私は雨。旅のものだ。
私の名前は雨。雨の日に生まれたから雨、というらしい。
ずっと前からこうして一人で旅をしている。
変わり者だ、と会う者全てに言われながらも旅をしている。
南から北へ、西から東へと旅をするにはワケがあったような気がするが…もう随分と昔の事であまり覚えていない。
ただ、雨、という名前をくれた『誰か』に会いたくて始めたのだ、とだけは覚えている。
今日も一つの村を崖から見下ろし、そこを宿にしようと思い降りていく。
2本足では骨が折れる、文字通り。なので両手両足の裾を捲り上げ、四つ足で降りていく。
こうすれば安定もするし、しっぽがバランスを確りとってくれる。
こういう地形の時はこれ程猫であってよかった、と思う。
崖上から見下ろしていた村に着く。些か急すぎる事もあってか、事の他早くついてしまった。
まだ夕方にもならない村には昼下がりののんびりとした空気が漂う。これから買い物だ、炊事だと忙しくなる前の安息なのだろう。
「あれぇ?どちらさん?旅の方かな?」
一人の村人が声をかけてくる。
振り向くとずんぐりとした体型にやや細い四肢。牙を携えた顔には大きな鼻がある…イノシシだ。
「ええ、崖の上からここが見えまして…今晩の宿を頂きたいと思いましてね。この村の?」
「やっぱり旅の方でしたかぁ!この村はなぁんにもないですがゆっくり休んでいってくださいね!それじゃあ!」
フゴフゴと鼻を鳴らしながら話したかと思えば確認だけでどこかへと行ってしまった。……まぁイノシシの類ならではで、こういうのにも慣れてきた所だが。
はじめの頃はよく戸惑っていたこの種族にも慣れていたおかげで、疾風怒濤の様なイノシシにも気後れせずいられた。
…あ、宿を聞いたのに……
まだまだである……
売り物屋に旅すがら手に入れた物を「そこで使える金目のモノ」に変えるために赴く。
「すいませんが、何方かいらっしゃらないか?」
崖下の立地だ。こういうところでは自由度の高いモノと地のモノとでレート差がある。気をつけて勘定せねば、と思っていた。
「はぁーい!いらっしゃい!両替かい?物々交換かい?猫さん!」
元気良く店の奥から出てきたのは先程のイノシシだった。
「いやぁぜぇええったい来ると思ったよぉ!だってここの通貨ないのに宿を宿をって言うからね?でも頭は悪くなさそうだったし此処に来るなぁってね!で、どうするの??」
捲し立てる。勢いに負けそうになる…
後ろに倒れそうな耳を前に向けたまま「物々交換を」という。
この交換には決まりがある。
どの場所でも「大神」が決めたレートでの交換。
交換に際してはお互いにその交換品について理解を深める必要がある。
旅人が多かった昔に決められたこの決まりが、私の旅を支えている。
前の場所でも、この場所でも。この先でも。
「じゃ品を見てから決まりに従うよ!何を見せてくれるんだい?」
この田舎でもこの強気。流石手強い。
田舎でも売り物屋をやっている者は少ない。大体が近くの交易の主だった町などで交換をするからだ。
両替を聞いてきた時点でこの村の近くにも町はあるのだろうが、大きな場所は好きではない。多少の損も考えたが…
こちらの考えを嗅ぎとるかのような鼻の前、台に背中の包みから品を出す。
顔色を変えずに、ゆっくりと。
ひとつ目は櫛を出した。
「ほぉほぉ?これはどんなモノなんだい?」
「これは猿が使っていた櫛だよ。この前に猿の土地に入ってしまってね。最初は厄介者扱いを受けたけれども誤解が解けた後に良くしてくれてね。そこで猿の女の子から貰ったモノなんだ。」
「ふぅううん…他には何かあるかな?」
なるほど、面の皮通りということか……
ふたつ目の品をまさぐり、ゆっくりと出す。
「これなんかどうだろう?平和好きの鹿の村で頂いたんだけど…」
言うや否や「これを交換しよう!どうだろう?」と突きつけてきた。
鼻よりも奥に見えるのはイノシシの通貨、「キノコ」だ。
濃厚な香りは焼けば溢れ、濃密な汁を笠に溜める。
中でもイノシシイタケと呼ばれる種類で、「金と同等の価値とまで」大神が定めたモノだ。
それを3つも。
「いいのかい?これはちょっと出しすぎだろう?」
余りの交換の良さに思わず声が裏返りそうになる。
「いいのいいの!もう決めたんだから!じゃ!交換ね!宿はあっち!もう返さないからねー!」っとイノシシは奥に引っ込んでしまった。
台に置かれた小振りだが、上等なキノコに思わず拳を突き上げそうになるが「わかった」と言いながら頂くことにする。
ひとつ目の櫛はそのまま。置いておくことにした。
彼はどうして鹿の村の土産物がそんなに良かったのだろうか。
「そんなに目の色変えるなら出すんじゃなかったなぁ…まぁいいか」
と、キノコひとつ手に取りながら指差された宿屋の方角に向かうことにする。
彼はどうして「鹿の角」をそんな高額で引き取ったのか。
私は、彼の気持ちを知ることなく宿屋に向かっていた。