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先日質問の多かった王位継承権について活動報告に書いてみたのですあ、若干のネタバレを含むので、ひとまずふんわり「異世界だからなあ」でお願いします。
夕食は海と山がまじりあうからこその豊かな食材をたっぷりと使ったもので、おいしい、と心からの賛辞を贈る。デザートのコンポートまで平らげて、湯あみをして肌の手入れなどをして。部屋に戻って鍵を閉めて、窓のカーテンも全て閉ざして。フィーはようやく姿を変えていた魔術式を解く。波打つようなシルバーブロンドに淡いライラックのきらめき。その姿で思いっきり伸びをして、フィーはさっそく読みかけていた本を取り出す。
「……フィー様。まだお休みになられませんか?」
「もう少しこの本を読ませていただきます。貴方はもう下がってよろしい」
メイドが頭を下げて出て行ったのを見送ると、だらしなくベッドに身を投げ出す。うつぶせに寝そべると枕を胸元に入れて、さっそく本を開く。わざわざ叱りに来るメイドがいない。明日朝早く起きて学園に行く必要も、公務をこなす必要もない。絶好の夜更かし日和だった。
黙々と本を読み続けて、気が付けば時計の針は日付を超えている。
けれども今、フィーは由々しき問題と対面していた。今読み終わったこの本、上下巻の上巻だったのだ。見ただけでは上下巻とは書かれていないが、しかし読めば明らかに続きが存在すると分かる。
「気になる…………せめて、せめてこの最後の続きだけ……!」
どうして上下巻に分かれた本と言うのは、こうして続きが気になるようにできているのか。
ここが城ではなく知らない土地であり、フィーが王女だと知る者が少ない、と言うのもあったのだろう。普段ならばおそらくはしないであろう決断をした。
フィーはナイトドレスの上からガウンを羽織ると指輪を身に着ける。さすがにこの髪と目で出歩くのはよくないだろう、と最後の理性だ。かちり、かちりと魔術式が展開されていきその色彩が隠されたのを鏡で確認する。よし、とフィーは頷くと、本を持ってこっそりと泊まっていたゲストルームを抜け出した。
抜き足差し足、こっそりひっそり。時々防音や姿隠しの魔術式を使ってやりすごして、昼間に訪れた時よりもうんと時間がかかってようやく書庫に辿り着いた。
ホッと息を吐いて、なるべく音を立てないように書庫の扉を開けて中に入る。ほとんど灯りのない書庫はどこまでも暗く、書庫の灯りを付けようか悩んでやめる。その代わりに小さなランプを手に取ると魔力を流し込み、ほのかな光を灯した。
背の高い本棚の隙間を縫うように歩く。レオナードがどこからこの本を取ったか記憶をたどり、森のような書庫をゆっくりと歩く。時々本棚を覗き込みタイトルを確認して、ちょっと気になった本をついつい手に取って。
「ええっと……」
ようやくレオナードが本を抜き出していたような気がする本棚の前に立ち、フィーは必死に本の背表紙を確認する。時々手に取って中を確認してみるが、なかなか下巻に当たる本が見つからない。どうしようか、なんて考えていた、ちょうどその時。
ガチャン。唐突に書庫の扉が開く音がして、フィーはびくりと肩を跳ねさせた。カツンカツン、と足音が響く。
おそらく見張りなのだろう。ちょっと見つかるのはまずいかも、とフィーは灯りを消して、履いていたバレエシューズを脱ぐと裸足で書庫の奥へと走り出す。どうしよう、隠れる場所あるかな、なんて。ドキドキする。ちょっとしたいたずらをした幼い頃を思い出すようだ。
背の高い本棚を、小さい頃から森のようだと思っていた。たくさんの秘密が眠っている書庫や図書室がまるで物語に出てくる妖精の森のようだと母に言えば、母はおかしそうに笑ってくれた。そんなことを思い出しながら胸を高鳴らせ、暗い書庫を奥へ奥へと走っていく。どこに隠れようかな、なんて考えながら奥の本棚の列を抜けようとして。それは突然だった。フィーは急に手首を掴まれた。
驚きに悲鳴をあげてしまいそうな口を塞がれる。そしてそのまま腕を引かれ、棚の上の本を取るための階段の裏に引きずり込まれる。
ほとんど抱きしめられているかのような形で押し込められていると、カツン、カツンと足音が近づいてくる。思わず息を止めてしまう。ドキドキと心臓の音がうるさく、少しでも身を縮めようとしたのかぎゅう、と少しだけ強く抱きしめられる。思ったよりもずっと筋肉質な胸板に頬を押し付けるようにして、心臓の音がどちらの音なんだろう、と少しだけ他人事のように考えて。カツン、カツン。足音が近づいて響く。
ひっそりと息をひそめて身を縮ませて、そうするうちにすぐ近くを通り抜けた見回りの足音が遠くなる。そうして離れていった足音と共にガチャン、と書庫の扉が閉まる音がして、ようやく息を吐いてフィーはここに引き込んだ人を見上げた。
「びっくりした……」
「俺の方が驚いた」
それはレオナードだった。
「フィー、何をしているんだ。……いやその靴はなんだ」
「足音たてたら見つかるかなって。レオナード様は」
フィーの問いにレオナードはバツが悪そうに視線をさまよわせる。
「……昼間本を読む時間が無いから、よく夜中に忍び込んでいるんだ」
レオナードの言葉に思わず笑ってしまった。フィーにも覚えがあるが、自分のことを棚に上げて学園に入学するような歳になってもやるんだ、なんて言ってしまう。
「でもわかるよ、その気持ち。わたくしも昔よくやろうとして、いつも見つかっちゃったんだよなあ……」
おそらく気が抜けていたのだろう。そう言ってからフィーは思わず口を押える。わたくしって言っちゃった。しまった、と固まってしまったフィーを見てレオナードは少し不思議そうにした後、突然今の体勢を思い出したのだろう。慌ててフィーを引き離す。
「すまない、つい」
「え、いや、大丈夫」
どうやら一人称については特に気付かれていないらしい。ほっと胸をなでおろし、フィーはレオナードを見上げた。
「……で、フィーはなんで書庫に?」
「ああ、そうだちょうどいい。この本の続きを探していたんだ。レオナード様、どこにあるかしらない?」
フィーが本を取り出すと、レオナードがフィーの持っていた灯りを付けて覗き込む。そしてすぐに思い当たったのだろう。ああ、と頷いた。
「最後の部分の理論の解説が次の本に載っているんだよな」
「そう。それが気になって気になって、せめて解説だけ読まなくちゃ眠れない」
「確か続きは奥の本棚にあったはずだ。……歩くから靴を履け」
レオナードがそろりと視線を外す。いくらデビュタント前とはいえ、素足を異性に見せるのはかなりだらしがない。慌てて隠れていた階段に座って靴を履き終えると、レオナードがフィーに手を差し出した。
「こんなおてんばをエスコートしてくれるのかい?」
「暗いから歩きなれないだろう。フィーなら転びそうだ」
転ばないよさすがに、と笑いながらフィーはレオナードの手を取る。そうしてゆっくりと薄暗い書庫を二人は歩き出した。
本棚の森を潜り抜け、かなり奥まった場所にある本棚に辿り着くと、レオナードは持っていろ、と灯りをフィーに手渡す。そしてするすると急な階段を上って本の背表紙を睨む。見える? と聞きながらフィーが下から灯りを灯して、その灯りに合わせてレオナードがゆっくりと視線を流して。
「ああ、あった」
少し大きな声を上げて、おっと、と慌ててレオナードが口を閉ざす。みせてみせて、とフィーがせがむとまあ待て待て、なんて言いながら階段を降り、そのまま階段に腰かけた。フィーが灯りを持って覗き込むと、レオナードが本をぱらりと捲る。
「理論の解説なんだが、この本がおそらく前の本の発行からかなり年月が経ってから出たものだから、本の後半にあるんだ。もちろん前半に出てくる仮定と証明方法も面白いからあとで目を通してみてくれ」
「わかった。……ああ、そう、これ」
「俺が捲るから読み終わったら言ってくれ」
顔を寄せ合って一つの本を覗き込む。時折短く言葉を交わして、なるほど、と互いに理解を深めて。そうして十数ページをゆっくりと読み進める。時々耳にかけていた髪が落ちてレオナードの腕に当たって、くすったいのか勝手に髪を耳にかけられたりして、髪を結べばよかった、とフィーが呟けば、レオナードが髪を掴んでいればいいんじゃ? なんて言い出すからぺちり、と力なく叩く。
そんな風に読み進め、読みたかった解説の最後の一文字まで読むとフィーははあ、と感嘆の息を吐いた。
「すごいな……突拍子もないし欠陥点も理解しつつ、それでもよくここまでこの理論を完成させたなあ」
「この本の著者は、良い意味で突拍子もない阿呆だと思う。ありえないと否定したいのにそれを否定できないような、何とも言えないもどかしさが妙に癖になるんだ」
「ああ、すごくわかる」
こくり、とフィーが頷いたのを見て、レオナードは本を閉じると立ち上がる。
「さすがにそろそろ寝ないとまずいだろう」
しまった、とフィーが時計を探して視線をさまよわせると、レオナードがシャツのポケットから懐中時計を取り出して見せてくる。夜更かしもいい時間だ。
「パメラにバレるとかなり叱られるんだ」
「俺も朝は柔軟があるからな……部屋まで送る」
ほら、と差し伸ばされた手を今度はからかうことなく掴む。
「見つからないようにこっそり、だな」
「こんなところ見つかったら、母上が勝手に勘違いしそうだな……」
疲れたような表情のレオナードにフィーは笑いを必死に抑え込む。二人はそっと書庫を抜けると、フィーの泊まるゲストルームを目指して真夜中の屋敷をこっそりと歩き出した。
翌日朝食の席であくびを噛みころすフィーにパメラが夜更かししたんですか? と眉を顰めるのを見てちょっと本を読んだだけ、なんて言い訳をして。一瞬だけレオナードと視線を交わしてひっそり笑い合う。真夜中の秘密の冒険は、避暑の始まりにはとてもスリルがあって楽しめた。
このシーンは担当さんの「この時点でこの二人はいちゃつかないだろうけれども、あわよくばフィーにドキドキしてもらいたい」という発言から書きました。ちょっと違うドキドキをしてもらいました。