たった一口、味見最高
愛している。
ずっとずっと求めていた。
懐かしい。
嬉しい。
いつぶりだろうか。
ようやく肌に感じることができた。
ここまで本当に長かった。
「イイ・・・・」
そう。
この音。
『ジュ~~』
肉が焼ける音。
なんだよ。
大袈裟な。
匂わせやがって。
誰かがいたらツッコんでくれただろうが、もちろん誰もいない。
そして男も大真面目だった。
男にとっては、冒頭、心の中の独り言は何も大袈裟な話ではなかった。
今この瞬間、猛烈に感動している。
涙が出てしまいそうだった。
重すぎる愛を語る事に何の恥じらいも、ためらいもない。
料理人が料理を愛して何が悪いのか。
そもそも彼女はいますかと聞かれたら、恋人は料理ですと当たり前のように答える料理バカなのだ。
当然ドン引きされ、恋のチャンスを失う瞬間に気付かず過ごしてきた。
そのハードルを乗り越え付き合ってくれた彼女にも、いつもワンパターンでフラれてしまう。
料理と私、どっちが好きなのと。
即答できなかった結果、おっさんはさらに料理だけに愛を語るようになっていく。
「ジューを録音できねーかなっ・・」
男にとって、鉄板モドキの上で肉が焼ける音は最高の音楽だった。
エンドレスで聴いていたい。
寝る前に聴いたら、いい夢がみれそうだ。
直火であぶっていた今までは、これほどイイ音は出なかった。
この環境を手に入れたからこそ。
料理人の城、厨房に料理人の武器である調理器具。
今や男のもの。
その事実でさらに男は悦に入る。
なんちゃってウサキムチの入った寸胴鍋を抱えたまま、うっとりと聴き入ってしまいそうだ。
しかしここからが本番。
気合を入れて。
「ウサキム投入~っ!!・・・・ぅおーっ」
木べらを使って、鍋の中身を鉄板に豪快にあけていく。
その瞬間、さらに賑やかになるジュージュー音。
ジュー音に触発され、思わず奇声をあげる。
この場合は、歓声と言うべきか。
いつものワンパターンな「ぅおー」である。
「ぅおーっ・・・イイ音にイイ香りっ・・・・すげーっ」
おっさん、はしゃいで騒いで、大興奮。
肉の焼けるいい香りに、なんちゃってキムチの香りが割り込んできた。
耳で感じる贅沢に、鼻で感じる贅沢。
ちゃんと日本で食べたキムチに似た香りなのが、これまた嬉しかった。
本気で涙が出そうになっている。
ここまで、頑張って歩いてよかった。
長かった。
感動が止まらない。
それでも男の手元だけは狂うこともなく、冷静だった。
広い鉄板モドキの上で、ウサギ肉1枚だけを慎重によける。
ウサキムチと味が混ざらないよう、よけた肉の焼き具合を確かめた。
「・・・いい焼き具合っ」
木べらで肉をすくい上げる。
まだ熱々の肉をものともせずに指でつかんで軽く息を吹きかけ、口に入れた。
「・・・・・っ・・・ぅんーんっ、ぅめぇーっ」
旨い。
こんな旨いモノがこの世にあったのか。
たった一口、味見最高。
唸り声を上げつつ、両手はちゃんと働いていた。
2本の大きな木べらを握り、鉄板の上を豪快に炒め合わせている。
「・・・やっぱ塩は命だな。全然違うわ、コレ、臭みもねーし」
ウサギ肉の初体験では、空腹に味覚が負けてしまった事を思い出す。
塩もせず、臭み抜きもせず、さらには硬直中のカタイ肉。
ただただ焼いただけのソレを、夢中で喰らった。
旨いと思ってしまった。
不味いとわかっているはずの肉をお代わりまでして、腹いっぱい食べた。
腹をすかした男の本能が、調理の意義を全否定。
料理人にあるまじき、一生の不覚。
「俺のめったにない黒歴史・・・・・」
いや、他にもっとあるだろう。
量産された黒歴史はカウントされていなかった。
アンタ、間違ってるよ。
彼に教えてくれる人は誰もいない。
「赤身、ホントに旨かったんだな」
手持ちのウサギ肉は、赤身肉のみ。
臭みが非常に強く、甘みもあり、苦みもある肉。
野趣あふれる味と言えばいいけれど、つまりは強烈なクセのある味だ。
出汁の味がじゅわっとあふれる白身肉よりも、旨さでいえばだいぶ劣る。
これらの肉が市場に出回ったら、雲泥の価格差となるだろう。
なのに今食べた赤身肉はちゃんと旨い。
特に臭みを抑えられたのが大きかった。
言葉を選んで、野趣あふれすぎる味と褒めるしかなかった味が、良い意味で「野趣あふれる味」にちゃんと変わっている。
「やっぱ、ラーシャさんのおススメにはハズレなしだよな」
強すぎるクセを、個性に変えられたのが良い。
臭みは残るが、ハーブとちょうどいい具合にブレンドされている。
硬直もとけ、肉の硬さも歯ごたえのあるイイ弾力といえる範囲に収まっていた。
塩も効いている。
「やっぱ黒でアタリだったかな」
手はちゃんと動かしつつも、男は肉の分析に余念がない。
黒い岩塩は個性が強く、味の強いモノにあう。
白身肉には別の色を使いたいが、赤身肉なら絶対に黒だと思っていた。
削った塩を軽く舐めた際に、そう思っていた。
色が同じでも味が日本とは大違いな、トンデモ野菜とは違うようだ。
色の違いは、含まれる成分の違うことによる。
ここの岩塩も日本と同じ感覚でいいのかもしれない。
ウサキムチもいい感じに焼けてきたようだ。
男は急いで鉄板をもう一枚、となりのコンロモドキにセットした。
エアーなガスの炎をつけ、中心部分を軽く温める。
両端は持てる程度の熱さにおさまるように、炎を調節。
「よっしゃできたっ」
音と香りが凄まじく男の空腹を煽ってきた。
急いで木べらで隣の温めた鉄板モドキに移し替える。
木皿ではこの大量のウサキムチを受け止めきれない。
それに食べているうちに、冷めてしまう。
「やっぱ焦がさず、でもってアツアツがいいよなっ」
ウサキムチの山を移し替えた鉄板モドキを両手で持った。
かなりの重量に熱量だが、そんなことは気にならない。
いそいそと土間から上がり、大きな四角いテーブルの上に運んだ。
ちゃんと大きな木匙もセット。
サロン(エプロン)を外し、椅子に座り。
パンっと、大きな音が鳴ったほどの勢いで両手を合わせる。
一瞬、目を閉じ、大きく息を吸った。
そして。
「いっただっきまーすっ・・・食うぞーっ・・ぅおーっ」
木匙を手に取った。