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ある日の『上葛城商店街』  作者: いなばー
彼女が魚を買いにくる(佑哉)
41/60

3.

 どうしたらいいのか分からない。

 失恋した女子にはどう対処すべきなんだ?

 でも、メッセージを送っても返事がない。電話をかけるのは……余計にマズいだろう……。

 こうなるって分かっていたのに、俺は何も言わず、何もせず。

 結果、一番つらい形で彼女を傷付けてしまった。

 もう、彼女に顔向けできないのかもしれない。

 そう思い込むことで、もうこれ以上何もしないでおこうとも考えた。

 でも、そうやって逃げてしまい、彼女を一人するのは卑怯な気がする。

 何より、俺は桜宮恵に会いたかった。




 逡巡に逡巡を重ねた末、俺は桜宮の家に行くことを決める。

 日曜日の今日なら部活もなくて家にいるはず。

 自分の家を出た俺は、駅のある陸橋を越えて高級住宅街に入っていった。

 庶民的な住宅街に住む俺なので、高級住宅街を一人で歩くのはどうにも落ち着かない。

 でも、そんなことでまごつくわけにはいかなかった。ひと目、桜宮に会いたい。足を速めて彼女の家を目指す。

 相変わらず立派な家だ。

 ここにきて怖じ気づいてしまうが、覚悟を決めて呼び鈴を押す。もう引き返せない。

 出てきたのは優しそうなおばさん。多分、桜宮のお母さんだ。面影がある。

 まずは自分なりに気を利かせて途中で買った和菓子を渡す。

 玄関に入るとそこから見える扉が開き、桜宮が顔を出してきた。


「え? あ……う……」


 桜宮はうまく言葉を発せない。俺の方から声をかける。


「よう、久し振り、桜宮。押しかけちまった」

「うん……」

「リビングに?」


 おばさんが桜宮に問いかけた。


「ううん、私の部屋へ。あ、どうぞ、高瀬君」


 彼女にいざなわれ、階段を上っていく。

 桜宮は花をあしらった七分の長さのクロップドパンツを穿き、白い半袖のブラウスを着ていた。

 甘い匂いが漂ってくる。


「今、クッキーを焼いてたの」


 なるほど、その匂いね。


「どうぞ、入ってください」


 通されたのは、ピンク主体の乙女の部屋だった。

 というか、この香りは何なんだ……。お菓子の匂いとはまた違う、でも、いっそう甘ったるい香りがする。


「どうしたの? 入って?」

「お、おう……」


 首を傾げる桜宮に促されて、どうにか中へ。

 でも、どこへ座ればいいのやら。あのレースをあしらったシーツがかけられたベッドにいきなり座るのはマズかろうし……。


「あ、じゃあ、ここにどうぞ。すぐ来るし、ちょっと待っててね」


 突っ立っていた俺にクッションを勧め、桜宮は部屋を出ていった。

 こんなところに一人きりにされて、どうすればいいんだ……。

 カーテンからベッドのシーツから、やたらとレースが付いていてひらひらしている。

 かわいらしい木製の家具は、俺の部屋にあるようなベニヤ板では決してないだろう。

 有名な熊のぬいぐるみがいくつか置いてあるけど、あれだって本物は結構高いって聞いたことがある。

 それにあの西洋人形……男の俺からすると怖くすら見えるけど、あれもきっと高いに違いない。

 なんというか……乙女チック、そして高そう……。それが桜宮の部屋に対する俺の印象。

 部屋の中を漁るとかそういう煩悩はいっさい沸いてこない。ただひたすら桜宮が戻ってくるのを待ちわびる。

 ようやく桜宮が帰ってきた。


「お待たせ、クッキー食べるでしょ?」

「うん、頂くよ」


 ……って、目の前に置かれた大皿には山盛りのクッキー。思わず絶句してしまう。


「ふふ、作り過ぎちゃった」

「そっか……」


 ちょっと加減を間違えた、とかそういう量には見えないんだけど……。

 そんな戸惑いをよそに、桜宮は大皿の方へ身体を向けたまま、俺の斜め前に腰を下ろした。


「どうぞ、召し上がれ。見ての通り、たくさんあるから好きなだけどうぞ」


 そう言って微笑むが、まだどこか陰があるように見える。

 よく見ると髪に艶がなかった。いつもよく梳かされて輝くようだった髪が、今ではくすんで見える。あまりきれいに梳かされていないんでは?


「……あの、元気になったか、桜宮?」


 とてもそうは見えなかったが、まずはそう切り出す。


「うん、元気になったよ。泣くのも昨日で収まったし、今日は元気にお菓子作ってました」


 じゃあ、昨日まではずっと泣いてたのか……。


「部活、三日もサボっちゃったー。夏風邪だなんて、仮病を使って。そういうの、許せないんだけどね……」


 と、少し顔を上げて遠くを見るような目。仮病を使う自分が許せない。そういう失恋以外のもやもやもあるのか……。


「うん、仕方ないよ、今回ばっかりは」

「はぁ……こんなにヘコむ失恋は、初めてかも……」

「そうなんだ……、て、そんなに失恋してるんだ?」

「友だち曰く、失恋女王らしいです。中学の時の柳本君の事件は覚えてる?」

「ああ、あったね。せっかく桜宮が告白したのに、あいつは断りやがったんだ。実にもったいない」

「理由がすごかった。胸が小さいから」

「そうそう、あいつは巨乳派だからね」


 やれやれとばかりに首を振る桜宮。また怒りがぶり返したか?


「中学生なんだよ? まだまだ成長の途中なのに……」

「ん? でも……」

「はい、今でも貧乳ですよっ!」

「悪い悪い」


 思わず胸に視線が行ったら睨まれてしまった。


「奥さんの胸、大きかったなぁ……」

「一応、チェックする余裕はあったんだ?」

「まぁ、すぐ目に入る巨乳だったもの」

「だよね。……ゴメンな、俺、知ってたのに黙ってた」

「ううん、言い出せないよね、あんなに浮かれてたら……」

「それでも言うべきだったんだ。結果、桜宮を傷付けてしまった」


 俺はうなだれてしまう。

 メッセージのやり取りをしてたんだから、チャンスはいくらでもあったはずだ。

 でもしなかった。この時間を失いたくなかったから? そう自分を疑ってしまう。

 どのみち、今さら後悔しても遅いけど……。


「私こそ、ゴメン。高瀬君、心配してくれたのに連絡しなくて……」

「いや、それはいいって。ショックでかかったんだろうし」

「高瀬君にはとても感謝してるんだ。ずっと浮かれてる私の相手してくれて。私、メッセージだとヘンな奴でしょ?」

「うん、ヘンな奴だった」


 そう言うと、桜宮はちょっと不満げに口を尖らせる。憂いの残っている今でもそういう顔はかわいらしい。


「そこは否定して欲しかった。はぁ……恥ずかしい……あの一連のやり取り、全部消してしまおうって思ったりも」

「ええ? 残しとこうぜ? 後からいい思い出になるかもよ」

「うん、消さないよ。失恋してからも、何回も読み直してるんだ。高瀬君に何度も励ましてもらうの。浮かれてるバカな私を真面目に応援してくれる高瀬君。とても優しい。励まされる」

「別にバカじゃないよ。桜宮はバカなんかじゃない」

「……ありがとう。やっぱり高瀬君はいい人だ」

「いい人? いい人もなぁ……」


 しょせんいい人止まりで終わるという奴だ。

 なんだか微妙な気分になってしまう。


「……ゴメン、複雑な男心を傷付けちゃった?」

「いや、そういうわけじゃないけど」

「一応、褒め言葉つもりなんだけどなぁ。こうして初めて男子を部屋に入れたのに、安心してお話できる」

「え? 初めてなの? 俺が初めて部屋に入れた男子?」

「うん、そうだよ。高瀬君が初めてだよ」


 何でもないことのように、こくりとうなずく。


「へぇ……」


 なんだかそれは……とてもいいことのように思えた。


「え? なんでニヤニヤなの?」

「いや、別に? 男子は女子の初めてなら何でもうれしいもんなんだよ」

「へぇ……。男心はよく分かりません。あ、クッキーもっと食べてね。いくらでもあるから」

「桜宮は食べ過ぎだぜ。もうやめとけよ」


 さっきから絶え間なく食べている。この細い身体のどこに収まるんだってぐらいだ。


「なんか、すごく食べたい気分なの……」

「でも、ホントにやめた方がいいって。お腹壊すぞ」

「うん……。でも、胸がひゅーひゅーするの……。この穴を、なんとか埋めたいんだ……」

「……クッキーじゃ埋まらないぞ」

「じゃあ、何なら埋まるかな?」


 桜宮の手がようやく止まる。


「俺が埋めてやるよ」

「ホントに? どうやって?」


 俺は桜宮の方へ身体を向けると、彼女の方へすり寄った。


「え?」


 桜宮はそうつぶやいたが、俺は構わず彼女の身体を抱き締める。華奢な身体を、ぎゅっと……


「あんな奴、忘れちまえよ……」


 彼女は小さく身体を震わせていたが、それはすぐに収まると俺は思った。


「怖いよ……高瀬君……怖い……」


 桜宮の口からこぼれた声は不安に満ちていて、彼女の身体の震えはいつまで経っても止まらない。


「高瀬君……私、怖いよ……」

「ゴメン……」


 失敗した俺は、みじめな気持ちになりながら繊細な少女から離れた。

 桜宮はうつむいたまま顔を上げない。


「ううん……。心配してくれたんだよね。分かってるよ、ありがとう」


 違う。

 ただ、彼女が愛おしくて、彼女を自分のものにしたくて、抱き締めた。


「ゴメン……」

「謝らないで……謝らなくてもいいの……」


 でも、桜宮はこちらを向いてくれない。

 彼女の笑顔をもう見ることはできないと、俺は絶望した。


「俺、帰るわ……」

「帰らなくていいよ。それより、クッキー食べて?」

「……ああ」


 彼女の意志に逆らう気力すらなくした俺は、座り直すとただお菓子を口に運んだ。

 二人がクッキーを食べる音だけがする部屋。

 ふいに桜宮が笑い声を漏らす。


「ふふふ……びっくりした……」

「え?」


 俺が顔を上げると、彼女はこっちに笑顔を向けてくれていた。もう見れないと思った笑顔。


「びっくりしたよ、高瀬君。なんか、急に男の子なんだもん。ちょっと油断しちゃった」

「いや……ゴメン……」


 彼女の視線を受けきれずに顔を横にやってしまう。

 やましさだけが募っていく。


「あ、ゴメンゴメン、違うよ。エッチだー、とかそういうんじゃなくて。……頼もしかった。最初は怖かったけど、後で頼もしく思えた……」

「まさか」


 俺を気づかってそう言ってくれてるんだろう。

 そう思ったが、彼女の方へ顔を向けると、桜宮はしっかりと俺の目を見てくれた。


「ホントにそう思った。ありがとう、あなたはとてもいい人。あ……そう言うと男心が傷付くのか。うーん、なんて言えばいいんだろう?」


 首を傾げて天井を見上げる。ちょっと口をへの字にして。


「違う違う、俺はそんなんじゃないんだ」

「え? 違うの?」


 桜宮が目を大きく開いて面食らったような表情を向けてくる。そんな表情を、とても愛おしく感じた。

 今言うべきではない。それは分かっていたが、今どうしても言ってしまいたかった。

 自分を抑えられない。


「違うんだ。俺は……俺は桜宮のことが好きな人。好きだから、桜宮に親切にするんだ」

「好きって……」

「そう、俺は桜宮が好き。いい人止まりなんて我慢できない。ちゃんと男として、桜宮を支えたい。支えさせてほしい……」


 きっと、告白する時にはワタワタしてしまって、言いたいことなんてロクに伝えられないだろうと思っていた。そもそも告白なんてできないだろうとも。

 でも、すっと言葉が出てきた。あまりにもすんなり出てきて、物足りなく思ってしまうほどだ。


「ありがとう……」


 桜宮は頬を赤くし、少しうつむく。

 彼女を困らせてしまった。

 失恋の痛手から立ち直っていない彼女に自分の想いをぶつけるなんて、困らせるだけ。分かっていたのに……。


「いや、ゴメン、違う……」

「え? 違うの?」


 驚いたように顔を上げる。


「いや……その……今、桜宮はまだ傷付いてる……。そんな時に言うことじゃなかった……。ゴメン……」

「でも本当は?」

「ゴメン、好きだ……」

「そっか……やっぱりそうなんだよね。わけ分かんなくなるとこだったよ……」

「ゴメン……」

「さっきから謝ってばっかりだ。でも……私こそ謝らなくっちゃ……。ゴメンなさい。高瀬君の気持ち、今は受け止められません」


 俺の方へ身体を向け、深く頭を下げてきた。分かっていたことだけど、胸にずきりと痛みが走る。


「でも、気持ちはとてもうれしく思う。だって、高瀬君はとってもいい人なんだから。……って、いい人じゃダメなんだよね?」

「そうそのとおり。いい人ぶってるのは下心からかもよ?」


 俺がちょっとおどけて言うと、彼女は口元をほころばせてくれた。


「うーんでも、ただの下心じゃないと私は思うんだ。高瀬君はとてもいい人。あー、今はそう言わせて欲しいな、高瀬君は、とてもいい人」

「そっか……ずっといい人止まり?」

「それは分かんないよ。今は私、気持ちの整理が……ね? 立ち直ったらよく考えてみる。高瀬君はどういう人なのか……私はどう思うのか……。うん、よく考えてみる。それじゃ、ダメかな?」


 ちょっと困ったように眉の端を下げて桜宮が首を傾げる。

 今すぐ抱き締めたくなったけど、どうにか思い留まった。


「うん、じゃあ、そういうことで。待ってる。……いや、待つのはイヤだな」

「ええ? 待ってくれないの?」

「ああ、桜宮が立ち直るよう、全力でサポートする。メッセージまた送るから。桜宮を励ますメッセージ」

「そうなんだ、ありがとう……。なんか下心っぽいけど、励ましてくれるととても助かるよ」

「ぽいっていうか、下心だぜ?」


 俺が口の片端を上げてやると、彼女は両手を胸の前でパタパタと振って慌てふためく。


「でもでも、返事はどうなるか分かんないよ?」

「当然。じゃあ俺帰るよ」

「ちょっと待ってて、クッキー包むよ。食べるでしょ?」

「当たり前、好きな人の手作りなんだから」

「う……、面と向かって言わないで、恥ずかしいよ……」


 耳まで真っ赤にして目をきょろきょろさせる桜宮は、とてもかわいかった。


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