ゆっくりたっぷり、緑の罠
時はまだ魔女の家初日、畑の野菜の洗礼に遡っている。
展開は確かに遅い。
ごめんなさい。
しかし誰かに向かって、何かを謝る者もココにはいなかった。
さて、トマトに襲われ、文字通り泣かされた男。
震える手を緑のトマトにのばしていた。
実は大きく膨らみ、後は赤く熟すのを待つだけの段階。
ここが普通の畑であれば、なんてことのないトマトだろう。
赤く熟れたトマトに混じって、緑のトマトが見られるのはよくあることだ。
しかしここは普通の畑ではない。
支柱もなく自立する、男の身長をはるかに超えるひょろひょろとした茎。
いくつも実るトマトの重さを支えつつ、なぜか倒れる気配もない。
実るトマトと言えば、色も形も見事にバラバラ。
見るからに品種が違う。
日本では一般的な赤いトマトのピンク分類。
対して、日本ではあまり見ないゴツゴツした濃い赤色、トマトの分類で言えば赤分類。
珍しいであろう黒。
黄色。
オレンジ。
夜空に光りそうな、ありえない蛍光ドピンク。
そして緑。
ちょうど今、男が左手に取った色。
他がツッコミ所満点な分、見れば見るほど普通のトマトに見えた。
「・・・・・普通のわけがないだろう」
海外には完熟しても緑のトマトもある。
リコピンを含まないから赤くならないだけ。
酸味は強いらしいが、食えないわけではないらしい
男も知識としては知っていた。
しかしこれがそれと同じであるとは限らない。
「・・・・・もう騙されんぞ」
男は唸るように呟く。
カーゴパンツからハンティングナイフを取り出そうとして、右手に持ったままの激辛トマトに気付いた。
一口だけ齧ったトマトだ。
どこかに置こうにも、皿もない。
ザルも持ってきていなかった。
「・・・・・戻るか」
そういえばキャンプファイヤーもそのままだった。
まだ燃え続けているはずだ。
延焼対策ばっちりの家の前の広場だから大丈夫だろうが、あまりにも不用心だろう。
何より、こんな頭のおかしい畑をこれ以上見ていたくはなかった。
自分の頭もおかしくなってしまう気がする。
広場に戻り、キャンプファイヤーの炎の前で仕切り直しだ。
他のトマトと共に、齧りかけの激辛トマトもザルの上に置いた。
左手に持つのは緑のトマト。
右手にはハンティングナイフ。
もう無防備に齧りつこうとは思わない。
同じ過ちは犯さない。
たかがトマト。
されどトマト。
侮るなかれ。
ノーモア、ガブリシャス。
トマトに泣かされた男はもう油断することはなかった。
トマトにしては比較的厚い皮の中に、ナイフを慎重に沈めていく。
まずはトマトの芯をくりぬいた。
続いてまな板もない中、左手で器用に抑えながらトマトを縦に2つに割っていく。
慣れた作業だ。
しかしナイフの入る感触からして、もうおかしい。
なぜか微妙な「じゃりぷち」感。
「トマトを切っているぞ感」が全くなかった。
鬼が出るか蛇が出るか。
口の中の渇きが気になった。
大の男が手の中のトマト1つに、ビビりまくっている。
いやいや、トマト1つにビビり過ぎだろう。
どうした。
悪いモノでも食ったのか。
いつもながら、そう心配してくれる者はいなかった。
「・・・・・・」
切り終わったナイフをザルに置く。
2つに割られたトマトは、水分でくっついており中身がまだ見えていない。
緑のトマトを両手に半分ずつ持った。
深呼吸を1つ。
両手を開いてパカっと開け、トマトの断面をじっくり観察する。
「・・・・・・やっぱトマトじゃねーよな」
例えるならば、たらこ、明太子、数の子、キャビア。
それよりも少し粒が大きい。
だがイクラと例えるまでの、大きさはない。
そしてみずみずしい。
うるおいタップリ、つやつやお肌の緑のツブツブ。
そんなつぶが断面いっぱいに、ぎっしりと顔を覗かせていた。
丸い半分をにぎにぎ、少し圧を加えてみる。
握る度、緑の透き通ったツブツブがぷにゅっと浮き上がった。
柔らかいようだ。
より正確に例えるならば。
「・・・・・フィンガーライムが近いか」
ここ数年、店でも使いだしたライムの一種だ。
オーストラリアでは原住民が食べていたという、古くからあった食材。
果実の見た目は、黒っぽい大きな芋虫。
アレを最初に食べようと思った奴は偉いと思う。
誰か知らないが、料理の歴史に名を残すべき偉人だ。
分厚い皮を指で押さえれば、ぶにぶに、ぶにょっとした感触。
それでも食う勇気があったのがすごい。
しかしその分厚い皮の中身はアラ不思議。
見た目にも美しい、光輝くツブツブ。
プチプチと楽しい食感は、フランス料理でもてはやされ、近年、高級食材の地位を得た。
色は赤、白、緑があるという。
男が店で使っていたのは、白に近い黄緑。
目の前のコレは、大きさはそれっぽい。
色はもっと緑が強く、暗い。
「柚子胡椒っぽい色だな」
鬼も出なければ、蛇も出なかった。
若干の安堵と共に、中のつぶを指ですくい上げてみる。
炎の光を反射し、黒光りするツブツブ達。
じっくりと眺めてから、慎重に口に運んだ。
「・・・・・・やっぱり罠だったな」
よし、クリア。
オレ、賢い。
口の中に拡がる苦みを味わいつつも、自画自賛。
少し食べるだけなら、プチプチとした食感も楽しい。
みずみずしく、弾ける苦み。
飲み込んだ後に残るのは、苦みではなく爽やかさ。
香る程度と言えるほどの、ほんの少しだけの酸味。
薬味として、味のアクセントにチョットだけ添えるなら文句なく良い味だろう。
だが丸かじりしていたら、二度目の泣きを見るところだった。
危ない危ない。
オレ、エライ。
賢いというより、ビビッていただけという事実からはちゃんと目をそらしている。
酸いも甘いも経験した男の、人生、上手に上手に生きる術。
自分を責めてはいけない。
褒めて伸ばそう、オレ自身。
結論。
緑のトマトは、ワサビに若干の酸味を足したような味だった。
わかりやすい。
そして料理人として、テンションも上がる。
こんな綺麗な見た目の薬味なら大歓迎だ。
喜びと共に、少し勇気が湧いてきた。
ついでとばかりに緑のトマトはザルに戻し、他のトマトも試すことに決める。
毒を食らわば皿まで。
トマトは毒ではないとわかっちゃいるのだ。
そしてトマトをのせる皿もない。
だが、それぐらいの覚悟が必要だった。
トマトと対決する勇気が湧いても、まだまだビビっている男。
ピントのずれた決心と共に、全ての種類のトマトを収獲するべく、畑に戻った。