0 少年の心
拍手の音、選手の声が響く体育館。今から勝負に出る者には聞こえない音。
面、小手、胴、垂を身に着け、左手には竹刀を持つ剣士。
場外から立礼の位置まで進み、提刀の姿勢で相互の礼を行う。
帯刀した後、3歩進み開始線で竹刀を抜き、蹲踞の姿勢で剣先を相手に向ける。上半身を真っ直ぐに下ろし丹田と母趾球に重心を置く。
神経を研ぎ澄ませ試合開始の合図を待つ。この間、相手から一瞬たりとも目を離すことはない。
主審の『はじめ!』の合図と共に立ち上がる。1体1の勝負が始まる。
「ただいま〜!父さん帰ってきたで〜」
玄関からかなり大きめの声で自分が帰ったことを伝える曽我家の父、喜一。スーツ姿で靴を脱ぐ。顔には疲れた様子など全くない。
キッチンでは長い髪を結んでエプロン姿で夕飯の支度をする母、天音。
「おかえりなさい〜」
話し声のボリュームのまま言う。
「うるっさ」
この春高校生になった千歳。リビングのソファに座りスマホから目を離さずボソッと吐き捨てる。白のTシャツを着てバスパンを履いている。可愛らしい顔立ちで、サラサラの黒髪は肩下ぐらいまで伸びている。
「久しぶりに姉ちゃんの顔見れるからきっと嬉しいんだよ」
黒髪、短髪で大きめのクリっとした瞳。太くて凛々しい眉毛は父によく似ている。その少年の名は政宗。姉、千歳の隣に座りテレビを見ていたが、可哀想に思った父の肩を持つ。
だが、発した言葉は今の姉の心には届かなかった。
ソファに座ってから今までスマホから目を離すことがなかった千歳が何も言わず”ギッ”と政宗を睨みつける。
「すんません...」
謝らずにはいられなかった。
そんな今の状況を全く知らない父がリビングに入ってきた。
「千歳〜!政宗〜!父さん明日休みなんだけどお出かけする?」
繁忙期のため休日返上で働き、夜遅くに帰ることが多くなった喜一は最近子供達の顔を見る時間すらなかった。そのため、久しぶりに取れた休みを子供達と過ごしたくてしょうがなかった。
「色々考えててな?水族館に遊園地、動物園とかどうだ?」
誰も返事をしていないのに、勝手に話を進めていく。
誘えば当たり前に「行く!」と言ってくれるだろうという甘い考えしかない父。長いこと話すことがなかったため、年頃の娘である千歳のことを何も知らない。
案の定、そんな父をうざく感じたのだろう。
「政宗と二人で行ってくれば?」
そう一言告げて千歳は自分の部屋に行った。
父はまさかの返事にショックを隠しきれない。
「いつの間にか俺嫌われたのか...。それとも誘った場所が悪かったか?」
(父さんが悪い気もしてきた...)
的を得ないことを言っている父の様子を見た政宗が次は姉の肩を持つ。
「きっと、姉ちゃんも高校生になって大変なんじゃないかな?」
「そっか!そうだよな!政宗と二人ならどこにしようか?」
(あぁ、これはもう父さんが完全に悪いやつだ)
千歳とのことを何も反省せず次の予定を立てようとしている父に呆れた政宗だった。
「ご飯できたよ〜」
父に返す言葉を探している時、母が夕飯の用意ができたことを知らせる。机の上に三人分の食事を並べている。
「千歳は後で食べるって言ってたから」
父が机の上を見て何か言おうとしたが、先ほどからの一連の流れを見ていた母が食い気味に言う。
「お、おう...!そうか」
席に着けば父が思い出したように
「そういや岡林さんが高知で中学生の剣道全国大会が開催されてるって言ってたぞ!甲斐くんの学校が出るってさ!」
岡林というのは会社の上司で、息子である甲斐は政宗が現在通っている剣道クラブに小学生の頃所属していた。二学年上で政宗とは仲良くしてくれていた。
「知ってるよ。先生も言ってたし」
今日まさに、通っている剣道クラブの先生に全国大会が地元高知で開催されることを聞いたばかりだった。
「じゃあ、行くか!?明日は丁度男子の団体らしいから!」
(なんで休みの日にまで剣道を...)
と思う政宗だが父の顔を見れば断れなかった。
甲斐が剣道をしていることを知った父の勧めで、小学1年生の頃から剣道をやっていたが、楽しさを感じたことはなく、なんとなくで続けてきた剣道を今年でやめようと思っていた。来年には中学に上がるが、そこでは違う部活に入ることを考えている。
(少し早いけど父さんには明日、剣道をやめることを伝えよう)
「行くよ」
「よし!決まり!」
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翌日、俺は父さんと全国中学校剣道大会を見に来た。この場所で剣道人生が変わった。いや、変わりたいと思った。




