069. 毛根は間に合いませんでした
バルドの落下地点に駆け寄ってくるマリールに、焦ったのはバルドだ。自分の巨体が高所から落下すれば、その衝撃で小さなマリールが潰されてしまう。
バルドは切羽詰ったように叫んだ。
「――アエラウェ!!」
「はいはい」
アエラウェが手を振り上げ、風魔法で落下するバルドの速度を緩めてやれば、後から追加の声が掛かる。
「――アエラウェさーん! 俺達にもよろしくぅー!」
「――アエラウェ様ー!! このイクス、今お助けに……!!」
「……ええ? 何でイクスも居るのよ……」
サルム達だけではなく予想もしていなかったイクスの声に、アエラウェは嫌そうに顔を顰めた。だが嫌そうにしながらも、イクス達をも風魔法で包み、落下速度を抑えてやった。
穴に飛び込んで来たのはバルドとエドナ、サルムとフレスカに、イクスとガウェインだ。エレンとミケルは地上部で待機させている。
穴の底にふわりと降り立つバルドにマリールが飛び掛り、バルドはそれを掬い上げるように抱き止める。泣きじゃくるマリールをあやしながら、バルドは心から安堵の息を吐き出した。
「……遅くなってすまない、マリール」
「……っ、旦那様……! 旦那様……!!」
優しい眼差しと声で言うものだから、マリールは感極まってバルドの胸に顔面をぐりぐりと擦り付ける。
どさくさにバルドの胸筋ぱふぱふを堪能するマリールに、サルムも「良かった~。平常通り!」と、安心して笑えば、エドナもほっと息をつく。
ついでにイクスもアエラウェの風魔法に包まれると言うご褒美に悶え、興奮していた。
「……騎士って変態しかいないわね」
「……一緒にしないでくれ」
汚物を見てしまったような顔で言うフレスカに、ガウェインが心外だと口にした。
その感動の再会を見て焦ったのはガルクス達だ。アエラウェの魔力を使い切らせる為にわざわざ長い時間閉じ込めたのに、余裕の表情で風魔法を操っている。しかもメルクの冒険者ギルド長や何かと口煩いイクス達まで来てしまった。
じり、と砂利を擦り後退さる音に、正気を取り戻したイクスとガウェインが剣を抜く。
「……ガルクス様。これはどういう事でしょうか?」
「詳しく話を伺いたい」
イクスとガウェインはガルクスよりも強い。ガルクスが勝てるのは生家の爵位と残虐性くらいだろう。苦手な騎士二人の鋭い眼差しに、ガルクスは無言で踵を返すと、部下を置いたまま走り出す。
「!?」
「ガルクス様!?」
「待ってください!!」
「煩いうるさい!! お前たちはそこで足止めしていろ!!」
「そんな……っ!?」
「くそっ」
自分達を置いて逃走するガルクスに呆気に取られたまま、下っ端の警備兵達はイクス達と剣を交える。だが頭であるガルクスが逃げてしまっては戦意も失せるというものだ。あっという間に剣戟の音は止み、五人の警備兵は一撃を入れられ倒れていった。
「ちぃっ! 足止めにもならんのか……!」
「逃がさないよ、ガルクス! ハウノの仇だ!!」
壁を走りガルクスを追うエドナが、ガルクスを捕らえようと鞭を振るう。だが植物の蔓で出来たその鞭は、寸でのところでガルクスの剣に切り払われた。
「待ちな……!!」
「待て! ガルクス!!」
出口へと差し掛かったガルクスは、このまま逃げ遂せると余裕が出来たのか、懐から結界石を取り出し掲げ、追ってくるエドナ達に向けて高笑いを上げた。
「ふはははははは!! お前達皆、ここで仲良く暮らせばいい!! 死ぬまでなぁ!!」
「くっ」
イクスが剣技を繰り出そうにも、前を走るエドナが邪魔で繰り出せない。もう数歩で部屋から完全に身体が出るというところで、ガルクスの頭上からカツリと音がした。
「!?」
見ればガルクスの掲げ持つ結界石に、小さなスティレットが突き立っている。
「――一人だけ逃げるなんて、ダサイわね?」
手の平に収まる石に刻まれた術式は拡大鏡で見なければ分からない程小さなものだ。その小さな術式の要部分の一文字に、スティレットは見事に刺さっていた。
フレスカの言葉と同時に結界石は割れて、スティレットと共に床へと落ちる。
「……っくそおぉぉぉぉぉがっ!?」
逃走を諦めないガルクスが勢いを削がずに踏み込むが、いつのまにか出口を塞ぐように土壁が生えていて、ガルクスは無様にも弾き返されてしまった。
何が起きたのか理解が出来ぬまま、ガルクスは尻餅をついたまま間抜けた顔で土壁を見上げる。すると土壁の上からひょこりと小さな頭が二つ、こちらを覗いた。
「じゃじゃーん! 俺達登場!!」
「やっほ~。マリーちゃん達無事かー?」
「ラルム! トート!!」
壁の向こう側から降りてくるトートとラルムにサルムが駆け寄ると、二人のホビットは「にしし」と笑って抱き止めた。
「トート! お前達おっぱい姉ちゃん追ってたのに!」
「あー、そうそれ! ヤバイとこ行っちゃってさ~」
「つか、ここどこの下?」
「その、モルガっつーおっぱい姉ちゃんの店だよ!!」
サルムの言葉に二人は目を丸くして、それからトートはがっかりしたように肩を落とした。
「まじか~……」
「ほらなー! 助け行かなくて正解だったじゃん!」
その背中をラルムが苦笑いしながら、励ますように ぽん、と叩く。
「モルガお姉ちゃん、どうかしたの……?」
いつの間にか自分達の近くに集まっていたマリール達の中に見慣れない獣人の子供がいて、ホビット達は首を傾げた。
「どしたの、この子?」
「薬草採取の依頼で孤児院の子で一人足りなかったでしょう? ルルナって言うの。落とし穴に落とされてたのよ」
「「ああ~!!」」
「ティーヨが言ってた、鍋真っ黒に焦がす子!」
「……っも、もう焦がさないもん! それより、モルガお姉ちゃんがどうしたの!?」
自分の知らない人に、知らない内に料理下手を暴露されていた。ルルナは、カァっと赤くなる自分の頬を無視して、トートとラルムに詰め寄った。
今は自分の恥よりモルガの方が心配だ。必死の形相で聞いてくるルルナに二人は顔を見合わせて、困ったように眉尻を下げる。
トートがルルナの目線に合わせて少し屈むと、ラルムも何時になく真面目な顔付きになった。
「――その、モルガ姉ちゃんさ、店に落とし穴作ってたんだろ? そんでルルナも落とされて、アエラウェさんもマリーちゃんも落とされてた」
「……うん」
「マルク達が言ってたぞ。他にもあの店から出て来なかった人居るんだって」
「ちが……!」
「それは本当か!?」
横でエドナやフレスカと共に絶賛ガルクスを締め上げていたイクスが、聞き捨てならないと話に加わってきた。
ホビット達が驚いてイクスの方へと目を向ければ、その背後ではガルクスは自慢の重鎧をすっかり脱がされて、裸同然でエドナの緑魔法で出現させた棘蔓縄によって縛り上げられている。
散々エドナに蹴られたのか、ガルクスの顔は目も当てられない程に膨れ上がっている。それをフレスカがナイフ投げの的にして遊び、日頃の鬱憤が溜まっていたのか、ガウェインが無表情で髪の毛をぶちぶちと抜いて、冑で蒸れて寂しくなっていた頭頂部がもっと寂しくなっていた。
何だこのカオス。と、ホビット達は若干遠い目をした。
コホン、と咳払いをして、トートが答える。
「俺達がおっぱい姉ちゃん追った先さ、どこだと思う?」
「貴族の馬車乗ってたから、どっかの貴族屋敷だろ?」
トートの言葉に、貴族屋敷以外に何かあるのだろうかと、サルムが首を傾げる。
だが、トートの答えは厄介なものだった。
「その貴族屋敷、三階建てだった」
「「「「「!?」」」」」
「予想通りね」
貴族屋敷で三階建ての建物は、この街の領主館しかない。その事実に、フレスカ以外の皆が渋い表情で黙り込んでしまった。
人を攫い海外へ輸出するならば港。大型船を所有していて、さらに荷を調べられないで済む。と、なれば、メルクに屋敷や別荘を構える貴族の中でも二家に絞られる。海に面した崖に聳える貴族屋敷の中のどちらかだと、フレスカは当たりを付けていた。
王家に連なる公爵家の別荘、そして領主館。主に外交拠点の領事館として使われているのは、メルク領主館だった。ゴルディア国の外交を、伯爵位しか持たないメルク領主が握っているのだ。
「そんでさ、トートがやたらおっぱい姉ちゃんの事気にするから、潜入するのに地下探ったら領主館の地下でさ、ガルクスが拷問してたんだよ。まじ胸糞悪かった!」
「ごうも……ん?」
バルドの胸に顔を埋めていたマリールが、ラルムの言葉に漸く顔を上げた。恐らくその拷問されていた人物を、今直ぐ助けなければと思ったのだろう。
「――ごめん、マリーちゃん。もう助けられないと思う」
トートは言い聞かせるように、マリールから目を逸らさずに告げた。手押し車に乗せられるほど小さくされた被害者は、マリールの薬でももう元には戻らない。
マリールはくしゃりと顔を歪ませて、泣き顔を隠すようにバルドの胸元に額を押し付けると、小さく肩を震わせた。バルドはマリールを少しだけ強く抱きしめると、マリールが落ち着くまでその背を優しく撫で続けた。
静かに泣くマリールを見ながら、トートは出来るだけ淡々と地下道で得た情報を伝える。そうでもしないと冷静さを忘れてしまいそうだったからだ。
「地下道は領主館と、多分警備兵の砦に真っ直ぐ繋がってて、途中でこの店の地下に繋がる道と、もう一本別れてた。ギーアが三つに別れてたって言ってたろ? それだと思う」
「……ガルクスの部下が拷問されてた人を手押し車に乗せて、別の道に行ったんだ。森に捨てに行くって言ってたから、多分、俺達が今朝行った森。スライムが丁度集まってるってさ!」
ラルムが憎々し気に、縛られたガルクスと転がる手下を睨みながら、吐き捨てるように言った。
こいつらに一体どれだけ罪もない人達が殺されたのだろうか。何故あんな、惨たらしい殺され方をしなくてはならないのか。唇を噛むラルムの手を、サルムがそっと撫でる。血が止まるほど強く握り締められた手を、ゆっくりと解してやった。
何時も悪ふざけて笑い合うホビット達が、ここまで悲憤に駆られている。バルドはハウノと商人、それにモーリスとギーアを思い出し、その残虐性を目の当たりにしたホビット達を憐れんだ。
「……ギーアが言っていたのは領主館の方だったのか。確かにあの裏側は山と繋がっている」
「てっきり商業ギルドだと思ってたねぇ……」
「でもおっぱい姉ちゃんの店とも繋がってたんだからさ、結果同じじゃね?」
「それはそうだけどねぇ」
なんだか釈然としない気持ちのまま、エドナは再びガルクスを蹴り始めた。完全に八つ当たりだ。ガルクスは殴られる度に「へぶっ」「へぶばっ」と、言葉にならない声を発している。
マリールはバルドの胸元から顔を上げ、乱暴に目を擦ると、下に降りたいとバルドの腕を叩いた。床にそっと下ろしてもらったマリールは、小さな薬瓶を鞄から取り出すと、とてとてとガルクスに近付いていく。
「!? マリーちゃん、勿体無いからやめなさい!」
制止するアエラウェを無視して、マリールはガルクスの口に丸い薬を押し込んだ。
「――飴、ですか?」
「なぜ、飴を?」
イクスとガウェインが突然のマリールの行動を訝しげに見守っていると、すぐに驚きの変化が目の前に現れる。
「な……」
「なんなんだ、これは……」
ガルクスの腫れ上がった顔も、ナイフが掠めた小さな傷も、棘蔓が刺さった無数の傷も、頭頂部以外全てがあっという間に治っていく。
かろうじて食いしばっていた頭頂部の毛根は、ガウェインに引き抜かれる前にもう力尽き、死んでしまっていたようだ。
治された当の本人さえも、驚きに目を瞠った。奇跡を起こしたマリールの持つ小瓶には、青黄赤の小さな飴のようなものが詰められている。
「――私が作ったお薬です。……これでモルガさんの事、喋れますよね?」
「薬だと……? その飴が!?」
「……あれ? てっきりご存知かと思ってたんですけど……」
だからマリールを攫おうとしたのだと思っていたのだが。どうやらガルクスは死者も蘇らせる薬を持つ子供の事は知っていても、マリールがそれを持っていて、しかもそれが飴のようだとは知らなかったらしい。
「「「「……マリーちゃん」」」」
「マリール……」
「嬢ちゃん……」
うっかりばらしてしまった事に、マリールは「てへぺろ」と言いながら舌を出して誤魔化した。
呆れて頭を抱えるアエラウェ達と、混乱しているイクス達とで、もう何が何だか訳がわからなくなっていたルルナの腹だけが、また「くぅぅ」と鳴った。




