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ある日の『上葛城商店街』  作者: いなばー
お返しの価値は(吟太郎)
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お返しの価値は

 俺、清須吟太郎は頭が痛かった。

 バレンタインに内染薫子からチョコを貰っていたので、ホワイトデーにお返しをしないといけないのだ。

 でも、美人に何を上げればいいのか分からない。


 「友だち同士で、初詣(宇都女)」を踏まえた話です。

 それを読んでおけば大体の人間関係は分かると思います。



●登場人物

・清須吟太郎 : 酒屋の息子、登場作「ある日の『上葛城商店街』」

・内染薫子 : ランジェリーショップの娘、登場作「ある日の『上葛城商店街』」

・天笠宇都女 : 化粧品店の娘、登場作「ある日の『上葛城商店街』」

・清須二郎 : 酒屋の店員、登場作「ふくれっ面の跡取り娘」

・森田咲乃 : 八百屋の娘、登場作「和菓子屋『野乃屋』の看板娘」他多数

 俺、清須吟太郎はここ数日ずっと頭が痛い。

 部屋でうなっていると、叔父が顔を出してきた。


「おい、吟太郎、もうすぐ夕飯だぞ」

「あ、二郎さん。そうか、二郎さんだ」


 今の苦しみから逃れるため、このいかつい叔父の助けを借りよう。


「ん? どうした?」

「あのさ、二郎さんの奥さんの小夜さんて美人だよな?」

「おうとも、小夜は美人妻だぜ?」


 自慢げな顔の叔父は部屋に入ってくると、床にでんと腰を下ろした。


「チョコのお返しって、いつも何にしてる?」

「チョコ? ああ、ホワイトデーか。毎年酒だな。今年は吟醸酒にするつもりだ」

「酒か~。役に立たねぇ……」


 がっくりとうなだれる。


「役に立たねぇとは何だ? お前はいつもどおり、買い物だとか片付けだとかの手伝いでいいだろ?」

「まぁ、小夜さんはね。小夜さんはそれでいいんだよ」


 見た目穏やかそうなのに、やたらと人使いが荒くて参るんだけど。


「ほほう、じゃあ、他に気になる人からチョコを貰ったとかいう話か?」

「気になる? 気になるっていうか、気掛かりっていうか、メンドくさい奴なんだよ」

「誰だ?」

「内染薫子。あの下着屋の娘」


 去年の八月に引っ越してきた同学年だ。


「ああ、あの子はメンドくさいらしいな。でもいいじゃねぇか、あれだけの美人にチョコ貰えたんなら。どうせ義理だろうけど」

「義理は義理だよ。『どうせ吟太郎は誰からもチョコを貰えないだろうから、友だちの私が慈悲の心でチョコを恵んであげるわ』だとさ」

「へぇ、で、結局全部で何個貰ったんだ、チョコ?」

「小夜さん入れて六個。他の女子はいいんだよ、クッキーとかそんなんでさ。でもあの厄介な女をどうしたもんだか。同じ美人の小夜さんなら参考になると思ったのになぁ」


 椅子に座ったまま伸びをする。ホント、どうしたもんだか。


「美人はこの際関係ないと思うけどな?」

「そうなの? 美人とただの女子は全然違う生き物なんでしょ? お返しも当然美人にふさわしいものにしないと」

「ん? 美人とただの女子が違う生き物だとか、誰が言ってたんだ?」

「内染薫子」

「はぁ、厄介な娘さんだなぁ」

「そうなんだよ、厄介な娘さんなんだよ」


 ホント、メンドくせぇ奴なんだよな……。




 次の日の放課後、家がやっている酒屋の手伝いでビールの配達をしていると、八百屋の娘さんと出会った。あ、これはチャンスかもしれない。


「こんばんは、咲乃さん」

「こんばんは、吟太郎君。お手伝い、熱心だね?」


 森田咲乃さんがにっこりと微笑んでくれる。

 商店街で一、二を争う美人は相変わらず輝かんばかりの美貌。ちなみに二郎さんは彼女の親衛隊に属している。


「あの、ちょっと聞いていいですかね? 咲乃さんて、ホワイトデーに何貰ったらうれしいですか?」

「別に何でもいいよ。何でもありがたく頂戴するね」

「あ、やっぱりお返しするって気持ちが大事なんですね?」


 だったら気楽に決めようか。


「ううん、私がチョコ上げたっていう事実はとてつもなく価値があるんだよ。後からいくらでも言うこと聞いてくれるようになるから、当面のお返しは何でもいいの」

「いくらでも……ですか?」

「去年だと、単位の融通をしてもらうとか」

「それって……不正じゃないんですか?」

「大丈夫、私はほのめかしただけだから」


 などとウインク。

 タチが悪いと評判の彼女のことだから、うまく立ち回ったに違いなかった。


「そうなんだ、美人からチョコ貰うってのは、そんなにも重いんだ……」

「どうしたの? あ、もしかして薫子ちゃんからチョコ貰ったり?」

「そうなんですよ。何の気まぐれか、義理チョコなんて寄こしやがってですね。メンドくさいったらないんですよ」


 深く深くため息をついてしまう。


「薫子ちゃんが相手だと、ちゃんとしたいいお返しがあるよ」

「ホントですか?」


 さすが咲乃さん、頼りになる大学生だ。


「抱き締めてキス。これで決まり」


 力強くうなずく。


「キ、キス? そ、それはどうかなぁ。だって義理チョコですよ?」

「義理チョコなんてあの子が寄こすわけないじゃない。照れ隠しで義理なんて言ってるだけで、ホントは本命なんだよ」

「マジですか? 薫子が? 俺のことを?」

「そうだよ。よかったね、あれだけの美人に惚れられちゃった」

「う、うーん……」


 素直に喜べない。

 確かに彼女は欲しいが、あんなメンドくさい女は正直勘弁だ。

 友だちとしてフォローするだけで滅茶苦茶大変なのに、付き合うことになったらどれだけ振り回されるか……。


「ああいう子って普段ツンケンしてるけど、二人きりになるとデレデレだから。すごくかわいいよ」

「そ、そうなんですかね?」

「あの子、押しに弱いから頼んだら何でもしてくれるしね」

「何でも? 何でもって?」

「そりゃあ、何でもだよぉ」


 ニヤニヤ笑い。マジで!

 そう言われると心が揺らぐ。

 普段とは違う一面を俺にだけ見せてくれる?

 何だかんだであいつはとんでもない美人だ。それがデレデレになって、何でもしてくれる? 何でも!


「そ、そうなんだ……」

「ま、頑張りなよ。抱き締めてキス。それであの子はキミのものだから」


 軽く肩を叩いて咲乃さんは去っていった。




 ホワイトデー当日。俺は目を覚ました時からニヤニヤが止まらなかった。


「吟太郎、キモいよ?」


 同じ商店街に住む同学年、天笠宇都女が言ってくる。

 今二人は下着屋の裏口で、薫子が出てくるのを待っていた。毎朝のことだがあいつは呼び出してもしばらく出てこない。


「そうか? 悪い悪い」


 しかしニヤニヤは止まらなかった。

 ウヅメの冷たーい視線を気にする俺ではない。


「まぁ、いいけど。今日ホワイトデーだけど、薫子にお返しするんでしょ?」

「おう、ちゃんと考えてるぜ」


 ちなみにウヅメはくれなかった。毎年のことだし、別にいい。


「はぁ、あいつも何考えてるんだかねぇ、義理チョコなんて柄じゃないでしょうに」

「いろいろと思うところがあるんじゃないの?」


 俺への想いが募っていたわけだ。意外にかわいいところがある。


「まぁそうかも。自分を試してみたんだろうね」

「自分を試す?」


 よく分からないことを言ってきた。

 ウヅメを見ると、どことなく憂鬱そう。


「あいつってロクでもない奴だけど、それでも十四才の女の子なんだよ」

「まぁ、そうだよな」


 だから恋心なんてのも抱いたわけだ。


「自分が何を考えてるかよく分からないらしくってさ、好きでもない男子にドキドキしたり」

「好きでもないのに?」

「そう。あんたにもドキドキすることがあるらしい。好きでもないのに」

「好きでもないのにねぇ」

「そう。だから試したんだと思う。あんたにチョコあげてさ、自分がどう感じるのか。なんともないのか? ドキドキするのか? それとも……」

「それとも?」


 と、がちゃりと扉が開き、薫子が出てきた。

 こいつが着ているのは前の学校のブレザー。

 転校してきてもう半年以上経つのに、頑なに今の中学のセーラー服を着ようとしない。

 そういうところからしてこいつは訳が分からなかった。


「おはよう、薫子。遅いぞ」


 ウヅメが抑揚なくあいさつをした。


「毎朝文句を言わないで。さ、行くわよ。遅刻しちゃう」


 薫子はちらりと俺の顔を見ただけで、さっさと前を歩き始める。

 こいつ、ホントは何を考えてるんだ?




 俺と薫子は同じクラスで隣同士の席。

 なのに今日に限って二人で話をすることはなかった。

 話しかけようとすると、うまく避けられてしまう。

 そして放課後。


「よう、薫子、今日は二人で帰ろうぜ」

「ウヅメは?」

「別に帰らせる。もう連絡してるし」

「そう」


 薫子は立ち上がったが、ずっと俺の顔を見ない。

 そして二人並んで商店街を目指す。

 俺たち二人が一緒にいても、周りの連中は冷やかしてきたりはしない。

 俺は薫子のお守り役。今さら付き合うだなんて誰も思わないのだ。

 学校を出てしばらくしてから話しかけた。


「なぁ、薫子。俺以外にもチョコ上げた奴っているの?」


 向こうは相変わらずこっちを見ない。


「いいえ、お父さんと叔父さん以外には吟太郎だけよ」

「そうなんだ」

「光栄に思って頂戴ね。身内以外にチョコ上げたの、あなたが初めてなんだから」

「それは光栄だ」


 やっぱりあれは、特別なチョコなのだ。


「どうせ誰からも貰えないだろうと思って恵んであげたのに、結構貰ってたわね?」

「うん、他に四人だな。俺って親切な奴だから、お礼でよく貰うんだよ。全部義理」

「へぇ、そうなのね。どうせそんなことだろうと思ったわ」


 少し声が弾んだように聞こえたので見てみると、口元を綻ばせている。


「義理チョコでも渡す時ってドキドキしたりするもんなの?」

「そうね……」


 ふっと上を向いて、何やら思案げな顔をした。


「したわね。吟太郎ごときにおかしな話だけど、ちょっとだけドキドキしたわ」

「それってもしかして?」

「他の女子が吟太郎に渡したのを見たらムカってきたし。何なんだろう、よく分からなかったわ」

「つまりそれはさ」


 俺が横から口出ししても、薫子は聞こえていないように一人で話し続ける。


「自分で自分が何を考えてるのかよく分からない。何日も悶々としてたら、あろうことかニキビができたのよ!」


 いきなりくわっと顔を近付けてきた。

 整った顔が間近に迫って思わずのけ反る。

 薫子はすぐにまた前を向いた。


「慌てて化粧品店に行ったわ。あそこの紀子さんはお肌のスペシャリストだから。そしたら紀子さんは私が悩んでるってすぐに分かってくれた」

「肌だけじゃなくてメンタルの面倒も見てくれるんだ?」


 紀子さんはウヅメの母親だ。


「紀子さんは中学生の頃、シャイな女の子だったらしいの。クラスの男子と話をするだけでドキドキしてたそうよ。でも、大人になるにつれ、そういうドキドキはマシになっていったんだって」

「じゃあ、お前もそのうちマシになるんだ?」

「だから深刻にならなくてもいいの。ただ、そうやって悩むのは今だけなんだから、存分に悩むべきだって言ってたわ。そうしたら、私は今よりもっと魅力的な女性になるらしいの」

「今が魅力的なのかは疑問だけどな」

「ねぇ、吟太郎?」


 薫子が立ち止まり、くるりとこっちを向いた。

 俺も立ち止まって薫子と向かい合う。


「吟太郎、私をもっとドキドキさせてみて?」


 頬を赤く染めた美しい少女が、俺にそう語りかけてくる。

 俺が前に踏み出しても向こうは退かない。

 澄んだ瞳で間近の俺を見つめる。

 俺は目一杯背を伸ばし、自分より背の高い女の子を抱き締めた。


「どうだ? ドキドキするか、薫子?」

「うん。吟太郎は?」

「俺もドキドキだ」


 薫子の甘い香りに頭がくらくらしてくる。

 もっと彼女を感じたい。

 だけど今より強く抱き締めると、この華奢な身体を痛めてしまいそうだ。

 耳元に薫子の吐息を感じ、俺はそちらの方へ顔を巡らせた。

 すぐ側に、赤く濡れた柔らかそうな唇。

 視線が絡み合い――


「キスはダメ」


 冷たく言われる。


「離れて」


 すごすごと腕の力を抜いて、俺は離れる。


「いや、すまん、薫子」

「別に謝ることないわ。私が望んだんだし。もういいから帰りましょう」


 そういうと、けろりとした顔で先を行き始めた。




 商店街に入ると私服に着替えたウヅメと出くわす。実に気まずい。


「よう、お二人さん」

「ただいま、ウヅメ」


 やっぱり薫子は平然としている。


「なんか機嫌いいね、薫子?」

「そうかしら? ただちょっと吟太郎に抱き締められただけよ?」

「おいおい薫子!」


 いきなりの暴露に大声を出してしまう。


「うるさいなぁ、吟太郎は黙ってろ。で? 例によってドキドキ?」

「ええ、ドキドキよ。逞しくって、なんか男子なの」

「まぁ、家の手伝いで鍛えてるからねぇ」

「そうかもね。身体をくっつけてたらひとつになったみたいな気がしたけど、気持ち悪くはなかったわ。それどころかなんか安心できた。男子と触れ合うと安心できるみたい」

「ま、どうせ何もしてこないヘタレなんだし、心置きなく油断できたってだけかもね」

「あ、何もしてこなかったわけじゃないわ。キスを企ててきた」

「おい、薫子、頼むよ……」


 その場に崩れ落ち、地面に両手を付いてしまう。


「汚れるよ、吟太郎。で、キスは拒否したの?」

「当たり前よ。キスは好きな人としたいもの。吟太郎ごときじゃイヤよ」

「意外に乙女だ」

「あのさ、薫子」

「何?」


 美少女を見上げつつ、俺はすがるように声を出す。


「お前って、俺のことを好きなんじゃないの?」

「はっ!」


 吐き捨てるように言われてしまう。

 蔑みの視線がひたすら痛い。


「何をどう血迷ったらそんなうぬぼれをするのかしら? あなたはただの下僕にすぎないのよ?」

「でもお前、ドギドキさせてくれって言ったろ?」

「ただの実験台として使ったまでよ。結果は良好。好きでもない男子が相手でも、抱き合ったらドキドキはするみたいね。でも、ムラムラはしてこない。ドキドキとムラムラは、やっぱり別物なのよ」

「男子の場合は違うみたいだけど。吟太郎の奴は見境なしにキスを狙うし」

「はぁ~~~」


 深く深くため息をついてしまう。

 この女が何を考えているのかまるで分からない。


「それにしたって薫子は大概だ。私だったら吟太郎なんかと抱き合うなんて真っ平御免だもん。やっぱ、あんたってどっかおかしいよ」

「私なりにいろいろ悩んでるんだから仕方ないじゃない。吟太郎は安全だから実験台にちょうどいいのよ」

「だってさ。悪い女にいいように使われる運命みたいだよ?」

「もうそれでいいよ」


 よっこいせと立ち上がる俺。

 商店街に棲まう一匹の悪魔と呼ばれる咲乃さんの言うことを真に受けて、ヘンな下心を抱いた俺が馬鹿だった。


「じゃあ解散解散」


 ウヅメが伸びをする。


「その前に薫子、小物屋に行こうぜ」

「え?」


 俺が声をかけると薫子はキョトンとした顔つきになる。


「いや、ホワイトデー。小物屋でなんか買ってやるからそれで手を打ってくれよ」

「あれ? さっき私を抱き締めたじゃない。あれがホワイトデーよ?」

「え? そうなんだ」


 じゃあ、余計なことを言ってしまった?

 でも、もっとちゃんとお返しをしておかないと収まりが悪い。


「それじゃあ、吟太郎が一方的に得して終わりじゃん。せっかくだし何か買ってもらいなよ」

「そうなの? ……じゃあ、ちょうど欲しいネックレスがあるのよ。それを買って頂戴」

「はいよ、お姫様」


 そして薫子が選んだのは赤い石をひとつだけはめ込んだネックレス。


「どう、吟太郎?」


 制服の前を開き、得意げに付けてみせる。

 白く滑らかな胸先にある赤い石は、華やかな薫子をよく引き立てた。

 

「似合ってるぞ、薫子。きれいだ」


 思わず胸が高鳴るくらい。


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