やっと実食、信号実 ~アカ~
信号木の果実、またもや勝手に名付けて信号実。
ずっとずっと食べてみたかった。
満を持して、ようやっと。
実食の時を迎えていた。
「いただきます」
かぶりついた赤い実は、草原近くの森でいつも見ていた信号実より、かなり小さい。
森の信号実は大玉の桃、大玉の林檎をさらに一回り大きくしたような立派な大きさだった。
ヘタしたら小玉スイカレベルだったかもしれない。
しかし今、男の手の中にあるのはその3分の1にもならないように思えた。
スモモか姫林檎というような大きさだった。
それが少しだけ残念だった。
しかし味に大きさは影響しない。
魔女レポートでもそう書いてあった。
今、料理人の本領が試される。
男は目を閉じて、慎重に味を確認した。
「・・・・・・」
やわらかい。
持った時はそれほどやわらかいと感じなかったのに。
プリンやムースに近い。
ゼリーよりは存在感がある。
プルプル高級、水ようかん。
そんな歯ざわり。
というより、歯がいらない。
溶ける。
それでも飲み物のような存在感のなさは感じない。
ちゃんと食べた感がある。
甘い。
そして酸っぱい。
なにをどうすればこんな味になるのだろうか。
例えるなら。
そう。
極上の。
「リンゴとミカンを混ぜた感じか?」
やすっ。
自分で自分に、ツッコんでしまいたくなった。
漂う残念感。
口に出すと、どうしても陳腐になってしまうのだ。
そんな安い味じゃないのに。
この味はもっとすごいのに。
でもこれ以外の表現をしようがない。
極上で絶妙の糖度と酸味。
糖度を想像しつつ、もう一口。
お代わり。
「・・・・・・・・・・」
この味をどう言えばいいのか。
糖酸度計が欲しい。
「負けた・・・・」
・・・・料理人の本領はまた次回に発揮するから。
完敗だ。
ごめんなさい。
料理人のプライドを拗らせた男は、勝手に誰かと勝負をしていたようだった。
そんなの求めてないのに。
なんで素直に旨いと言えないのか。
めんどくさい。
美味しいねーで、にっこり笑えばいいじゃない。
料理人とご飯に行くのは、楽しくない。
こうしてお食事デートでフラれていくのがパターンだった。
過去の反省と経験は全く生かされていない。
男は立派な料理バカだった。
そう。
バカな子ほど可愛い。
老若男女を問わず、友達としてなら男は愛され体質だった。
頑張れ。
ここに皆がいれば、男を応援してくれただろう。
しかし今は誰もいない。
「妹に食べてもらえればな・・・・・」
男は力不足を感じつつ、妹の姿を思い出した。
しかしそこにあるのは兄妹愛ではない。
シスコンでもない。
単にプロとして、妹に味見をしてほしかった。
この味は、どちらかと言えば妹の領分だと感じるのだ。
男ではうまく表現も分析もできない。
兄の後を追いつつ、道を違えたパティシェの妹は、いつも男の良い相談相手だった。
パティシェだって、クリスマスには体力勝負。
最後の追い込みは、午前3時帰りの7時出勤。
産休育休で数回休めた所で、それは最低限の休みでしかない。
タフな毎年行事を、2人の子を産み育てる妹はタフにこなしていた。
夫や父親の協力を得られるとは言えども、あいつはすごい。
自慢の妹は、男の良いライバルでもあった。
この極上の味。
食べさせてやりたい。
妹ならば、なんと言うだろうか。
ナニを作ろうとするだろうか。
俺なら・・・・・。
少し考える。
「・・・・・ソースにできないかな」
ドレッシングでもいい。
信号木から離れれば硬くなり味がなくなるというのなら、信号木のそばで加工して持ち出すことはできないだろうか。
これだけの味を使えないのは惜しい。
もったいない。
諦めたくなかった。
断面をまじまじと観察する。
皮と実の境目がない。
実も赤い。
同じ色だった。
真ん中に種は1つだけ。
種の色は普通。
緑ががかった茶色だった。
桃やアボカドを思わせるような、実のサイズの割には大きな種。
この種は食えないらしい。
さて、最後の一口。
種だけを器用に残して食べ終わった。
後味さっぱり。
さわやかな香りだけが鼻に残るような気がした。
残った種は地面に落とす。
芽も出ないらしいが、大地には帰ってくれるだろう。
「文句なく旨かったな・・・・・」
次はアオだ。
左手の青い信号実を右手に持ち替え、かぶりついた。