独り、泣く夜
オレは負けた・・・・
「・・・も・・・・無理っす・・・」
はちきれそうな腹を抱え、男は木匙を投げだした。
目の前には、だいぶ減ったとはいえ、まだまだ山と残るウサキムチ。
・・・・ウサキムチ様。
ヘタレで申し訳ありません・・・・
も・・・食えないっす・・・・
その魅力に屈した男は、勝手に崇め奉ったウサキムチ様に許しを請うていた。
心の中でも敬語を使う。
三十路の社会人が使うにしてはお粗末であっても、敬語は敬語。
これで本人は敬意を払っているつもりだ。
しかし椅子に座るその姿勢には、敬意などみじんも感じられなかった。
そっくりかえっている。
謝るなら頭ぐらいを下げろ。
ウサキムチ様が喋れたならば、そう言うかもしれない。
そっくりかえって、天井に目を泳がせながらの謝罪なんて、失礼の極み。
なってない。
働いている店のフロアリーダーなら、激怒するようなこの態度。
ホントになってない。
謝罪相手がモノ言わぬ料理だからこそ、許されるその態度。
全くもってなってない。
しかし男には殊勝な態度をとれる余裕など、あるはずがなかった。
今、目の前にホンモノの神様がいようと、料理の神様がいようと、お客様がいようと。
頭を下げることはできない。
誰にも頭は下げられない。
跪くことなんて、もってのほか。
崇め奉っているウサキムチ様と言えど、見逃してほしかった。
なぜなら。
「・・・・くるし・・・・」
腹がいっぱいすぎて、前すら見れないのだ。
顎を引くことすら厳しかった。
前を見た瞬間に、マーライオンと化し、キラキラを発しそうだった。
気を抜いたら、敗北感と共に何かがこみあげるような気がする。
椅子に浅く座り、背もたれにもたれ、遠くの天井を見た。
行儀は悪いが、これが一番安全。
腹が苦しいながらも、ぼんやり、まったりくつろいだ。
フードファイターってすげーな・・・・
改めて尊敬する。
ここ数年は大食い番組を好んで見ていたものだ。
もちろんリアルでは見れないが、ネットで楽しむ派だった。
昔はただ腹に詰め込んでいるイメージであまり見なかったが、最近は違うようだ。
実に美味しそうに食べてくれる。
使う食材もなかなか面白かった。
ちゃんと料理人が心を込めているのがわかる。
そんなデカ盛り登場を歓声を上げて嬉しそうに迎える姿。
さらにそれが女の子だったりする。
旨いモノを、旨そうにたくさん食べてくれる姿。
惚れ惚れするような、食いっぷりを魅せてくれる男もいる。
料理バカの男にとっては、一番の娯楽だった。
いつかフードファイターに渾身の料理を食わせてやりたい。
男のひそかな夢だ。
一度でいいから、目の前で見てみたい。
残念ながら男の働いてきた高級店では、そんな依頼が入ることがなかった。
予算の問題だろう。
そんなとりとめのない考え事をしていると、うとうとと寝てしまった。
疲れていた所に満腹すぎる腹。
寝てしまっても仕方なかった。
「・・・・いてー・・・・」
体が痛い。
何時間か経った頃、男は固まった体の痛みで気が付いた。
腹も消化できたのだろう、随分と楽になっている。
現金なもので、腹が楽になると今の姿勢が逆に辛かった。
すっかり冷めきったウサキムチ様が目の前にいるはずだが、暗くてよくわからない。
男は姿勢を正しながら、本格的に暗くなった室内を見回した。
厨房の作業台に置きっぱなしになっていた灯り花が、男の目をひきつけた。
色とりどりの柔らかい光。
作業台を中心に、厨房の土間がぼんやりと照らされている。
たった10本の灯り花。
室内全体を照らす明るさはないようだ。
男は立ち上がり、土間に広い室内を横切り土間に降りた。
そのまま裏口から外に出る。
夜空を見上げた。
「月は・・・・5つあるな」
真夜中は過ぎたようだ。
灯り花を点灯したのが21時過ぎ。
もう3時間は経っている。
片付けもせずに結構な時間を、寝てしまったようだ。
時計がないのは不便だが、こうして月が見れるのはありがたかった。
裏口から家の戻りつつ、喉の渇きに気付く。
水も飲まずにウサキムチをがっついていたなと思い出す。
感動が薄れたのだろうか。
腹の消化と共に、テンションも落ち着いたのか。
もうウサキムチに「様」はつけないようだ。
「ジョッキあったよな・・・・」
魔女は皿などの食器も全て、3つずつ揃えていた。
子を生したいと言っていたことだし、家族計画を見据えたものだろう。
男は白い灯り花を手に取って、ジョッキを探す。
昼間に一応、全て洗っておいたのだ。
見つけたのは取っ手のないビールジョッキのようなもの。
ガラスは分厚く、その厚みも均等ではなかった。
透明ではなく、手作り感あふれた品。
なかなか味があると思っていた。
気に入ったジョッキに、慣れた仕草で水を注ぐ。
飲もうとした男は動きを止めた。
じっとジョッキを見つめる。
「・・・・ビール、飲めんじゃね?」
そうだ。
水だって、浄水場もなく浄水器のないのに出すことができるのだ。
エアーなレバーを引けば、クラッシュ氷だって出せた。
ならばビールだって。
イケるはず!!
「ビール飲みてーっ」
ウサキムチ様にはビール!
なんで気が付かなかったんだ。
オレはダメな男っ。
テンションが上がってきたのだろう。
ウサキムチ「様」が復活した。
手に持ったジョッキの水を一口も飲まずに、流し台の窓から外に捨てる。
左手にジョッキを持ち、右手は見えないビールサーバーのレバーにそえる。
研修で受けた「旨い注ぎ方」を頭の中で、おさらいした。
「よしばっちりっ!」
いざ!
気合と共に、エアーな動作。
レバーを引いた。
「・・・・っなんで出ねーんだーっ・・ビールーっ」
いくら頑張っても、ビールは一滴も搾りだせない。
男の奇人変人びっくり人間には限界があったようだ。
この夜、男は独り、本気で泣いた。