畑のトンデモ野菜、初日の洗礼
「うっさきっむっ、うっさきっむ~っ♪」
灯り問題の解決していない厨房は薄暗かった。
家中の窓や扉を開け放ち、採光しているとはいえども時間的に限界がある。
先ほど1番月が出たばかり。
20時を超え、あと少しすれば日没を迎える。
時間に目をつぶれば、昼から夜に移り変わる逢魔が時。
そんなもの寂しい空間に、男の陽気な歌声が響き渡っていた。
元ネタ不明。
たいして意味などありゃしない。
格式高い伝統の日本料亭に勤め、高級イタリアンに勤めた男。
その男がようやく手に入れたマイ厨房で作ろうとしているもの。
畑のトンデモ野菜の洗礼を受けた時に閃いたメニュー。
硬直も解け、臭みを消し、最高の状態で待っているウサギの赤身肉を使って。
記念すべき初調理。
今すぐ食べたい。
あのメニュー。
そういえば日本で作った事などはなく、知られた名前もありはしない。
だから男が命名。
その名は。
「うっさぎとキッムチで、うっさキムチ~~っ♪」
男が選んだのは、時短、簡単、庶民なメニュー。
豚キムチならぬ、ウサキムチ。
高級志向の店での修行は、必要なかった。
なぜにソレ。
誰もツッコめる者はいない。
だが応えるかのように、単調ながらもご陽気な歌は続いた。
「キッムチはないっから、酸っぱいだけ~~の、とっんでもトッマトがごっ登場~~♪」
歌い足りないようだ。
「はっくさいっキャッベ~ツっ、そっんなのわっからっぬ、はっもの野菜~♪」
まだまだ続く。
「オッレンジいーろっに、むっらさっき色~で、いっろみはかっんぺっき~、きっれいきれ~~っ♪」
うるさく続く。
「さっいごっの決っめてはっ、かっら~~いっ、いった~いっ、キッケンキケ~~ンッ♪」
しつこく続く。
「にっほっんとおっんなじ、ピンクのあっなたに、だっまされた~~っ♪」
恨みがましく、こぶしが回る。
「齧っちゃいっやーんっ、トッンデモトッマト~ッ♪」
こぶしのききっぷりが、恨みの深さを語るようだ。
「かっら~いっ、いった~いっ、なっみだっが出っちゃうのっ、キッケンキケ~~ンッ♪」
なるほど。
おつかれさん。
「そっこで、とっうじょうっ、マッイ厨っ房ーに、マッイてっぱん~♪」
嬉しそうだ。
よかった。
「おっれにまっかせっろっ、トッンデモトッマト~ッ♪」
まだ続くのか。
もう終わりませんか?
「むってきのベッテランッ、りょっおりにん~~~♪」
しつこい。
「らっらららっおっれ~はっ、りょっおりっ、にん~~~♪」」
「にんにんにんにん・・・・・うぉーっ」
ネタがなくなったようだ。
定番の雄叫びが飛び出し、無観客リサイタル終了。
ツッコめる者も、クレームを言える者もいないのが、男を黒歴史から守った。
基本は寝れば忘れてしまえるトリ頭。
目撃者がいないならば、この瞬間を思い出して恥ずかしくなることもない。
肉体疲労が限界を突破した男は、超のつくハイテンションだった。
隠れファンもいたほどの、黙々と作業をする料理人の面影はない。
しかしテンションがおかしかろうが、経験豊富な料理人。
でたらめに歌いながらも手際はよかった。
土間の左手、大きなたらいの流しシステムを使い、エアーな温水を駆使して次々と野菜を洗っていく。
濃いオレンジと紫の混じった、大玉スイカのようにまん丸な葉物野菜。
大量の葉をちぎりつつ、じゃぶじゃぶと豪快に洗う。
水がこぼれても問題のない土間は使いやすかった。
楕円形にボコボコとヘタの近くが盛り上がっている、濃く赤いトマトモドキは3つ洗う。
日本のスーパーではあまり見ないタイプ。
トマトの色分けで言えば赤に分類されるものだ。
赤色分類は酸味の多い品も多く、生で食べてもあまり美味くはない。
火を通すことで旨味が増す。
イタリアンではよく使う品も、こんなタイプも多かった。
思い出すのは、魔女の家、初日の試食。
2日前の畑の洗礼。
久しぶりに野菜が食えると喜んだのが、懐かしい。
高級イタリアンで働く男にとっては、仕事の材料。
まあまあ見慣れた形のトマト。
職業柄、どんなものかと一番に齧ってみたら。
「まっっずっ」
ただただ酸っぱいだけだった。
不味い。
酸味というほど可愛い表現はできない。
これはお酢。
お酢と呼ぶのも惜しい。
食べ物じゃない。
バケ学分類、酢酸と呼んでやろうと思ってしまう。
フルーツ酢という飲めるお酢が流行っているが、そんな気が利いたモノではなかった。
食えたもんじゃない。
しかしそこはお初の食材と向き合う料理人。
ぐっと飲み込み、気持ちを整え、もうひと齧り。
何かがこみ上げる酸っぱさに耐えつつ味を分析すれば、申し訳程度に甘みがあった。
普通の人は気付かないだろう、主張の足りなさすぎる甘み。
例えるならば、甘さをごくごく控えた、出汁の効いていない寿司酢。
皮が厚く、種がなく、寿司酢を固めたような果肉。
なんだコレ。
見た目詐欺か。
これをトマトというのは許せない。
俺に謝ってくれ。
期待が外れ、理不尽な怒りすら覚えた男。
キャンプファイヤーの火はそのままに、家の前の広場を飛び出し、畑に走った。
じゃあ、アレはどうなんだ。
地球で数千種もあるトマトの色は、一般的には大きく分けて4つと言われている。
赤、ピンク、黄、黒の4つ。
実は日本スーパーに並んでいるトマトは、赤色には分類されない。
そのほとんどが、ピンクと言われる。
つまり濃い赤色が赤タイプ、日本の朱色っぽいトマトはピンクタイプ。
初日の試食は物珍しさへの好奇心から、研究心から日本でよく見るトマトは採ってこなかった。
日本のスーパーではあまり見ない、珍しいものばかりを採って来ていたのだ。
イタリアンで働く男が、比較的食べ慣れたトマトの味がこうなのだ。
じゃあ普通のトマトはどうなんだ。
筋肉痛をものともせず、畑についた男。
まだまだ畑の野菜のトンデモ加減を知らなかった。
ついでに、アタマに血が昇っていた。
日本でよく見る普通のトマトをもぎ取って、洗いもせずに齧りついた。
遺憾なことに大口で。
「っ・・・・んあーっ・・・・っから・・・・・いてーっ」
涙目で悶絶することになった。
辛みが過ぎると、痛みを生じる。
一気に拭きだす汗。
日本でよく見る普通のトマトは、激辛だった。
見た目詐欺、ここに極めり。
しかしこれではまだ終わらなかった。
男が受けた畑の野菜の初日の洗礼、もひとつ続く。