7-3
ぱんっ。
乾いた音がはじけた。同時に甘く香っていたライラックはどこか遠くへ消える。オーフィリアが手を一度叩けば、一瞬で静寂が飛び、ざわりと吐息や声が溢れ出す。戸惑いの視線をものともせず、するりとオーフィリアは振り返った。
「……レオナード様。せっかく誘ってくれたのに、途中で放り出しちゃってごめんね」
そっと歩み寄りながらフィーがレオナードに囁く。レオナードはまだ傅いたままだ。
「……オーフィリア殿下と気付かず、数々の失礼お詫び申し上げます」
「いいよ、今だけは気楽に、今まで通りのフィーでいい」
フィーの口調で告げて、ようやくレオナードが顔を上げた。
「……フィー」
ああ。その響きが、こんなにもうれしい。彼が私の名前を呼ぶだけで。こんなにも満たされる。
「ふふ、フィーってお爺様が最初に呼び出してね、お母様にもお父様にも、叔母様にも伝染ったし、パメラやブラッドも公じゃないところではフィーって呼んでるし」
「……親戚って、確かにコルケットは王太子妃の御実家だが…………」
「まあブラッドとは又従兄弟だしね」
なにを、言おう。たぶんこれが最後なんだろう。悩んで、悩んで。フィーはさっと指輪の魔術から防音を小さく展開し、レオナードの耳に唇を寄せた。
「魔法を見た感想はどう?」
「…………⁉」
魔法、と呆然と呟くレオナードに自然と笑いが込み上げる。
「王族の直系はね、言葉に妖精の祝福を受けてるんだ。相手を敬わせ、従いたくなる。その尊さに頭を垂れざるを得ない。強制力は弱いけれども、意識すればとても危険な魔法。妖精にとっては愛し子が無理に手籠にされないように少しだけ、という程度だったんだけど、原始の祝福の魔法は強過ぎたみたいでね。意識すれば勝手に発動する、奇跡だよ」
あれが、と呆然とするレオナードにフィーは笑い掛ける。
「たくさん話せて、一緒に最後の自由を過ごせて、本当に楽しかった。貴方ならきっと魔術の源、魔法の真髄に到達できると思うよ」
「待ってくれ、フィー」
レオナードが何か言おうとして。その唇を人差し指で止める。
「さようなら」
ぱちん、と魔術が解ける。凛と背筋を伸ばし、確かな威厳を醸し立ち上がる姿は、オーフィリアだった。
「お待たせしました。ブラッド、馬車は?」
「用意できてます。パメラ達は先に向かいました」
「ありがとう。それでは皆様、お騒がせいたしました。また夜会でご挨拶できるのを楽しみにしてます。御機嫌よう」
微笑んで会場全体を見渡す。もうレオナードと目を合わせることは許されない。柔らかな微笑みに、会場の人々は全てそっと膝を折った。
「フィー、これでよかったのか?」
「論文は充分に納めてるし、足りない分は教師を城に招けば卒業はさせてもらえるだろうし、充分楽しめたよ」
馬車の中でブラッドが心配げにオーフィリアを窺うが、オーフィリアは静かに首を振って笑う。
「あー、本当に楽しかった。わたくしは本当に満足しているよ」
そういう彼女の顔は寂しそうで、けれどもそれ以上追及することはブラッドにはできない。
「……なら、いい。フィオナ嬢はどうする?」
「ローズ伯から籍を外して、侯爵以上の家に一時的に預けようかなって。お爺様にもそうお話しするつもり」
「ならコルケット家は当事者だから外して貰って、パメラの家はどうだ?」
「あー、スウィフトなら王都から領地は離れてるし、落ち着けるかな。わかった、わたくしから提案してみます」
今後の話をしていって。不意にがたん、と馬車が止まった。ブラッドがすぐさま剣を手繰り寄せる。
「……フィー、一応姿を変える魔術を。この馬車に殿下が乗っているということは学園教師の一部しか知らないはずです」
「わかった」
すぐさま魔術式を展開させて、外の気配を伺う。あまりにも静かだ。ここで馬車が止まるのならば一言声をかけてもいいはずなのに、それがない。
「……様子がおかしいな。……いいか、ここからうご……っ」
ブラッドの言葉が言い終わるよりも早く。突然馬車が音もなく横転する。かなりの振動と割れたガラス破片が降ってきて、その音が一切しないことでフィーはようやく防音の魔術具が使われていることに気付くが、それに気付いたとて遅い。
ブラッドがかばうように覆いかぶさってくるのを見ながらも、がごん、と思いっきり頭をぶつけ、フィーはそのまま意識を飛ばした。




