トマトに泣かされた男
「っ・・・・んあーっ・・・・っから・・・・・いてーっ」
マイ厨房で機嫌よく野菜を洗う男が、畑の野菜の洗礼を受けたのは2日前。
魔女の家、到着初日。
晩御飯には久方ぶりに野菜が食えると、喜び勇んで畑に入った。
畑には見た事もない野菜達。
よく知る野菜達だってお目見えだ。
何から食べよう。
記念すべき初の野菜。
時間もないしと決めたのは、採れたてトマトの丸かじり。
つやつやトマトをあーんと行こう。
これぞ畑の採れたて野菜の醍醐味だ。
好奇心を優先し、研究心を言い訳に。
いそいそと珍種トマトをお迎えし。
家の前の広場で、既に手慣れたキャンプファイヤー。
燃え盛る炎の前で、赤いトマトをガブリシャス。
記念すべき、その一口は不味かった。
間違ってもトマトと呼べぬ酢酸の味。
怒り心頭、畑に走った。
日本で珍しくもない、普通のトマトはどうなんだ。
勢い任せにガブリシャス。
そうして冒頭、苦悶の声をあげた瞬間に時は遡る。
「っごほっ・・・んほっ・・・いてーっ・・・・」
男はあまりの辛さに、むせかえった。
口の中を急襲した痛み。
汗が一気に噴き出すのがわかる。
激辛、ここに極めり。
じっとしてなどいられない。
ジタバタと手足が勝手に動く。
息も上手く出来ない。
パクパクと口を開けると、空気が痛みに追い打ちをかける。
「・・・・・っんほっ・・・・っんあーっ」
酸っぱかっただけの赤いトマトと違って、このトマトは日本のトマトと同じくみずみずしい。
つまり水分タップリだった。
じゅわっとあふれる激辛液体。
口内を隅々まで、隙間なく襲う。
ひたすら辛い。
そして痛い。
「・・・・・っ」
涙目で悶える男。
しかし吐き出すことはしない。
ひたすら耐える。
なんとか飲み下そうと頑張っていた。
毒じゃないっ・・・・・・。
食いモンの味じゃねーけどっ、これは食いモンっ・・・。
素材の味っ・・・・・
修行っ、しゅぎょーっ・・・・。
顔を真っ赤にした男。
耐えに耐えた。
何かの罰ゲームのようだ。
一流のっ・・・・
料理人にっ・・・・・
オレはなるっ・・・・・
根性ーっ・・・入れろーっ!
もはや声も出なくなり、心の中で大号令。
頑張った。
頑張って、頑張って、頑張って。
気合を入れて、とうとう。
ごっくん。
「っんぇほっ・・んほっ・・・・っごほっ・・」
一通りむせかえった後、荒い息を整える。
全身を重くする脱力感。
何歳か歳をとった気がした。
水をがぶ飲みする。
口内はまだ痛かった。
水に刺激され、おさまりつつあった痛みが増した。
それでも口の中いっぱいに水をふくんで飲み下す。
「・・・・・ひでー目にあった」
頑張ったオレ。
よくやったオレ。
自分で自分を慰めた。
涙目からあふれた、涙が一筋。
汗が吹き出した顔を伝う水分が増えたところで、気付かないようだ。
トマトに泣かされた男。
カッコ悪い。
しばらく虚ろな目を彷徨わせていた男が、1つのトマトに焦点をあわせた。
何の変哲もない普通のトマトだ。
しかし目が離せない。
「殺人トマト第二段か?」
トマトを凝視したまま、呟いた。
もう何年前だろうか。
職場で流行ったB級ホラー映画を思い出す。
男が生まれる前の作品が、高級イタリアンで働く皆の心を鷲掴んだ。
トマトに殺される!
逃げ惑う人々。
転がる巨大な殺人トマト!
そんな内容だったか。
確か続編も見たような気がする。
流石アメリカ、これに予算がつくとはすばらしい。
そのバカバカしさに、職場の話題が席巻されたものだ。
これは罠だ。
トマトに殺されはしなかったが、泣かされた男のカンが囁く。
強まる警戒心。
畑の野菜を信用してはならない。
もうこれ以上、やられるわけにはいかない。
2連続でハズレを引いた男の本能が油断を許さなかった。
ここにあるのはおかしいだろう。
緑のトマトを見つめる。
熟すのを待つ、赤く色づくのを待つばかりの緑のトマト。
日本の畑では当たり前に見る光景。
「緑っておかしいだろ」
そう。
トマトの緑色。
そこがおかしい。
絶対おかしい。
男は料理に関することだけは、物覚えが良かった。
普段は寝たら忘れるトリ頭。
こと料理に関する事となると、人が変わったように覚えが良かった。
料理の世界のお受験があるならば、日本のトップ機関に特待生で入れるだろう。
絶対に忘れない。
執念深いほどに記憶力があった。
その記憶にも新しい、魔女の手紙の畑の記述。
一言一句思い出せる。
『 そうそう、畑と言えば。
ここも楽園の一部のようで、ちゃんとすごいの。
持ち込んだどんな野菜の種もあっという間に育つ。
早いモノで一晩、遅いものでも3日もあれば実がなるわ。
しかもいつでも採り放題。
収獲したって、すぐにまた実がなって枯れる事がない。』
こう書いていたではないか。
ラーシャさんが教えてくれた事。
遅いものでも3日もあれば実がなると。
収獲したって、すぐまた実がなって枯れることがないのだと。
つまりどんな野菜も3日もすれば、採り頃、食べ頃、熟れ頃を迎えるのだ。
熟す前のまま、残っているこのトマトはおかしい。
緑のままのトマトはおかしい。
「・・・・・・・」
微妙な緊張感。
齧った激辛トマトはそのまま右手に。
ごくりと唾を飲み込んで。
男は震える左手を、緑のトマトにのばした。