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 振り返ることもなく。


 菊の君さまは扉を破り廊下へとまろび出た。


 畳の敷かれた廊下には当然のように太刀を()いた武士が控えていたが、わたしの叫びに腰を浮かせていたため即座に反応することができたようだ。しかし、菊の君さまは思いもよらぬ素早さで彼らから太刀を奪い取り腹に一撃を見舞った。


 次々とその場に昏倒してゆく武士たち。


 その時のわたしにはあれだけ怪我を負っていた、今も傷は生々しいだろう菊の君さまのその動作を不思議だと感じる余裕などありはしなかった。


 一顧だにされることはなかった。それになんらかの不満を感じていい立場でなどありはしないこともわかっていた。


 ここに置いていかれては、おそらくまた質にされてしまう。ひとりぎりで逃げることなど不可能だった。自分がおふたりのおもしになることは避けなければならない−−−ただその思いだけで死に物狂いでもあったのだ。だからこそわたしは彼の後を力の限り追いかけた。身の軽さだけが救いだった。






 そこは新しく造られたかのような清しい檜の香のする空間だった。


 明るい木の色が室礼(しつらい)の雅さを際立たせている。


 豪奢な刺繍の施された壁代(かべしろ)長押(なげし)から垂れている。塗籠(ぬりこめ)の中央には御帳台が据えられ、美しい淡い藤色の薄布で囲まれていた。その中に、うっすらと人影が見えた。


 (たお)やかな上臈かもしれない。


 そんなわたしの予想は、


「我が君」


 ひそやかな菊の君の声で破られた。


 どこか、不思議と神秘的な空気を感じるような部屋である。


 しかしあるのは御帳台のみであるのだ。そう、それはこの部屋の神秘性を打ち消そうとするかのようで、なんともわからない不安をわたしに与えたのだ。


 風もないのに薄布が揺れる。


 その刹那、わたしにはその隙間から中を見ることができた。


 彼の言葉に違うことなく、台の上に畳を敷いた寝台に、何者かに組み伏せられたかのように見える体勢の青紅葉の君がいた。


 白く滑らかな肌が水で洗われた白桃の皮めいた色に染まり、眉間に刻まれた苦悶の皺が食いしばられた薄いくちびるが、その行為が彼の望むことではないのだと思わせる。


 乱れた髪が肌に黒い筋を幾重にも描き、絡みつくさまは背筋が震えるほどに淫らで、目を背けたいのに背けることができなかった。そんなわたしの視界を閉ざしてくれたのは、当然風に煽られた布であり、菊の君の背中であった。



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