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第0話「始まりは高校一年の春――誰にも言えない、二人の秘密」


今回から始まる物語は、学校一の「高嶺の花」と呼ばれる美人教師・東雲千鶴と、野球部のエースで四番を務める高校生・高橋肇、二人の誰にも言えない関係を描いていきます。


第0話では、肇が高校一年生の頃から抱いていた千鶴への想いと、その気持ちを本人へ伝えた日の出来事。そして母・由紀子と千鶴が二人きりで話し合い、由紀子が大切な息子のことを千鶴へ託すまでを描きました。


高校時代から先輩・後輩だった由紀子と千鶴。


そして教師と生徒として出会った千鶴と肇。


高校三年生となった肇は野球部のエース、そして四番打者として成長し、高校通算本塁打五十五本を記録するほどの選手となりました。


学校では「東雲先生」と「高橋君」。


けれど家へ帰れば、家族だけが知っている秘密を共有する二人。


同じ高校へ入学した肇の双子の妹・眞衣と真悠、そして二人の両親だけが、その秘密を知っています。


教師と生徒という立場を守らなければならない学校生活と、誰にも知られてはいけない二人の暮らし。


ここから、二人だけの秘密の日々が始まります。



高橋肇が東雲千鶴を初めて「一人の女性」として意識したのは、高校へ入学して間もない頃だった。


三十八歳の千鶴は、校内でも有名な教師だった。


整った顔立ちと落ち着いた雰囲気。授業では穏やかでありながら、生徒が間違ったことをすればきちんと注意する。吹奏楽部の顧問でもあり、自身も高校時代にはトロンボーンを担当していた。


男子生徒たちの間では、いつしか「学校一の高嶺の花」とまで呼ばれるようになっていた。


しかし、肇にとって千鶴は、ただの憧れの美人教師ではなかった。


母・高橋由紀子の高校時代の後輩。


幼い頃から名前だけは何度も聞いていた女性だった。


そして高校へ進学し、実際に教師として働く千鶴と毎日のように顔を合わせるようになってから、その気持ちは急速に大きくなっていった。


一方の肇も、入学直後から野球部期待の選手として注目されていた。


投手としてマウンドに立ちながら、打席では中軸を任される。


一年生離れした実力。


だが、そんな肇にも誰にも言えない気持ちがあった。


放課後。


野球部の練習を終えた肇は、校舎の窓から音楽室を見上げた。


吹奏楽部の練習が続いている。


その中に千鶴がいた。


「……やっぱり、好きなんだよな」


誰にも聞こえない声で呟いた。


教師と生徒。


それが簡単な関係ではないことくらい、肇にも分かっていた。


それでも、自分の気持ちを誤魔化し続けることはできなかった。


◇◇◇


数日後。


肇は放課後、千鶴に時間を作ってもらった。


人目のある校内ではなく、きちんと話のできる場所で向き合う。


「高橋君、相談って何?」


「先生」


「うん?」


肇は一度息を吸った。


野球の大事な試合でも、ここまで緊張した経験はなかった。


「俺……東雲先生のことが好きです」


千鶴の表情が止まった。


「……え?」


「入学してからずっと考えていました。先生だからとか、母さんの知り合いだからとかじゃなくて、一人の女性として好きです」


千鶴はすぐには答えなかった。


やがて、困ったような微笑みを浮かべる。


「ありがとう。そんなふうに思ってくれたことは嬉しい」


そして、教師としての表情に戻った。


「でも今の高橋君は、私の学校に通っている生徒でしょう?」


「……はい」


「だから、私は先生としてあなたを大切にしなきゃいけない」


肇は俯いた。


それでも千鶴は、その気持ちそのものを笑ったり、軽く扱ったりはしなかった。


「高橋君の気持ちを否定するつもりはないの。ただ、今は越えてはいけない線があるの」


「分かりました」


肇は顔を上げた。


「でも、好きなのはやめません」


「もう……」


千鶴が困ったように笑った。


「本当に由紀子先輩の息子ね」


その言葉に、肇も少しだけ笑った。


◇◇◇


その日の夜。


高橋家の夕食後、肇は母の由紀子に話した。


「母さん」


「何?」


「俺、東雲先生に告白した」


由紀子の箸が止まった。


「……千鶴に?」


「うん」


「ちょっと待って。千鶴って、東雲千鶴よね?」


「他に誰がいるんだよ」


由紀子は額に手を当てた。


「あなたねぇ……」


父も驚いて肇を見る。


「本気なのか?」


「本気」


迷いのない返事だった。


由紀子はしばらく息子を見つめていた。


冗談ではない。


そのことだけは分かった。


「千鶴は何て?」


「今は教師と生徒だからって」


「でしょうね」


由紀子は小さく息を吐いた。


「千鶴らしいわ」


その日のうちに由紀子は千鶴へ連絡を入れた。


◇◇◇


数日後。


由紀子と千鶴は二人きりで会っていた。


「ごめんね、千鶴」


「どうして由紀子先輩が謝るんですか」


「肇のこと」


「……告白されたことですか?」


「聞いたわ」


千鶴は苦笑する。


「真っ直ぐでした。昔の先輩みたいに」


「私、あんなに真っ直ぐだった?」


「かなり」


二人は少しだけ笑った。


高校時代から続く先輩と後輩。


教師と保護者という関係になった今でも、その空気だけは昔と変わらなかった。


しかし由紀子は、やがて真剣な顔になる。


「千鶴」


「はい」


「肇は、たぶん簡単には諦めない」


「……そうでしょうね」


「だからこそ、教師である間はきちんと線を引いてやってほしい」


千鶴は静かに頷いた。


「もちろんです」


「そのうえでお願いがあるの」


由紀子は千鶴を真っ直ぐ見た。


「学校でも、野球でも、あの子が道を間違えないように見守ってやってくれない?」


「先輩……」


「肇って野球のことになると無茶するでしょう? 昔からそうなの。自分が頑張れば全部どうにかできると思ってる」


母だからこそ分かっていた。


「だから、あの子のことをお願い」


千鶴は少し考えたあと、微笑んだ。


「分かりました」


「ありがとう」


「でも先輩」


「何?」


「私は学校では、あくまで高橋君の教師です」


「うん。それでいい」


由紀子は笑った。


「それが一番安心できるから」


◇◇◇


それから時間は流れた。


肇は野球部の中心選手へ成長していった。


一年。


二年。


そして三年。


高校通算本塁打は五十五本。


投手としてもエースナンバーを背負い、四番打者としてチームを引っ張る存在になった。


校内では肇を知らない生徒の方が少なくなっていた。


そして千鶴への気持ちも消えることはなかった。


高校三年生となり、十八歳になった春。


二人の関係にも、大きな変化が訪れる。


家族同士で何度も話し合った末、肇と千鶴は学校には知らせないまま、一つ屋根の下で暮らし始めた。


事情を知っているのは、ごく限られた家族だけ。


肇の両親。


千鶴の家族。


そして肇の双子の妹、眞衣と真悠。


二人は肇と同じ高校へ入学した一年生でもあり、時折二人の家へ遊びに来るようになった。


学校では教師と生徒。


家では誰にも知られてはいけない特別な相手。


二人は、その境界を守りながら生活を始めることになる。


ある朝。


「肇、そろそろ起きないと遅刻するわよ」


「あと五分……」


「野球部のエースが遅刻なんてしたら大騒ぎでしょう?」


「千鶴が起こしてくれたら起きる」


「今、起こしてるじゃない」


「学校じゃ絶対聞けない言い方だな」


千鶴は呆れたように笑った。


「当たり前でしょう。学校では東雲先生と高橋君なんだから」


「分かってる」


肇は起き上がる。


「絶対にバレないようにする」


「私もよ」


二人は目を合わせた。


同じ家から出ても、学校へ着けば別々の立場になる。


秘密を知る家族以外には話さない。


それが二人で決めた約束だった。


◇◇◇


学校へ着いた瞬間から、千鶴は完全に「東雲先生」へ戻った。


廊下ですれ違っても、


「高橋君、おはようございます」


「おはようございます、東雲先生」


それだけ。


周囲にいる男子生徒たちは千鶴を見ながら小声で話していた。


「今日も東雲先生、綺麗だよな」


「分かる。完全に高嶺の花だろ」


肇は聞こえていても何も言わない。


自分だけが知っている千鶴の姿がある。


朝食を作りながら眠そうに欠伸をする姿。


テレビを見ながら笑う姿。


吹奏楽部の楽譜を家で確認している真剣な横顔。


けれど、それを誰かに自慢することはできない。


昼休み。


一年生の教室では眞衣と真悠も、兄を見かけても余計なことは口にしなかった。


「お兄ちゃん」


「ん?」


眞衣が近づいてくる。


「今日、真悠とそっち行っていい?」


「また?」


真悠もやって来た。


「千鶴さんに会いたい」


「遊びに来るのはいいけど、学校でその話するなよ」


「分かってるって」


「私たちだって秘密守ってるもん」


肇は二人の頭を軽く撫でた。


「ならいい」


「子供扱いしないでよ」


双子が同時に文句を言う。


そんな三人の少し離れたところを千鶴が通り過ぎる。


視線が一瞬だけ重なった。


それだけだった。


誰も、その意味には気づかない。


◇◇◇


放課後。


野球部のグラウンドからは、金属バットの快音が響いていた。


その反対側では吹奏楽部の音が校舎から聞こえる。


別々の部活動。


別々の場所。


肇はマウンドから校舎を見上げた。


そして思う。


高校一年生だったあの日。


勇気を振り絞って伝えた一言から、すべては始まった。


まだ二人には守らなければならない立場がある。


誰にも言えない生活がある。


家族だけが知っている秘密がある。


それでも肇にとって、千鶴への想いだけは、あの日から一度も変わっていなかった。


学校一の高嶺の花。


男子生徒たちが憧れる美人教師。


吹奏楽部の顧問。


そして、肇にとって何よりも大切な女性。


チャイムが鳴る。


千鶴は教師として。


肇は野球部のエースとして。


二人は今日も、それぞれの場所へ戻っていく。


誰にも知られてはいけない秘密を胸の奥に隠しながら――。



第0話「始まりは高校一年の春――誰にも言えない、二人の秘密」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、この物語のすべての始まりとなる肇の高校一年生時代から、高校三年生となった現在までを描きました。


学校一の高嶺の花と呼ばれる東雲千鶴。


そして一年生の頃から千鶴に想いを寄せ続けてきた高橋肇。


肇の母・由紀子と千鶴が高校時代の先輩・後輩だったという縁もあり、二人の関係には本人たちだけではなく、それぞれの家族も深く関わっています。


特に今回大切にしたのは、由紀子と千鶴の二人だけの会話でした。


一人の母親として息子を心配する由紀子と、教師として肇を見守ろうとする千鶴。


そして高校三年生となった現在、肇と千鶴は誰にも知られてはいけない秘密を抱えながら、一つ屋根の下で暮らしています。


さらに肇の双子の妹・眞衣と真悠も同じ高校の一年生。


学校では何も知らないふりをしながら、時折二人の家へ遊びにやって来る妹たちも、これから物語に大きく関わっていきます。


学校では教師と生徒。


家では互いを誰よりも大切に想う二人。


そして、吹奏楽部顧問として生徒たちを支える千鶴と、甲子園を目指してマウンドに立つ野球部エース・肇。


第1話からは、高校三年生となった二人の「学校」と「家」でまったく違う顔を見せる、秘密の同棲生活が本格的に動き始めます。


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