せめて俺は帰れなくとも
暗くなった室内、長四角のテーブルの上には灯り花が5本。
ふわり。
優しい光で、大きな木目がライトアップされている。
幻想的。
ムード満点。
恋人たちの甘い食卓のようだ。
それでもしかし。
そこに、でん、と鎮座ましますのは。
料理が映える高級皿でもなく、鉄板ならぬデカい金属板にいらっしゃるのは。
てんこ盛りのカチャトーラ。
ウサギのトマト煮込みという、由緒正しい豪快猟師飯。
ムード台無し。
それでも全体的に黒っぽい中、色とりどりの花びらが散らされている。
まだ大丈夫。
良いムードは守られている。
だがしかし。
さらなるムードクラッシャーが独り、席についていた。
厨房戦士の戦闘服かつ一張羅、白い厨房服を着た男。
「いっただきまーすっ」
良い雰囲気をぶち壊す、少年のように元気な大きい声。
ムードも何もない。
男は木匙を勢いよく、カチャトーラの山に突っ込んだ。
直箸ならぬ、直匙。
間違いなく「大皿料理」なボリュームなのに、取り皿がない。
そんな用意など、すっかり忘れていた。
腹を減らしたと言えども、男はたった独り。
どんなに少なく見積もっても、4~5人分はあるだろう、たっぷりすぎる量。
食いきれるとでも思っているのだろうか。
大きな木匙にたっぷりと。
ウサギ肉めがけて匙をすすめ、ざくっとすくい上げる。
鼻先に運び、口を閉じたまま奇声を上げた。
「ぅん~~~っ・・・・」
待ちきれない。
一瞬閉じてしまった目を開き、香りを楽しむのもそこそこに、
急いで口に運ぶ。
あーんと大口をあけ、口いっぱいに流し込む。
「!っふぉふっ・・」
ふーふーしろよ!
早く食べたい気持ちが勝ちすぎた。
抑えられなかった自分を叱る。
もちろん、声は出せる余裕はない。
無言でツッコむ。
口をついて出るのは、言葉ではなく。
熱さに悶える人間が出す音。
「っふぁっ・・はふっ・・・」
熱々出来立て。
口内、大惨事の危機。
ハッハッ、ハフハフ。
口が閉じられない。
思わず足をジタバタ、ひたすら耐える。
必死に抗いつつも、熱さの隙をついて旨みがやってきた。
まずは完熟、黒玉極上トマト。
ただ甘いだけではないこの旨味。
さっすがトマト、ほんの少し感じる酸味。
完全なペーストではなく、見た目に残したごろっと感。
柔らかいから、ハフハフするだけでじゅわりと崩れていく。
それがまた、熱さのモトとなって困る。
でも旨い。
とろっとろの飴色玉ねぎを舌で感じる。
そこにガーリックならぬ、アガーがガツン。
全体的に黒い中、すっかり姿を消したハーブがイイ仕事をしていた。
どんなに地味でも、忘れられることのない存在感。
色は違えど、見た目と魔女の説明からローズマリーとアタリをつけたこのハーブ。
肉を焼く前に、一つ一つ指でつまんで、全てちゃんと避難させた。
絶対に焦がしてはいけない。
だが煮込みの熱が足らないと、旨くなじまない。
えぐみのような違和感を出してしまう。
男の丁寧な仕事が生きていた。
姿が見えないハーブが、甘さを引き締めている。
苦みまではいかない別の味を加え、旨味に奥行が加わった。
個性豊かな主役を引き立てる。
見事なバイプレーヤーっぷりだった。
まだまだ熱いが、耐えられるようになったころ、男はそうっと肉に歯を立てる。
しっかりとした弾力。
そうっと噛んでも足らない。
熱さも、もう大丈夫。
しっかりと噛み締めた。
硬直したまま食べていた肉の硬さとは全く違う。
あんなゴム、タイヤを食うような肉とは比較にならない。
同じ肉でも違う肉。
じゅわっと。
噛み締めるたび、トマトとは違う甘さをまず感じる。
それからウサギの赤身肉、独特の苦さ。
後を引く苦みが、肉やトマトの甘さと絡み合う。
苦甘いというには足らず、苦みはそれほど強くはない。
クセのあるウサギの赤身肉。
鉄分たっぷりとわかる味。
男の健康を支えてくれるだろう。
野趣あふれる、日本ではまず食う事のない肉の味だ。
弾力のある肉を噛むたびに、しゃっきり感を加える新玉アチョー。
この食感は楽しい。
甘い新玉は、味のバランスを崩さない。
じゅわっと爽やかに甘い水分を、肉汁に足してくれる。
火を通しすぎないよう、後入れ新玉は大正解だ。
そしてようやく、ごっくん。
「んーっ・・・旨いっ、旨かろうっ、旨すぎるっ」
俺って天才。
ここに誰もいないのが悔やまれた。
ぜひとも食べて欲しい。
こんなに旨いモノだから、皆で食べたいじゃないか。
この旨さを共に語ろうじゃないか。
あいつらに食わしてやりたい。
店での同僚。
男に負けず劣らず、重すぎる料理愛を語れる愉快な仲間たち。
ひと口食べたが最後。
アレも作りたい、コレを作ったらどうだ、いやいや、こう合わせるのが正解だ。
喧々諤々と。
夜中に始まる大試食会は、夜を徹して大試作会となるだろう。
そして妙なハイテンションのまま、へろへろながらも翌日の営業を迎えるのだ。
店での出来事は、想像に難くない。
長年、恋人もおらず、行き場のないはずの男の愛情は。
その大部分が料理に、そして店の同僚に向かっていた。
せめて俺は帰れなくとも。
なんとか。
どうにかして。
この一皿を送ってやれないか。
それか、この肉を。
黒玉トマトを。
新玉アチョーに通玉オチョーも捨てがたい。
コスモスの花束からニンニクの香りがするからおもしろいんだ。
届いた花束は観賞用ではなく、まさかの食材用。
驚く顔が見てみたい。
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ぜひ、契約したい。
輸送費がバカ高くとも、かまうものか。
そんな事を考えつつ、手は休まない。
最初の一口を飲み込んだ後には、すかさず匙を進めた。
今度の狙いは肉ではない。
もう一人の主役級。
赤いスター。
かわいらしく形を崩した星型キノコ。
店の仲間を思い浮かべつつ、こんどはちゃんとふーふーする。
「これもまた旨そうだなっ」
テンション高く、口に運んだ。