2.
どうにか反省文を書いて、職員室にいる紗月先生を一人で訪ねる。
「これでいいかしら?」
「よくないっての。なんだよ、この小学生みたいな漢字の書き取りは?」
結局反省の弁なんて出てこないので、漢字の単語をずらずらと紙いっぱいに書いてきたのだ。
「すごいでしょ? 憐憫なんて書けるのよ、私」
「すごいすごい。漆黒とか煉獄とか中二病が好きそうな単語が並んでるよな?」
「わ、私は中二病なんかじゃないわ」
「でも青春真っ盛りな中学生だ。教室で服脱ぎだすとか何やらかすかと思ったぞ」
「え? 見てたの?」
別に女に裸を見られるのはいいけど、青春呼ばわりされるのは真っ平だ。
「見てない。聞いてただけ」
「盗み聞きなんて、聖職者のくせにいい趣味だわ」
「聖職者だから生徒に対して責任があるんだよ。清須はいい子だけど、お前は何しでかすかホントに訳分かんないからなぁ」
じとーっと見てくる。
別に教室で服を脱いだだけじゃない。
「私は常に自由なのよ」
「自由ねぇ。お前の場合、自分に縛られてるってかんじだけど」
「そんなことないわよ?」
「自分で自分のことがよく分かんなくて、ちょっぴり息苦しい。そんなことないか?」
図星。
「そんなことないわ。私は自分を完全にコントロールしてるから」
「嘘付け、自分を完全にコントロールしてる奴なんて、大人の中にもそうはいないんだぞ?」
「そうなの?」
「当たり前だ。これはただの浮気だって、頭の中ではちゃ~んと分かってるのに、気付いたらぶん殴ってたりな」
「それはあなたの話よね?」
「まぁね、前の前のカレシだ。あ、くそ、思い出しただけでムカついてきた」
「あなたも大概ね」
教師のくせに、元カレの浮気話を生徒にするだとか。
「誰だってそんなもんだ。もっと気楽に行けよな」
立っている私の腕をぼんと叩いてくる。そこそこ痛い。
「あなたもたまには教師らしいことを言うようね」
「常に、だ。私は常にいい教師だ」
「じゃあ、ちょっと聞いてもいいかしら?」
声が上ずってしまったのを気取られたか。一口コーヒーを飲んでから、紗月先生が少し真面目な顔でこっちを見る。
「なんだ、なんでも言ってみろ」
「女子と男子でも、ずっと友だちでいられるわよね?」
声が震えてしまった。
「それは分かんない。ホントにケース・バイ・ケース」
イスに座ったまま大きく伸びをする紗月先生。
「役に立たないわね」
せっかく頭を垂れて教えを請うたのに。
「どっちみち、形にこだわっちゃダメだと思うんだよね。清須と友だちでいたいってのは分かるけどさ、ホントに友だちって関係じゃないとダメなの? ってな。仲がよくてそのまま恋人に、なんてよくある話だよ?」
「そんなのイヤだわ。私はずっと友だちがいいの」
うなだれしまう。
「どのみち相手のあることだしな。二人で探りながら前へ進んでくといいぞ?」
「憂鬱だわ。全部あいつが悪いのよ。いくら私が美人だからって……」
「ま、美人てだけじゃないだろ、お前は?」
「え?」
「メンドくさい奴だけど、長く付き合うと分かる。お前はかわいい奴だよ」
などとウインク。
私は思いっ切り顔が火照ってしまう。
「お、女に口説かれてもちっともうれしくないわ」
「そんなけ減らず口が叩けてる間は大丈夫だ。気楽に気楽に、な。はいよ、愛する清須クンからの大切な贈り物だ」
紗月先生が机の上にあったハンカチを開いたら例のネックレス。
「そんなんじゃないわ。これはただの友情の証なんだから」
私はにんまり笑顔を浮かべながらありがたく受け取る。
「お前、ホントにかわいいなぁ~」
ご機嫌な紗月先生がほっぺをぷにぷに指先で突いてくる。
私は先生の手を逃れると、べぇっと舌を出してから職員室を後にした。
そして昇降口で待たせておいた吟太郎と一緒に帰る。学校を出ると同時にネックレスを付ける私。
「そんなに気に入ってくれて、俺もうれしいや」
「まぁね。でも、あくまで友情なんだから。そこは絶対に誤解しちゃダメよ?」
「分かった分かった」
本当か? 今いち信用できない。
商店街に入ったところで、桜餅を頬張りながら歩いているウヅメに遭遇した。
「歩きながら食べるなんて行儀が悪いわよ」
それは美しくない行為だ。
「いいでしょ、別に。桜餅の食べ納めがしたかったんだよ」
「あ、そうだ。ウヅメに話があるのよ。吟太郎は先に帰りなさい?」
「はいよ。じゃあな、お二人さん。薫子は明日の朝こそ、すぐに出てこいよ」
「それは約束できないわね」
肩をすくめて吟太郎は帰っていった。
「で、何? 話って?」
「そうね、こんなとこじゃ何だし、私の部屋へ来て頂戴」
と、私の部屋へ。
「相変わらず乙女な部屋だ」
「うるさいわね、人の趣味にケチを付けないでよ」
ピンクの絨毯も花柄が施されたチェストも私のお気に入りなのだ。
「で、何? 吟太郎には聞かれたくないようなメンドくさい話って」
メンドくさいは余計だって。
「そうね、今朝も言ったけど、吟太郎の様子がおかしいのよ。私にヨコシマな感情を抱いているの」
「ムラムラ?」
「ムラムラも込みね。恋愛感情なんてのを抱きかけてるわ、あのバカ」
「別にバカってことはないんじゃないの? 中学生なんだし、恋の一つくらいするでしょ? 私はよく分かんないけど」
と、桜餅を口に入れる。大事な話をしてるのに食べるのはやめろ。
「私はイヤよ。三人の友情が壊れるなんて絶対にイヤ」
「あれ? 私も込みなの? あんたと吟太郎の話でしょ?」
「そんなわけないわ。もし仮に万が一何かの間違いで私と吟太郎がお付き合いすることになってごらなんさい、あなたは一人ぼっちになってしまうわ」
私はそんなのイヤだった。ウヅメだけ除け者なんてかわいそうすぎる。
「別にいいよ、私は」
「え? なんで?」
「だって私は元々は一人だもん。薫子の面倒を見ないといけないから、あんたらとつるむことになっちゃっただけでさ」
「え? じゃあ、嫌々なの? 嫌々私たちと一緒にいたの?」
私は友情を感じていたのに、ウヅメはそうじゃなかった?
「さあ、どうだろ? あんたらといるのは確かに楽しいし、別に嫌々て訳じゃないよ? でも、別に一人でもいいや。私には乙女ゲーがあればいいのさ」
「え? 私たちは乙女ゲー以下?」
「どうだろうねぇ。まぁ、違ったふうではあるけど。だから、私のことなんて考えずに、付き合うことになれば付き合えばいいよ」
「それって、私たちにヘンな遠慮してる?」
思わず声が大きくなる。とんでもない思い違いをしている、こいつは。
「遠慮じゃないよ。逆に、私に遠慮して付き合わないとか、そんな面倒なのは勘弁って話」
「面倒って……」
私はどんどん不安になってくる。
私がこいつらに対して抱いていた友情は、私だけが思い込んでいただけのものなの?
吟太郎は下心、ウヅメはホントはどうでもいい、そんないい加減な気持ちで私と一緒にいた?
「あ、ヤベ、泣いちまった」
悔し涙を流し始めた私のことをそういうウヅメは、やっぱりメンドくさそう。
「もういいわ。帰って頂戴」
「え? いいの?」
「帰って頂戴!」
「分かった分かった、帰るよ。また話聞いてやるから、いつでも言いなよ」
ウソつけ、本当は面倒なくせに!
鬱々としたまま夜を迎えた私は、ちっとも眠る気になれなかった。夜は早く寝ないと美容によくないのに……。
こんな悩んでばかりなんて、私らしくないに決まっていた。吟太郎を呼び出して、はっきりさせよう!
「今すぐ私の家へきなさい? 吟太郎」
『はぁ? 明日じゃダメなの?』
「ダメ、今日決着を付けるの。でないと、私の美容に差し障りがあるの」
『分かった、よく分かんないけど行くよ』
あ、今の私は寝間着のワンピースだ。……発情しているあいつと向かい合わせになるのに寝間着はマズいな。デニムパンツでしっかり防備しなくっちゃ。
「お前な、呼び出しておいて外で待たせとくとか何なんだよ」
「うるさいわね、乙女は準備に時間がかかるものなの」
「じゃあ、準備が終わってから呼び出せよ」
「男のくせにグダグダ言わない」
とにかく部屋へ上げる。
「お前の部屋ってなぁ、なんか落ち着かないんだよな」
「なんでよ。人の趣味にとやかく言わないでよ」
この部屋のコーディネートは私のお気に入り。
「いや、そうじゃなくて……」
「何よ?」
「いや、その……いい匂いがしすぎるんだよなぁ、お前の部屋って」
「ちょっと待ちなさい?」
私はキャビネットの中からスプレー缶を取り出す。
「何それ?」
「アメリカ製の防犯スプレーよ。ちょっとでも私にヘンなことしてみなさい。飛びっきりスゴいのをお見舞いしてやるわ」
「ヘンなことって、友だち相手に何するってんだよ」
友だち? 本当にそのつもりなの?
「でも吟太郎は私を抱き締めたわ」
「い、いや、あれはお前が誘ってきたんだろ?」
「誘ってなんてないわ。ドキドキさせてみてって、ちょっと頼んだだけよ」
「その辺がもう訳分かんないんだよな。なんかお前、好きでもない男子にドキドキするんだって?」
「そうね、ただの男子なのに時々、なんか、男子なのよ」
「訳分かんねぇ」
吟太郎が私の用意したスナック菓子に手を伸ばす。当然のことながら、私はこんな時間にそんな物を口になんてしない。
「私は好きでもない男子にドキってする。あなたはどうなのかしら? 好きでもない私にムラムラしてるの? それとも、友だち相手に恋心なんてとんでもないものを持ってしまったの?」
「いや、ムラムラはしてないぞ?」
「でも、昼間は教室で、私の下着姿をガン見したわ」
「いや、まぁ、その……」
ロクに言い逃れもせずに視線をさまよわせる。吟太郎のこういう不器用なところが気に入っているけど、今はイラってくるだけだ。
「そもそもホワイトデーの時だって、キスを企ててきたしね。吟太郎は私相手にムラムラする。まずはそれを認めなさい?」
「いや、まぁ、その……。確かに時々ムラムラする?」
「やっぱりだ!」
とっさに私はスプレー缶を手に取る。
「やめろやめろ! 仕方ないんだって! 中学生男子はそんなもんなんだって!」
「む、むぅ……。気に入らないわ。いくら友だちだからって、同年代のエロい視線なんて耐えがたいものなのよ?」
商店街の中に時々いるロリコンの視線も耐えがたいけど。
「そりゃまぁ、そうだろうな? これでも精一杯自制してますよ?」
「で、そこで終わりなのかしら?」
「終わりっていうと、その……」
「私に恋心を持っている?」
だとしたら許しがたい。私が抱いている友情を裏切ることになるのだ。
「どうだろうな……」
うなだれる吟太郎。
「はっきりしないわね、自分のことでしょ?」
「分かんないんだよなぁ……最近よく考えるんだけど……。ホワイトデーの時、ネックレスを買ってやったよな?」
「ええ、義理チョコのお返しにね」
「買ってすぐ付けてみせたお前を見て、なんか、ドキってしたんだよ」
「それは私のドキッと同じなのかしら?」
好きでもないのにドキッてするだけ?
「そもそも薫子のドキッがよく分からないんだけど。……俺のドキッも何なのかさっぱりで。その辺からなんか、おかしいんだよなぁ……訳分かんねぇ……」
「そんなの、自分のことなんだから分からないなんてあり得ないわ」
「う、まぁ、そうかな……」
自分で言っておきながら、私ははたと気付いた。
私だって、自分がなぜ好きでもない男子にドキッてするのか分からない。いくら考えてもだ。
私たちのお年頃ってそういうものなの?
いや、にしたって、吟太郎の気持ちははっきりさせないといけない。でないと私がイヤだ。
でもどうやって……。
「胸を触らせる?」
「えっ!」
「キスをしてみる?」
「ええっ!」
「ダメね、それじゃあムラムラとの区別が付かないわ」
「なんだ……」
腰を浮かせていた吟太郎が腰を落とす。やっぱりこいつのムラムラはとんでもない。
「あのね、吟太郎。私って前の中学の時に、一度だけ男子とお付き合いしたことがあるの」
「へぇ! それは初めて聞いたな」
ジュースを口元に運んでいた吟太郎が動きを止める。
「いい思い出じゃないから黙ってたのよ。私はこれだけの美人だから、昔からモテる女子だったわ。いつも男子が群がってきた。ただの凡人なんて興味のない私はそういう男子がひたすらウザかったわ」
「ま、お前だったらそうだろうな」
「そんな中、ちょっとマシな男子が告白してきたの。頭がよくて、大人びていた。バカな男子には興味のない私だけど、お付き合いにはほんのちょっぴりだけ興味があったの。常に孤高の美人たる私の孤独が癒やされるかもしれないって、ほんのちょっぴりだけ思ったのよ」
「へぇ、意外だな」
「だから、お付き合いしてくれっていう申し出を受け入れた。私たちのお付き合いが始まったわ。でも、すぐに別れた。次の日よ」
「早っ!」
「大人びていたし、マシな男子だと思っていた。でも、そいつは私の見た目しか興味がなかったの。かわいい、きれいだ、そう言うんだけど、私がほんのちょっぴりワガママを言ったら、本気でイヤそうな顔をしたのよ」
「まぁ、薫子のワガママはほんのちょっぴりどころじゃないだろうけどな」
「こいつは私自身を好きなわけじゃない。そう気付いて、ヒドく傷付いたの。だから別れた」
「別れようって言ったわけか」
「違うわ。ビンタ、金的、首相撲からの顔面に膝、のコンボよ」
「無茶苦茶だな」
「そうして私は前以上に孤高の美人として生きていくことにしたの。あなたたちと友だちになるまでね」
「そっか……」
私は真面目な顔をした吟太郎を見つめた。向こうも視線を外さない。
「恋愛なんてロクでもないわ。ましてやそれで友情が壊れるだなんて。だから吟太郎、私に恋心なんて持たないで。私はそんなの絶対にイヤだから」
「悪い、薫子」
「え?」
吟太郎の視線はイヤなものになっていた。温かくって優しくって愛おしくって、とてもイヤなものだ。
「俺、お前が好きだ。今気付いた」
「今!」
思わず目を剥いてしまう。
「お前の話を聞いていて、ああそうか、俺はこういう微妙に揺れ動く心を持つ薫子が好きなんだ。そう気付いたんだ」
「なんてこと!」
思わず床に両手をついてしまう私。裏目? 裏目なの?
「あのな、薫子。俺はお前を傷付けたりしないから、だから……」
「それ以上は言わないで!」
絨毯にシミができていくのを見て、私は自分が涙を流していることに気付いた。
「薫子……」
吟太郎が腰を浮かせる。
「それ以上近付いたらスプレーよ!」
私の声は情けなく濡れていた。
「わ、分かったって」
「ううっ、くぅ……、なんで……なんで好きになんてなっちゃったのっ!」
「悪いよ、でも、どうしようもないんだ。自覚しちまったらもう……」
「もう私たちは、友だちじゃいられなくなるのよっ!」
「そんなことないだろ?」
「え?」
涙に塗れた顔を上げる。美人の私はこんな顔を人に晒したりなんてしちゃいけないのに。
「いや、結局は今までどおりの友だち付き合いなんじゃないの?」
「そうなの? でも、吟太郎は私が好きなんでしょ?」
「ああ」
「私とお付き合いしたいんでしょ?」
「まぁ、な」
「じゃあ……」
「でも、お前は俺と付き合うのはイヤなんだろ?」
「そうよ、私は友だちでいたいの」
「じゃあ、仕方ないよな、俺たちは付き合えない。今までどおり、友だち付き合いするしかないよ」
「ええ? あなたはそれでいいの?」
首を傾げてしまう。
「仕方ないよ。お前と離れ離れになるのは、もっとイヤだしな」
「そっか……そうなのね……」
ゆっくりと身体を起こす私。
「そういうこと。これからもよろしくだ。俺は若干残念だけどな」
「よかった……ねぇ、吟太郎」
涙を腕で拭う。
「何だ?」
「一発引っぱたいて、いいかしら?」
「お、お好きなように」
目を閉じた吟太郎が顔を差し出してくる。
「私を好きになるだなんて、百万年早いのよっ!」
ばちこーんと引っぱたいてやった。
翌朝、家の裏口を開けると、いつもどおり友だちが二人待ち構えていた。
あいさつを済ませて学校へ向かう。今日は歩いても間に合う時間。
「なんか顔がヘンじゃね、薫子?」
ウヅメに顔がヘンだなんて言われるのはかなり不本意だ。
「昨日はよく眠れなかったのよ。吟太郎が私のこと、好きだなんて言ってきたからね」
「お、おい、薫子!」
吟太郎が慌てふためく様を冷たい視線で見つめてやる。
「それであんたはいいの?」
ウヅメが優しい声で気遣ってきた。
そうか、こいつだって私のことを本気で心配してくれていたのかも? 素直じゃない奴だし、こいつにしても自分が抱いている友情をよく分かっていないのかもしれない。
「どうでもいいわ。よくよく考えたら、吟太郎ごときの恋心なんて、ホントにどうでもいい話なのよ」
「へぇ、まぁあんたらしいや」
「吟太郎にひとつ言っておくわ」
「なんだよ」
立ち止まった私は両手を腰に当てる。
「吟太郎が私をどう思っていようが関係ない。なぜなら私は、ぜぇぇぇっったいにっ! 吟太郎を好きになんてならないんだしねっ!」
笑顔満開で言ってやると、吟太郎は情けなく肩を落とした。
「それはよく分かっております」
「げらげら、吟太郎の奴、滅茶苦茶ヘコんじゃったぞ、薫子」
「くだらない話はそれまでよ。遅刻する前に学校へ行きましょう」
私は先頭を切って歩きだす。
いつもどおり、赤い石のネックレスを胸先で光らせて。




