プロローグ
ゴルディア国の都市のひとつ、港街メルクは二つの山に挟まれ、囲まれている。隣街のカロルクからはなだらかな平野が広がっていて、メルクに近付くにつれて山の峰がはっきりとわかるのだ。
居を構えるカロルクの中心部よりも、メルク寄りの土地に畑を持つ年老いた農夫は、息子夫婦と己の分の糧を育て、余った分はメルクへ売りに行っていた。
畑の世話と今日の分の収穫を済ませ、漸く一息つこうと曲げていた腰を伸ばせば、自分の身体の三分の一はありそうな大荷物を背負い、ぽてぽてと独りで歩く幼い少女が目に入った。
「お嬢ちゃん、一人でメルクまで旅をしてるのかい?」
「はい。メルクから船が出ていると聞いたので」
「……そうかい。それなら、わしが荷馬車で送ってやろう」
「え!? いえ、大丈夫です! お仕事の邪魔をしては申し訳ないですし……」
「何。丁度仕事もひと段落ついて、これからメルクに野菜を売りに行こうと思ってたんだ。ついでだよ」
農夫は子供が遠慮するなと笑いながら、さっさと荷馬車に土の付いた根菜やもぎたての瑞々しく熟れた結実を乗せていく。そうしてから御者席に座った農夫は、自分の隣を ぽん と叩き、少女に座る様に促した。
気の良い農夫に戸惑いつつも、少女は農夫の好意に甘える事にしたようだ。ずっと歩き放しで来たものだから、正直なところ農夫の申し出は有難い。まだ幼い少女には聊か背が高い御者席に何とか攀じ登り、照れたような笑顔で「ありがとうございます」と、礼を伝えた。
「さあ、出発だ。頼むぞ、ネルス」
農夫が優しく手綱をしならせれば、ネルスと呼ばれた老馬がゆっくりと歩き出す。
道の悪い畦道を木の車輪がついた荷馬車が進んでいくものだから、馬を操縦している農夫も、その隣に座っている少女も、車輪が小石や出っ張りに乗り上げる度に、身体が小さく跳ね上がる。
もう少し先に見える森を抜ければ、目的地の港街メルクへ辿り着く。少女は痛むお尻を我慢して、親切な農夫とネルスに感謝した。
一方、農夫は傷まし気に眉を寄せて、横に座る少女を盗み見る。こんなに幼い少女が、船に乗る為に独りで旅をするとは余程の事だろう。だが、農夫は詳しくは聞けずに口を引き結んだ。この少女の面倒を見てやれる余裕が無いからだ。聞いてしまったら、とても放って置けなくなるだろう。
農夫は後ろの荷台に手を伸ばすと、赤く丸い実を一つ掴み、少女に投げ渡した。
「ほれ。喉が渇いただろう? これでもお食べ」
「あ……ありがとうございます!」
ぽんと投げられた赤い実は、少女の両の手よりも大きい。小さな口で齧りつけば果汁が飛び散り、したたる程に瑞々しい。零れそうなゼリー状の液果を啜り、少女は目を輝かせた。
「おいしい……!」
「はは。そうかい、そうかい。世話が少なくてもこんなうまい実付ける野菜広めてくれたんだから、本当、『異界の迷い子』様々だよ」
今、少女が食べた赤い実は食虫植物を改良し、人が美味しく食べれるようにしたものだ。同じように水分をたっぷりと含んだ緑の結実も、根に栄養を溜め込み瘤のようになった根菜も、驚くべきことに全て元々は森深くに自生する食虫植物であった。遠い昔に他国に現れた『異界の迷い子』が、人々に伝えてくれたものだ。
「良ければ少し持ってくと良い。荷物を増やして申し訳ないがね」
「良いんですか!?」
「ああ。旨そうに食べてくれた礼だよ」
「ありがとうございます……! じゃあ、私からもこれを!」
少女は貰った野菜を鞄にしまうと、代わりに小さな瓶を取り出した。大人の指一本分程の高さがある小瓶の中には、青とも緑とも言える色をした小さな飴玉が、ぎっしりと詰まっている。
「……飴かい?」
「咽が痛い時や具合が悪い時に飲むと効く、お薬です!」
「……なるほど、そりゃ凄いな。けど良いのかい? お嬢ちゃんのとっておきだろう?」
薬と言われて思い浮かべるのは、やたらと苦くて不味いくせに値段が馬鹿みたいに高いポーションだ。少女が飴を薬だと思い込んでいるのは、薬を買ってやれないこの少女の親が、辛い時にせめて飴を舐めて落ち着くようにと持たせてくれたのだろう。それでも少女にとっては大事な飴の筈だ。それを野菜の礼にと差し出す健気な少女に、農夫はツンと鼻の奥に痛みが込み上がる。
「大丈夫です! ほら、こんなにあるんです。でもこれ、薬術士組合で販売許可が下りなくて……。そんなもので申し訳ないんですけど……」
鞄から両手で色違いの飴が詰められた小瓶を取り出して見せてから、少女は申し訳なさそうに眉尻を下げる。だが農夫は逆に、それを見て眉根に皺を寄せた。なるほど。子を思う親ではなく、こんな何も知らない子供に売れもしない飴を薬と偽り持たせて、一人行商へと放り出すクズ親だったのか。子は親を選べないと言うが、何と哀れな事だろう。
農夫は再び荷台へ手を伸ばすと、少女に持てるだけの野菜を渡してやった。せめてもの手向けだ。
「……なら、これとこれも持ってきな。野菜と交換だ」
「わ、こんなに……! ありがとうございます!!」
嬉しそうに野菜を鞄にしまう少女を見て、農夫は益々心配になる。素直で無知過ぎて、悪い奴らに騙されてもほいほいと付いて行ってしまいそうだ。特に今向かっているメルクはここ最近、以前にも増して気味の悪い噂が流れていた。
「……メルクは港町だからなぁ。人も多いから気をつけなきゃならないよ? 悪い噂も沢山あるから」
「悪い噂?」
「ああ、なんでも――」
農夫が言いかけたところで、急に荷馬車を引いていた老馬が嘶き歩みを止めた。今まさに入ろうとしていた森の中で、沢山の人が何やら争っているようだった。遠くに聞こえる、馬の暴れて鳴く声も尋常ではない。
「しまった、盗賊か!? すぐにここから離れ……あ、こら!」
農夫が手綱を引き、馬の鼻先を横にずらして進路を変える。だが少女は、ぴょん、と御者席から飛び降りると、驚いて操縦にもたつく農夫が止める間もなく森に入って行っしまった。
森の木々や下草に隠れるように、少女は腰を落とし頭を低くして、ゆっくりと騒ぎの元へと近付いて行く。幌が張られた荷馬車を目視できる程近付いた頃には、先程まで森に響いていた争う音は止んでいて、苦しそうな呻き声だけが、弱々しく少女の耳に届く。
「まだ生きてる……」
警戒しながらも呻き声に近付いてみれば、幌付きの荷馬車は、先程まで少女が乗せてもらっていた荷馬車の数倍も大きなものだった。
荷馬車を引く為に繋がれているのは四頭の脚の太い大きな馬で、その内の一頭は後ろ足の腱を切られたのか、失った均衡を保とうと頻りにひょこひょこと動きながらも、無事な三本の足で大きな体を支えている。さらにもう一頭は喉を裂かれ、大きな体を地面に横たえ事切れていた。
少女は翡翠色の瞳を揺らし馬達から視線を逸らすと、馬達を刺激しないように、荷馬車の後部から呻き声のする方へと、慎重に近付い行く。
そこには少し身なりの良い者が一人。従者の姿が三人。護衛らしき装備を身につけた者が一人。皆が苦し気に呻き声をあげる中、従者の二人は呻く事も無く、ぴくりとも動いていなかった。
それもそうだろう。一人は光を失った瞳を開けたままで、もう一人は喉から下が胴体に繋がっていないのだから。
少女はぎゅっとその小さな唇を噛み、まだ息のある者へと視線を巡らせた。そして負傷者の中でも特に重症そうに見える、身形の良い――恐らく、この馬車の持ち主であろう商人の傍にしゃがみこむ。
商人は木の幹に背中を凭れさせ、両足を投げ出して座っている。切られた腹からは、もうすぐ命を落としそうな程に、ドクドクと血が流れ地面を黒く濡らしていた。
人の気配に救いを求めて視線を向けた商人は、自分のすぐ側に見知らぬ小さな少女がしゃがみこんでいるのに気付く。
助けを呼んで欲しいと商人が口を開きかけた時。少女は肩に掛けたポシェットから青い飴玉の入った小瓶を取り出し一粒つまむと、にっこりと笑い、こう言った。
「お薬いかがですか?」
死に掛けの商人は差し出された飴玉を、絶望に染まる瞳に映すのだった。
*この先ご注意ください。
腐表現有・残酷な描写有・少しお下品かもしれません。
誤字脱字多いです。
絵がたまに出てくるかもしれません。
治療の記述が出てきますが、鵜呑みにしないでください。
お見苦しい点が多々あるかと思いますが、どうか暖かく広いお心を持って暇つぶしに読んで頂けたらと思います。
宜しくお願い致します。