだお静かになさって下さいませ」
反論をしようとして、けれどもフィオナの口からは吐息しかこぼれない。音が出ない。誰一人の声もなく、跪いたまま動くこともできず、フィーの独壇場だ。
「この度はわたくしが、静かに学園生活を送りたいと我儘を言ったのが原因ですわね。コルケット公爵にはわたくしからお話ししましょう」
そこで言葉を切ると、フィーはふう、と甘く溜息をつく。その仕草ひとつで憂いと儚さが混じり合い、敬い傅き、畏れが混じり合った感情が込み上げてくる。その溜息の原因を取り除きたいと、お側に在りたいと、助けになりたいと。それはフィオナにすら込み上げて、困惑と戸惑いに苦しさすら覚える。
「まさか、適当に用意した役割を本物だと思い込み、なりかわろうとする方がいらっしゃるなんて思いもしませんでした」
こつ、こつ、こつ。ささやかにヒールを鳴らし、フィオナの前にフィーが立つ。
「ええ、わたくしはフィー・コルケットではありません。そもそも、フィー・コルケットと言う名の娘は存在しません。コルケット公爵はとても愛妻家ですわ。夫人が身重な時期はほとんど領地に篭りきりで夫人のそばに付きっきりだったと聞きます。そんな公爵に隠し子なんて、あり得ないとわたくしが断言致しましょう」
どういうこと、とフィオナの唇がはくりと動く。隠し子がいないなら、私は、あなたは。誰なんだ。混乱するフィオナを見てフィーはゆるりと微笑んだ。
かちり、かちりと。魔術が展開される。美しい魔術式がフィーの指輪から浮かび上がり、染められていたフィーの瞳と髪が本来の色を取り戻す。その尊き色に、その瞳が示す色に。社交界に出ている者ならば、彼女を知らぬはずがない。出ていなくても、分からないはずがない。平民であったフィオナでさえ、建国祭で見たことがある。遠目でもその色彩を確かに拝見したことがある。ふわりとシルバーブロンドが広がり、甘く淡いライラックの瞳が憂いを帯びて微かに揺れる。
「オーフィリア殿下」
かくしてそこに立っているのは、この国の花の妖精、聡明な姫君。オーフィリアであった。
フィーは……オーフィリアはそっと笑みを浮かべる。それだけで周りはさらにさらにと傅いてしまう。殿下、姫君、王女様。さまざまな声が響く。漣のように広がる声が鎮まるのを待ち、オーフィリアは口を開いた。
「フィオナ・ローズ」
可哀想なほど彼女の肩が震えている。
「どうか、正直にお答え下さいませ。貴女に先程の話を吹き込んだのは、ローズ伯爵ですか?」
「……はい……伯爵と、その長男です…………」
ようやく答えた声はひどく震えていて、オーフィリアは痛ましげに少しだけ目を伏せた。跪き、顔を上げられない。そんなフィオナの前でそっと膝を折ると、オーフィリアはそっと微笑みかける。
「わかりました。大丈夫。貴女はきっと彼らにより洗脳されたのです。利用されてしまっただけです。家族を欲する気持ちを利用するだなんて、ひどい話ですわ」
優しく語りかけ、オーフィリアはそっとフィオナの頭を撫でる。
「もう大丈夫。貴女のことはわたくしが庇護致します。貴女は騙されただけですもの」
はらりとフィオナの瞳から涙が一粒溢れた。先程の勢いは全く見当たらず、唇を震わせてひたすらに深く深く頭を下げる。
「……先生方。陛下にオーフィリアの名で急ぎ使いを。皆様、授業を台無しにしてしまい申し訳ありません。ブラッド、パメラ。わたくしはフィオナと共に城へ戻ります。ブラッドはわたくしに、パメラはフィオナに付いてさし上げて。ああ、そこの教師。馬車を二つ用意して下さいませ」
「かしこまりました殿下」
「仰せのままに」
一度オーフィリアに頭を下げるとパメラはさっとフィオナに近づいてその手を取る。
「さあ、もう大丈夫よ。殿下が保護して下さるわ」
「ごめんな、ごめんなさい。私……!」
こらえ切れず泣きじゃくるフィオナを連れたパメラが会場を出たのを確認して。オーフィリアはそっと淡い笑みを浮かべた。