見た目コスモスの正体
一心に花の根元を掘り返していた男。
腰の痛みが気になった。
背中の凝りも気になった。
いったん、休憩。
目線を上げ、しゃがんだままだが姿勢を伸ばす。
見上げた先にはコスモスの花。
よくあるピンク。
秋のサクラと書いて、コスモス。
その名にふさわしい楚々とした姿。
風にふうわりふわり、揺らされている。
じっと見つめた。
「・・・・・コスモスだよなぁ・・・・・」
どう見たってコスモス。
堂々たるコスモス。
逆立ちしたってコスモス。
コスモス、コスモス、コスモス・・・・あがーっ。
叫びたい。
地面から手をはなし、コスモスの花のすぐ下を軽くつまんだ。
そのまま目の前に来るよう、花を少しお辞儀させる。
「やっぱコスモス・・・・・」
見れば見るほどコスモスだ。
可憐な花。
これがパワーの元だなんて。
イタリアンに欠かせない、あの匂いの元だなんて。
コスモス、コスモス、コスモス、あがーっ。
コスモス、コスモスとお花畑が無限ループ。
何かの呪文が、頭の中をくるくる回る。
本気で叫びたくなってきた。
奇声の定番、うぉーではなく、あがーっ。
コスモスの前では、これが正式な叫び方だろう。
「・・・いかん、見てるとおかしくなりそうだ」
いやいやと首をふった。
気を取り直し、鼻を近づけ、匂いを嗅いでみる。
「・・・・すんげえ、違和感」
立派にあの匂いがする。
楚々とした、可憐な花からあの匂い。
おキレイな姿に騙されてはいけない。
家にでも飾ろうものなら、家中臭くなってしまう。
「・・・・・・・・」
イタリアンの厨房には、常に漂う慣れた匂い。
日本料亭の厨房では、こんな匂いに覚えがない。
出汁の香りをつぶしてしまう。
そんな強烈な匂い。
しかし、何日ぶりだろうか。
日本では毎日のように嗅いでいた、この匂い。
火でも入れると、さぞ旨そうに香るだろう。
油が手に入らないのが惜しい。
じっくり、ゆっくり。
油にこの素晴らしい匂いをうつしたい。
懐かしい。
独特の匂いを嗅いでいると、落ち着いて来たようだ。
違和感も薄まっていく。
これもアロマテラピーと呼ぶのだろうかと、ぼんやり考えた。
しばらくして、ストンと納得する。
そうか。
これは食いモンか。
飾るもんじゃない。
見るもんじゃない。
食べるモノか。
「アガー・・・・ふざけた名前だよな」
思わず叫びそうになったじゃないか。
この花の名前は、コスモスではなくアガーと言うらしい。
根から花びらまで、ほぼ全てが食用可能。
毒は持たない。
ただし、花粉がついている花の真ん中の部分は、やめておいた方がいいらしい。
10人に一人の割合で、全身に赤いブツブツが出来て、耐えられない痒みになるとのこと。
アレルギーを誘発するような成分が多いのだろうか。
よって食べられるのは色とりどりの花びら、茎と葉、根っこ。
まだ見ぬ根っこを確認すべく、休憩終了。
もう一度、地面を掘り始めた。
「絵では、芋っぽいんだよなー・・・・」
手書きの野菜辞典。
絵も満載。
ただこの絵、微妙に「画伯」が書いたっぽい出来栄えだった。
男のレシピ開発ノートの方が、いくらか上手に食材を描けていると思う。
こういうのって、絵が上手い人が書くんじゃなかろうか。
手作りだからありなのか。
それでいいのか野菜辞典。
味があるっちゃ味があるのか。
手作り感が満載だった。
よく言えば、ハンドメイドの本。
確かに特徴はちゃんと書かれていて、文字の注釈もある。
理解はしやすい。
だが「画伯」な出来栄え。
そして白黒、カラー無し。
ようは実物を見なければ、ホントの所はわからない。
塊が見えてきた。
周りの土を掘り進め、引っ張ってみる。
「イケるか・・・・っよしっ」
ズボッと抜けた根っこ。
盛大に尻もちをついた。
カーゴパンツを履いているのに。
「・・・・マジかよ、着替えてくりゃーよかった」
もらった服なら汚れないのに。
ぶつぶつ言いながら、パンパンと尻についた土を払う。
草履の中にもちょっと土が入ってしまった。
いったん脱いで、足裏についてしまった土を払った。
そして、引き抜いたばかりの根っこをかかげ、じっと見つめる。
「・・・・・・」
この懐かしいフォルム。
どう見ても。
「・・・・・・海老芋だな」
日本料亭に勤めていた頃、季節によっては毎日、扱った芋。
そもそも勤めていた料亭では、毎日同じ味しか作らない。
用意する毛筆のお品書きは、1つだけ。
値段によって、数品増えることがあっても、基本の会席は皆同じ。
毎日同じ、月を跨いでも変わらなかった。
独自の季節区切りによって、年に数回、会席の中身を変える。
細かい変更はあれども、基本は同じ。
だから料理人にとっては飽きるほど、毎日同じ作業が繰り返された。
全国の支店では、そんなことはない。
料亭の看板にふさわしい、工夫も変化も必要だった。
百貨店に入るような店もあり、ランチくらいならお値段も庶民の贅沢レベル。
1週間に1回、2回と訪れる常連も少なくない。
決まった型はあれども、その時々に仕入れる旬の食材を使った。
ちなみに入社した新人たちは、まず本店で日本料理の基本を叩き込まれた。
目立たぬ所に至るまで、丁寧な作業を求められた。
そして中堅として育った後、支店を任されるべく全国に飛ぶ。
本店で培った基本を生かして、予算と戦い、仕入れをし、メニューを考えるのだ。
実績が認められれば、料理長に昇進。
だから各地の料理長は、意外と若い者もいる。
早い者で、40歳前後で1つの店を任される料理長になれた。
総料理長は、妖怪お爺と名がつくほどの引退しそうにない重鎮だったが。
ただし男は、東の都へ配置転換を提示されたタイミングで店を辞めている。
日本一の大都市の店。
かなりな出世コース。
期待された配置換えだったようだ。
それでも未練はなく、きっぱりと辞め、次の道に進んだ。
だから男が勤めていたのは本店のみ。
完全予約制。
ホームページにメニューなど載せやしない。
毎日、毎月食べにくるような客などいなかった。
人によっては一生に1回。
常連でも1年に数回。
一期一会。
豊富なメニューは必要ない。
毎回同じ、それでいい。
というより、それが良い。
それこそが人を惹きつけた。
春はタケノコ、初夏はマナガツオ、秋には栗、冬は聖護院大根・・・。
この土地だからこその定番。
海老芋もその一つだった。
変わった形の里芋の一種。
黒っぽい茶色い皮だが横縞があり、エビのように湾曲したのが名前の由来。
掘り出したコスモスならぬ、アガー。
見た目が懐かしい海老芋にそっくりだった。
大きさは男のこぶしより小さい。
女性のこぶし1つ分ぐらいだろうか。
土を払い、エアーな水で洗う。
より横縞がくっきりと、色も鮮やかになってきた。
「・・・・・海老芋よりエビっぽいな」
鮨にのっているボイルエビの色合い。
鮮やかなオレンジよりの朱色と、白のまだらな横縞。
元気よく反り返った芋モドキの先端。
「これ、蒸したら旨いんかな」
芋のように食うんだろうか。
予定のモノは作るんだが、ちょっと蒸して食ってみたい。
醤油も酒もみりんもないが、あったら煮物を作れるのだろうか。
「ニンニクの煮物って旨いんかな」
夢は広がる。
男が今日の夕食材料として、まず初めに確保したのはニンニクもどき。
イタリアンには欠かせないガーリック。
野菜辞典から、アガーと呼ばれるのがニンニクだと考えていた。
匂いは完璧。
花も根も、見た目は驚きだったが、おもしろかった。
早く帰ってエビ芋モドキの皮を剥きたい。
焼いて塩をして食ってみたい。
うずうず。
気持ちを抑えつつ、男は次の食材を採りにむかった。