利き塩3本勝負!~白の岩塩~
「いただきます」
両の手の平を合わせ、神妙に目をつぶる。
そのまま。
「・・・・・・」
5秒。
10秒。
30秒。
1分以上はたっぷりと・・・・。
両手を合わせたまま目をつぶり、微動だにしない男。
椅子に座っていなければ。
目の前の四角テーブルの上に料理が並んでいなければ。
マッパな上半身に、ちゃんとTシャツなりを着ていれば。
神社でお賽銭を投げた後の姿にそっくりだろう。
いや違った。
男は神社でこんなに長く祈ることはない。
地元は郊外でも、働いたのは世界遺産のメッカな土地柄。
原付を少し走らせば、神社仏閣に行きたい放題。
小さい頃は父親がクルマを出し、これらの神社に連れて行ってくれたものだ。
料理人になりたい男の為には、料理人が全国から参拝に訪れるような神社。
パティシエになりたい妹の為には、菓子職人なら一度は行きたい神社。
家族が3人だけになった翌々年。
神社だけにおさまらず、父親は毎週のように遠出に連れて行ってくれた。
バイトをするようになれば忙しくなり、神社に行く回数は減っている。
近年は年末年始に、節分くらいだ。
それでも、参拝時には服はちゃんと着ているし、失礼のないようふるまってはいた。
当然、作法は知っている。
二礼、二拍手、一礼。
この一連の流れにかける時間は10秒か、20秒もあれば十分だった。
それが男の身についた、祈りのパターン。
つまり今は手をあわせてはいるものの、祈ってなどいなかった。
そもそも食前の祈りを捧げるような習慣はない。
そんな信心深い男ではなかった。
「いただきます」だけが、家族団らんの思い出と共に身についている。
ではこの長い沈黙。
出来立てアツアツの料理を前に目をつぶって。
木匙も握らず、手を合わせて。
何をしているのか。
「・・・・・」
オレの舌が試される時が来た。
集中・・・・。
「・・・・・」
本人は精神統一をしているつもりだった。
実にめんどくさい。
さっさと食え。
しかし職場の皆なら、そんなことは言わない。
似たもの同士の仲良しさん達。
皆で、料理への重すぎる愛を育ててきた。
ついでに、暑苦しい情熱も育まれていく。
狭い世界で生きてきた男は、自分のめんどくささに気付かなかった。
「・・・・・」
長い。
3分は経っただろうか。
カップラーメンならイイ感じに出来上がり。
怪獣を倒したヒーローだって、帰ってしまうほどの長さを経て。
男はゆっくりと目を開けた。
「気合入れて食うか」
ウサキムチを盛った鉄板モドキの上を通り過ぎた視線が、3つの木皿にロックオン。
見た目は同じ、一夜漬けの葉物野菜。
鮮やかなオレンジと紫、3つの山。
いざ!
尋常に!
利き塩3本勝負!。
気合タップリ、木匙を手に取った男は、一番端の山を崩した。
軽く香りを確かめ、口へ運ぶ。
しゃくしゃくっと歯を立てた。
葉野菜の極上レタスのような、極上キャベツのような。
農家が味を極めた白菜のような。
爽やかな甘さが引き立っている。
「・・・・・うん、やっぱ、クセないな」
心なしか、塩味も薄い気がする。
藻塩とまでは行かないが、塩味の少ないまろやかさ。
素材の良さを壊していない。
良い意味でも悪い意味でもアレンジしない。
インパクトがなく、もの足りなく感じるほど、存在感を主張しない。
ほっとする。
これは繊細な味付けに向くだろう。
下味にもいい。
「白は使えるな」
この世界は個性的な食材が多い印象があった。
畑のトンデモ野菜がその代表。
ウサギ肉なんて、白身も赤身も個性の塊。
個性は歓迎すべきものではある。
だが、時にぶつかり合ってしまう。
ケンカする。
だから最高の食材と言われるモノは難しかった。
例えば。
不味くはなくとも、それほど旨くも感じない。
可もなく不可もない。
素材は間違いないのに、期待した感動がない。
そんな疑問の残る味。
高級レストランで生まれてしまう失敗だ。
それを防ぐには、良い意味で存在感のない味がいる。
基本に忠実、それ以外に出しゃばることのない味。
モノ言わずそっと寄り添う。
己の分をわきまえて、相手を立てる。
極上かつ普通の味。
料理人が一番はじめに揃えたい、基本材料。
この塩はそんな味だった。
苦労して砕いた白い岩塩。
ウサギの白身が欲しかった。
あの出汁の塊のような肉の味を壊さず、引き締めてくれそうだ。
食べてみたい。
「ウサギ、早く狩りに行かないといかんな・・・・・・」
二口、三口と食べ進めつつ、レシピを考える。
しかし、そうゆっくりもしていられなかった。
この3本勝負を終えるまで、ウサキムチが食べられない。
アツアツ鉄板だって冷めてしまう。
それは困る。
ウサキムチ様を待たしてはならない。
男はこの3本勝負を終えるまで、ウサキムチを食べるつもりがなかった。
やはり、なんちゃってと言えどもキムチ味。
強い。
そんでもって、野性味あふれる濃い~いウサギの赤身肉。
こちらも強い。
両者のハーモニーは文句なく旨くとも、舌を少なからずバカにする。
薄味から食べていくのは、鮨屋の基本。
魔女の家に寿司の材料は何一つないのだが、男は順番を決めていた。
「次、行くか」
男は同じ味をつまむのをやめ、真ん中の木皿に木匙を進めた。