合格
空腹、たまらん。
鉄板替わりの金属板の上には、出来上がったばかりのカチャトーラ。
大雑把に言えば、ウサギ肉のトマト煮込み。
この煮込みが放つ、凄まじいほどに旨そうな匂い。
空腹、狙い撃ち。
いや、これ、たまらん。
男はいそいそと木匙を手に取った。
右手には木べら、左手には大きな木匙。
隣のコンロに置かれた皿代わりに、中身をうつしていく。
ちゃんと持ち運びできるよう、端の方にはあまり熱が伝わらないように温めた金属板だ。
「フライパンならすぐなんだけどなー・・・」
木匙と木べらで中身をすくい、隣にうつしていくこの作業。
何度も往復する。
魔女の用意した金属板は、端のほうにホットプレートのような「返し」がついているから、水分たっぷりでも問題ない。
この部分は有難い。
だからといっても、熱々の子の金属板を傾けて汁を注ぐと火傷必須。
よっぽど器用に、木べらと木匙を使うしかない。
木匙が大きいのだって有難いのだが。
極上トマトの水分タップリだから、なかなか難しかった。
丁寧に、できるだけ汁を残さぬように。
「んー・・これ以上は厳しいか・・・・?」
金属板の上には、うっすらと汁がまだ残っていた。
木匙や木べらではこれ以上はすくえなさそうだ。
フライパンなら、最後の一滴までイケるのに。
残念。
トマト投入の煮込み段階で鍋を使うべきだったか。
気の利いた片手鍋なら、汁を一滴も残さず皿にうつせる。
両手鍋でもまあできるだろう。
だがしかし。
ここにあるのは。
「寸胴なんだよなー・・・・」
どこを持っても熱々になるであろう、寸胴を抱え上げて中身をうつすのは無理な話。
火傷必須、結局は金属板と何も変わらない。
「ま、ないものはしゃーない」
さあ、仕上げよう。
熱々のカチャトーラを作る金属板の端、保温状態で温存していたアガーをすくい上げる。
色とりどりのコスモスの花びら。
緑が色鮮やかな、コスモスの茎と葉っぱ。
こんな見た目ながら、これらすべては日本でいうところのニンニクだ。
言い換えるとガーリック。
となりにうつったカチャトーラの上に、パラパラとのせていく。
薄いピンクに濃いピンク。
紫、オレンジに白、黄色に赤、そしてちょっと大人っぽいチョコレート色。
見た目は大事。
たっぷりの黒玉極上トマトで全体的に黒い中、色が鮮やかに浮き上がる。
今回、赤い花びらは採ってこなかった。
赤はスターなキノコが担うから十分だ。
花びらを散らし終われば、お次は緑の茎と葉っぱ。
短くちぎったこの見た目は、ハーブのディルにも似ている。
魚と相性のいい、細い葉に細い茎のハーブ。
セコンド・ピアット(コース料理のメイン料理)の常連だ。
店ではこれを切らしたことはなかった。
緑が入った皿はぐっと引き締まる。
黒っぽいと言えども、赤系統なトマト色のカチャトーラ。
緑はちょうどいい。
これもバランス良く配置していく。
「こんなもんかな」
最終チェックだ。
店の厨房ではいつもの作業だった。
習慣づいている。
男は目を細めた。
その時間、10秒程度。
凝視する。
「・・・・・・・・」
料理人の鋭い目が射貫くように。
見る人によっては、ドキッとなるプロの目線。
真剣に働く男は、誰だってかっこいい。
おっさんと言えども例外ではない。
その引き締まった顔。
ちゃんとかっこよく見えるはずだ。
ただし残念。
ここには誰もいなかった。
「・・・・・よしっ」
一つうなづき、小さくつぶやく。
合格。
大きく息をはいた。
作業台に置いてある灯り花の半分、5本を手に持ち、新しい木匙と木のフォークも持った。
板の間用の内履き草履に履き替える。
足どり軽く、土間から上がった。
家の中を歩き、大きな四角いテーブルに設置。
氷水を入れた取っ手のないガラスのジョッキも運んだ。
準備万端。
あとは主役をお出迎え。
また土間に戻り、コンロに置かれた皿代わりの金属板をそっと両手で持ち上げた。
「・・・うっ」
重い。
腰にひびく。
身の危険を感じた。
ギックリは勘弁だ。
いったん着地。
しっかりと持ちなおし、最後の気合と持ち上げた。
こぼさぬよう、転ばぬよう気をつけながら一歩一歩。
テーブルに置いた。
見下ろし、苦笑する。
「・・・・やっぱ多いよな」
大の男が4~5人が満足するであろう、この量。
肉を使いきらねばならぬという事情はあれども、調子に乗り過ぎたか。
いやいや。
「腹減り、ヘリ腹、万歳だよなっ」
うんうん。
なんたって俺は腹が減っている。
男はトリ頭の持ち主だった。
3歩あるけば、結構忘れる。
一晩寝ればだいたい忘れる。
大量のウサキムチにやられたことなど、すっかり忘れていた。
いそいそと椅子に座り、両手を合わせる。
「いっただきまーすっ」
大きな木匙を勢いよく、目の前のカチャトーラの山に突っ込んだ。